このごろ腹の立つことども(新聞社が原稿をなくしたので掲載されませんでした。) 永田獏
@、 偽装問題
昨年の漢字の言葉に「偽」の字が選ばれた。その原因の多くは食品関係の偽装であろう。その中で最も腹の立つのは、船場吉兆の専務の発言である。彼は始め、「これは現場のパート職員が勝手にやったことであって、我々のしらないことである。」といった。こういう嘘を恥ずかしげもなく、よくつけたものだ。現場のパート労働者が偽装してなんの利益があるというのだ。ひとつも得にならないことを指示もないのに勝手にやるわけがない。第一、多くの労働者は自分の仕事に誇りを持っているものだ。こういう働く者の尊厳を傷つけ、責任を弱い立場の者に擦り付けるやり方に怒りを覚える。経営不振に陥った吉兆はパート数十人の解雇と従業員200人の希望退職を発表した。又、弱い者にしわ寄せが行く。そして、再開された高級料亭吉兆は予約で満杯という。これ、どういうこと?
A、またまた記憶にございません。
記憶にないといえば、ロッキード事件(1976年)の小佐野賢治氏、近くは一億円小切手(2004年)の橋本龍太郎氏が思いつくが、今回はイージス艦衝突事件だ。2月19日石破大臣や増田事務次官ら幹部約10人は航海士を大臣室に呼び、事情聴取をした。この件につき、2月27日の会見で、増田次官は「何を聴いたか記憶にない。メモもとっていない」と釈明した。また、海上保安庁の了解を得ずに事情聴取した疑いについて、室長は海上保安庁への連絡で、時間も誰に連絡したかも記憶があいまいだという。全く国民を愚弄する発言だと思う。次官といえばエリート中のエリートだ。それが直近の会議の内容を覚えていないなんてあるはずがない。もし、本当にそうなら、すぐ辞めてもらいたい。重要会議の内容をすぐ忘れてしまうような幹部に、国家の安全保障をゆだねるわけにいかない。もっとも、「あたご」のみっともない事故といい、トップのこの体たらくといい、自衛隊には戦争をする能力がないとわかって、平和主義者の私としては一安心です。それにしても、イージス艦1400億以上もするとは、おもちゃにしてはちょっと高すぎますよね。
B、NHKの不粋
NHKのラジオに日曜の夜10時15分から、ラジオ文芸館という番組があった。これは、日本の短編名作をアナウンサーが朗読するもので、私は毎週これを楽しみにしていた。ところが、アナウンサーの名朗読にうっとりとして、作中に没入していると、突然、「番組の途中ですが、今日行われたA町の町長選挙の結果を報告します。」という放送が流れるではないか。作中人物の大切な一言が断ち切られ、筋が読めなくなってしまう。それよりも、作品の芸術的雰囲気はぶち壊しだ。どうして、10時55分からのニュースではいけないのか。国民の生命に危険のあるような放送なら仕方がないが、選挙結果がすこしくらい早くてもどうってことはない。なにより、そんなどこにあるかわからない遠くの町の選挙結果なんか知りたくもない。NHKは芸術をぶち壊してまで放送する価値があると思っているのか。芸術センスのなさに腹が立って、何度も電話したが、一時的によくなるが、すぐまた元に戻ってしまう。不愉快になるのが嫌で、このごろは選挙のある日曜日は聴かないようにしている。
C、公約に責任をもて
今年、確定申告のとき、定率減税の枠が消えていることにアレと思われたことだろう。これは小渕内閣のときに恒久減税として決められたものだが、今年で廃止、わずか8年の減税だった。しかし、ガソリンの暫定税率は1974年に始まって今年で33年になる。さらにこれを10年延長するという。恒久が8年で、暫定が43年とはどういうことなのだ。政権をになう人たちは、もう一度中学へ入り直して恒久と暫定の意味を勉強してほしい。年金問題についても一言。昨年の参議院選挙の時は5000万件の不明は最後の一人までといいながら、解決済みは417万人に過ぎず、名寄せできたのも1172万人だ。そもそも前回の年金改定(2004年)の時、政府与党は「百年安心のプラン」といわなかったか。こんなことで安心といえるのか。政権をになう者はその発言に責任と自覚を持ってほしい。
D、後期高齢者医療制度
