第十四章 風越山の事
風越山(かざこしやま)といふもの、所々にあり。
遠山にいたりても、はるか西の手に、風越の峯といふものありて、むかしは旅立の時此峰にて、
道租神をまつるといふ。今は其事なし。
しかるに飯田の西にある風越山は、峯に白山権現、ふもとに白山寺あり。
又和田嶺(とふげ)にならびて、風越嶺あり。
松本の北、會吉新田より亂橋へいづる所に、風越峠といふ所あり。
因にいふ。此風越といふ名、所々にあり、是はすべて、國境郡ざかひにある名也。
國ざかひは惣じて風あらく吹ゆへ、國郡を隔つる所に、風越の名あり。
是は風の吹こすといふ斗にあらず。旋立する時、道租師を祭る所也。
風越の名なき所にても、山の峠にて祭りて、道租神に手向をする也。
山の峠はすべて、祭りして手向(たふけ)をする所ゆへに、峠といふは手むけといふ訓
をけの字を濁りて、たふげと唱へ違ふ也。
もとは手向也としるべし。神を祭り、手向けるを山祭とて、山にて行ふ故、其頂を手向といふ
こと、異國(から)にても同じ事也。さて風越といふこと。
風の吹事斗にては、あらずといふわけは、其所の風俗をこへて、他の所へ行に付て、風をこゆ
るといふこと。いひつたふ説あり。しからば諸國において、此名あるかと思へば、左にもあらず。
信濃には多く其名あるゆへ、遠山にも其名ありといへども、遠州三州の祭り場所にてはあらず。
遠山の後邊(うしろ)は信濃なるゆへ、やはりしなのゝ人の手向する所かと思へり。
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