(二)諏訪信仰が伝わる

  然神をうやまい、祖先を尊ぶ諏訪信仰が遠山谷に伝えられたのは、
中央構造帯
(日本列島を縦断して走る日本で一番大きな断層線)の谷を
利用しての交通路が古来より開かれていて、諏訪と結ばれていたこと、また遠山谷には、
諏訪信仰を受け入れる土壌があったことからでした。
 鎌倉時代
(1192年からの約百五十年間)になると、遠山地方は幕府の料所(領地)となり、
遠山氏の祖先が、その荘官
(荘園の取締役。荘園とは、中古、貴族や社寺が諸国に所有していた私有土地)
をしていた頃、諏訪大社の神霊(神様)を遠山の地に迎えました。
 その時、鎌倉から湯立神楽
(熱湯で身を清め、神を祭る舞楽)が取り入れられました。
そして神が鎮まる社を建立し、この社を中心に村びとが集まり、政事(政治)を行う基礎が
築かれました。

 


     御神殿と御神木