この4月から75歳以上の高齢者を対象とする新しい医療保険が始まった。これは世界でも初めてという、とんでもない制度だ。保険料は年金から天引き、とりはぐれがない。年金15000円未満の人は直接支払い、滞納すれば保険証を取り上げられ、10割負担になる。罹病者が増えれば保険料は上がる。長生きをすれば病気に罹る率も高くなるから、長寿者が増えればどこまで保険料が上がるか不安になる。また、診療報酬も別枠になるから、高齢者に手厚い医療機関ほど経営が悪化することになり、粗悪診療か高齢者の病院追い出しが起きないか心配だ。年よりは金がかかるから、早く死んでしまえといわんばかり、これでは敬老でなく軽老だ。すでに、保険料をとった年金は不明でも、きちんと対応せず、医療保険だけは年金から天引き。支払うべきものをきちっとせず、取るほうはがっちり頂くというのではあまりにひどすぎませんか?政府はネーミングが悪いからと長寿医療制度と称しているそうだが、それってブラックユーモアかといいたくなる。この制度は国民の大好きな小泉内閣の時、野党の反対を押し切って強行採決されたことを忘れてはいけません。
ものぐさ随感4 沖縄の心をふみにじってはならない。 永田獏
自民党の古賀誠選挙対策委員長が6月23日、宮崎県庁を訪れ、東国原英夫知事に次期衆議院議員選挙で自民党からの出馬を要請した。この日は沖縄の「慰霊の日」である。日本遺族会会長でもある古賀氏は戦没者追悼式典に出席する予定であったが、それを変更して知事との会談を優先させた。小泉劇場の二番煎じについてはここでは述べないが、何故、よりによってこの日でなければいけないのか。他の日ならいくらでもあったはずだ。「慰霊の日」にたいする認識の甘さ、軽視という外はない。沖縄戦では20数万の尊い命が失われた。現在の日本はこの人たちの犠牲によって与えられたものだと思う。彼はこのことをどう思っているのだろう。「英霊」にすまないという気持ちはないのだろうか。かって私が沖縄を旅して、あの最後の激戦地摩文仁(●まぶに)で、「平和の礎」の前に立った時、20数万の犠牲者の名前の刻まれた石碑に身が引き締まり、鳥肌がたつのを覚えた。潮騒の合間に亡くなった人たちのうめきが聞こえてくるようで、涙ぐまずにはおれなかった。広島と沖縄は戦後日本の原点だと思う。誰もが一度は訪れて、戦争の恐ろしさ、無益さと平和の大切さをかみしめるべきであろう。なのに、政権をになう与党の要人が選挙目当ての党利党略に走ってしまったのだ。これは断じて許せない。これを見過ごしたら、沖縄の人たちに申し訳がない。教育基本法を改定して、愛国心教育を推進しょうとしたのは何だったのだ。麻生首相は常々、「政局より政策」と言っていたではないか。なりふりかまわない姿は政権与党としての矜持すら失ってしまったのか。戦後の日本をリードした政党として、しっかりしてほしいものだ。
さらに問題なのは、新聞、テレビをはじめとしてマス・メディアがこのことについて事実を伝えるのみで、あまり批判をしていないことだ。沖縄の心を踏みにじるこの行為にたいしてメディアは糾弾すべきだ。それが国民を啓発すべきマスメディアの使命だと思う。また野党もこのことを追及したという話を私は寡聞(●かぶん)にして知らない。インフルエンザで、もし、一人でも死者が出れば国中大騒ぎになるのに、20数万人の犠牲者の慰霊をキャンセルしたことへの怒りの声も上がらない。私も友人知人にこのことを話したが、反応はいま一つであった。メディアも野党も国民もこぞって抗議すべきだ。それが沖縄の心に対する道義だと思うのに、どうして皆、もっと怒らないのだろう。それは我々の意識の中から沖縄が欠落しているからではないか。いってみれば古賀氏の行動は我々の心の反映なのだろう。我々は米軍基地の8割を沖縄におしつけて安全と繁栄を享受している。沖縄の失業率は最高、県民所得は最低である。沖縄戦の最後、太田実(●おおたみのる)海軍中将は「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電して自害した。沖縄のこの現状から、我々は彼の最後の言葉に答えているといえるのか。せめて6月23日は日本国民すべてが沖縄戦の全戦没者を追悼し、平和への決意を新たにすべきだと自戒をこめて訴えたい。(2009.7.15)
ものぐさ随感5 秋葉街道を歩く 永田 獏
私の家から正面に熊伏山が遠望できる。頂から左へ稜線をたどりV字型に切れ込んだ鞍部が青崩峠だ。あの峠を超えて多くの人々が幸せを願い、また塩をはじめとした種々の物資を求めて往来した。信仰の道、交易の道秋葉街道が続いている。かって伊那谷の人々が様々な思いを込めて行き来した道を何時かは歩いてみたいと思っていた。秋葉山へ22里、古希を目前にした体では今年が最後のチャンスかもしれない。「片雲の風にさそわれ」梅雨の中休みの6月13日朝、飯田の基点とされる八幡神社をあとにした。一日目は水神橋を渡り、三石甌穴の横を通り、神ノ峯の左をのぼって、小川路峠道唯一の水場にテントを張った。一番観音までは道標がなく、たびたび迷ってしまった。5番観音の手前では大きな猿に出くわしたが、“一匹猿に出会ったら、決してかまってはいけない。かまうと仲間を呼んで大変なことになる。”と聞いていたので、なにくわぬ顔でやり過ごした。明け方、鹿の鳴く声で目を覚ました。二日目は、八重河内まで。途中、木沢からは国道を離れて、中央構造線に沿ってのぼり、合戸峠を越えて和田に降りるのであるが、峠の先で道に迷って苦労した。八重河内では梁木島番所(関所)の近くでテントを張った。番所の管理をまかされているという、おばあさんが大きなきな粉ぼたもちと漬物を差し入れてくれた。疲れた体に適当な塩味の漬物は、ことのほか美味かった。三日目はいよいよ青崩峠を超えて遠州へ。峠からは、はるか秋葉山に続く山々が見渡せ「遠山はてしなく碧蒼蒼」という感じであった。ここから石畳の道が15分ほど続く、静岡県側では随所に「秋葉道・塩の道」(秋葉道・塩の道踏査研究会)という案内道標が立っていて解り易かった。暗い、杉林で、獣道あり、作業道ありで、これでいいのかと不安にかられていた時、この道標を見つけてホットし、どんなに励まされたことか。水窪を過ぎると、様相は一変し、川を挟んで急峻な山がせまり、空が狭い。ころがり落ちそうな急斜面に人家が散在している。水窪から10キロほどのところに偶然、延命地蔵の祠を見つけ、その前のわずかな平地にテントを張らしてもらった。テントも三晩目にもなると下着が肌にべっとりとまとわりついて眠れない。快適な生活に慣れた我々はもう昔にはもどれないと思った。多少無理でも今日で終わりにしようと、早朝、お地蔵様にお礼をいって祠を出発した。八丁坂を一気に西渡へ下った。ここで水窪川は天竜川に合流する。急坂にへばりつくように街並みが続いている。かっては天竜杉の筏流しで栄えたのだろう。ここの大井橋を最低高度として、道は秋葉山まで約800メートル上っている。疲れた体にはこれはきつかった。数個の集落と茶畑が散在する以外は深い杉林であった。「まむし注意」とか、真新しい杉板に「熊が出没していますので、注意を促します。(二匹です)」と書いてあったので緊張させられた。千代という集落から裏参道の町石が19番まであって、それも頼りにして歩いた。昼過ぎに秋葉神社に着いた。社殿は静かな中にも荘厳なたたずまいをみせていた。眺望はいまひとつであったが、時々上がってくるガスが神秘な雰囲気をかもし出していた。帰りは、バスで水窪に出て、そこから電車で帰飯した。苦労して歩いた4日間なのに、帰りはわずか2時間足らずである。エネルギー多消費の現代生活を思い知らされた旅でもあった。(2009.9.13)
ものぐさ随感2 小泉改革とプレカリアート 永田獏
プレカリアートとは雨宮処凜氏の同名の本によると、「不安定な」(プレカリオ)と「労働者」(プロレタリアート)を結びつけた造語で2003年イタリアの路上で落書されていたものだそうだ。日本ではフリーター、派遣、請負契約社員など非正規雇用者を指していうらしい。今このプレカリアートの増加が大きな社会問題として論議されているが、これはまぎれもなく小泉改革によるものだ。そして、皮肉なことに郵政選挙で自民党を大勝させたのは都市におけるニートとかフリーターと呼ばれた若者であった。当時、この選挙結果をみて、東大の姜尚中教授は「自らの墓堀人を選んだ。」と言われたが、その予言が的中したことになる。ではなぜ彼らは支持したのだろう。雨宮氏によれば、就職氷河時代にフリーターを余儀なくされた若者は「戦争でも起ってくれればいい。戦争が起って人が沢山死ねば社会が流動化する。」と言っていたそうだ。戦争でも起れば夢も希望もないこの閉塞状態が変わるかもしれない。そこに唯一の希望を見ていたのだ。そこへ小泉氏の「改革」「自民党をぶっこわす。」という言葉が踊ったのだ。「なにか変わるかもしれない。」と閉塞感に打ちひしがれたプレカリアートは熱狂し、民主党は都市で完敗した。 グローバル化に対処するという名分の下に派遣はあらゆる業種に拡大された。派遣業種の拡大とともに、大企業は国内回帰を始め、各地に工場が建設された。大企業はこれらプレカリアートの犠牲の上に過去最高益を続出した。彼らは会計上、人件費でなく単なる経費(物件費)だそうだ。血の通った人間ではなく部品扱いだ。Just in timeの在庫調整と同じく景気調節弁とされてしまった。部品だから寒空に寮から放り出してもなんら痛痒を感じない。世界のトップ企業のモラルハザードである。
改革には痛みがともなうが、セーフティネットを充実して救えばいいという論議を当時よく聞いたものだが、結果はどうだろう。雇用保険なく、健康保険なく、年金なく、職業訓練も受けられない。(訓練を受ける間、食べていけない。)最後のよりどころ生活保護も門前払い。ネットに大きな穴があいて底なしだ。そもそも、口入れ屋のような派遣業を自由化したことが間違いだ。派遣会社は顧客である企業サイドになるのは明らかで、労働者の側に立って企業に物申すなんてことは考えられない。むしろ、労働者を搾取して利益を上げることに熱心になる。いわゆる「貧困ビシネス」だ。労働組合も頼りにならない。強大な企業に一人で立ち向かえば結果は明らかだ。派遣会社と企業とに二重に搾り取られることになる。
官から民へという市場原理主義改革が行き渡れば日本は復活する、景気が良くなれば上から下へ波及して国民が豊かになるといったが、戦後最長の好景気にもかかわらず、国民の生活実感は少しも改善せず、大量の非正規雇用者を生み出しただけだ。新自由主義は破綻し、アメリカも日本も沈んでしまった。「自民党をぶっこわす。」といっておきながら、自分の地盤を息子に譲るという古い自民党的なやり方はなんなんだ。「怒るというより、笑っちゃうくらい、ただあきれる。」ばかりです。小泉劇場に踊ったわれわれの責任は重い。「改革」の功罪をきちっと総括すべきだと思う。(2009.3.13)
ものぐさ随感6 想像力に欠けた地方行政 永田 獏
ちょっと古い話になるが、定額給付金について、ある新聞の地方版に辰野町のことが載っていた。それは通帳のコピーの提出について「今回のやり方は誰でも身近でコピーをとれる都会感覚が前提になっている。町内にはコピー機のある店まで片道一時間もかかかる集落があり、コピー機の使ったことの無い年寄りもいる。」「私のような一人暮らしや老老介護の世帯に配慮が足りない」と訴えるものであった。私も常々行政の想像力のなさに憤慨している。運転免許の更新時、写真を提出したら、受付の女性から顔が中心線から2ミリずれているから駄目ですと、居丈高に取り直しを要求された。写真にミリ単位の正確さが要求されるとは思えないので強く抗議したら、認めてくれた。高齢者にミリ単位の正確さを求めることは大変なことが想像できないのだ。警察といえばむき出しの権力の末端である。ただでさえ萎縮するのにそんなに強く言われれば、気の弱い人は撮りなおしのために引き返すだろう。その人は高い交通費を使って遠くから来たかもしれない。あるいは会社を休んで来たかもしれない。日給や時給の人はその分収入が減ることになる。もし、行政側が間違えても“すみません”と頭を下げてすむけど、市民の場合は様々な条件を整えて再び窓口まで来なければならない。そういったことを想像して行政の窓口は対応しているのだろうか。それから、行政の文書はできるだけ平易にしてほしい。特に外来語のカタカナは避けてほしい。例えば防災で「助け合いマップ」というものを作ったが、何故「地図」ではいけないのか、マップと地図とどちらが多くの人に分かってもらえるのか。トリアージにいたってはなんのことかわからない。地方公務員はある種選ばれた優秀な人材だ。そのレベル(水準)で書いてはならない。市民への広報はカッコよさや知識をひけらかす場ではない。この言葉を使ったらどれだけの人が理解できるか想像力を働かせてもらいたい。勝間和代氏は自分の考える3倍易しく書いて丁度良く理解してもらえると言っていた。地方公務員は倒産も賃金カットもなく、めったなことでは解雇されない。それでいて夫婦で公務員なら豪邸が建つと巷では言われているほどの高給を食んでいる。公務員はサービス業だ。パブリックサーバント(公僕)として雇い主である市民に一般企業よりも一層のサービスに努めて当然だ。喬木村の大島へ行ったとき、役場の職員は大島という集落の存在を知らなかった。是ではきめ細かい血の通った暖かい行政など出来るはずがない。地域のことを良く知ってこそ、窓口に来た住民の生活やおもいが想像できるのだ。広域合併がなされた現在は一層地域の実情を知る必要がある。職員は不断の努力を怠らないでほしい。行政に携わる人にはどこかに本来は雇い主である市民に対して上からの目線で対応しているところがないだろうか。話は少しそれるが、昔、私が役所勤めをしていたころは、職場は市民の立つ窓口より一段高くなっていて、座って市民を見下ろして対応していた。立ち上がれば威圧は倍加した。 建物自体が官尊民卑の構造になっていた。さすがに今の役所はそんな所はないし、以前に比べればはるかに市民奉仕の態度になっている。窓口のむこうとこちらではその立ち居位置によって大きな気持ちの落差があることを忘れないで、想像力を磨き、一層の市民サービスに努めてほしい。(2009.11.6)
ものぐさ随感3 田母神論文と日本の安全保障 永田 獏
「田母神元空幕長、年収1億円の見込み」という週刊誌の見出しを見て、退職金7000万円の上に一億円とはまた「なんでー」という思いで、彼の懸賞論文を読んでみた。私なりに要約すれば、日本の大陸進出は相手国との条約によるもので、日本だけが侵略国といわれる筋合いではない。その後の植民地政策も穏健で現地人の生活は格段に向上した。日中戦争や日米戦争はコミンテルンに動かされた蒋介石やルーズベルトによって引きずりこまれたもので、特に、大東亜戦争は、もし戦わなければ、今頃は白人の植民地になっていた。また、この戦争でアジア諸国は白人国家から解放され、人種平等が実現したので、アジア諸国では肯定的に評価されており、わが国が侵略国家だったなどというのは濡れ衣である。さらに、自衛隊を戦える軍隊にする必要性を説いている。ここでは彼の主張や思考方法について、安全保障上の危惧を政治的軍事的に述べてみたい。まず政治的にいえば、彼の主張は戦後国際政治体制への挑戦である。日本はサンフランシスコ講和会議で侵略を認め、国際社会に仲間入りを果たして繁栄したのであって、これを否定すればアジア諸国の反発を招き、国際的孤立を招きかねない。日本はかって満州事変にたいするリットン調査団の日本侵略報告に反発して、国際連盟を脱退した。その結果、国際的に孤立し、戦争への道を進んだ苦い歴史がある。また、侵略かどうかも、いじめやセクハラと同じく相手がどう思うかである。日本が中国大陸や東南アジアに軍隊を進めたのは紛れも無い事実であって、その逆ではない。アジア諸国から反発を招いて孤立することは避けねばならない。軍事的にみれば、彼の思考方法は危うい。都合のよい事実だけを集めて結論を出すやり方は、ミッドウェー海戦で日本の機動部隊が壊滅的敗北を喫した後でも、勝利するというシュミレーションをしていた旧帝国軍隊と同じ思考方法だ。プラス、マイナス両方の要素を出来るだけ多く集めて総合的に判断しなければ犠牲者を増やすだけだ。さらに、論文とははずれるが、自衛隊のイラク派遣違憲判決を「そんなの関係ない」とうそぶいたといわれるが、戦前、政府の不拡大方針を無視して大陸に戦線を拡大した旧帝国陸軍に重ねて考えるのは思いすごしだろうか。かって吉田茂元首相は自衛隊を創設する時に三つの原則をいったといわれる。それは1、文民統制 2、旧帝国軍の残滓の払拭 3、アジア諸国民の信頼である。軍のトップが政府の方針に反する意見を発表するという今回の問題はこの三つの原則に反するものといわねばならない。一昨年の最新鋭艦「あたご」のみっともない事故といい、日本の空と海はこれで大丈夫だろうか。本を出せば売れ、講演はひっぱりだこという。どうしてだろう。それは、社会の閉そく状況にあってわれわれの過去は悪くない、むしろ犠牲者だ。もっと歴史に誇りをもてという、かれの歴史物語がわれわれの沈んだ心にとても心地よく響くからだろう。内向きになって傷をなめあっている偏狭なナショナリズムの危険を感じる。歴史の光と影を正しく見つめ、世界の人々と共に語り合える開かれたナショナリズムを形成することが必要だと思う。そうしてこそ日本の歴史と伝統に誇りをもてるし、一番の安全保障になると思う。彼は「歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」と述べているが同感である。(2009.5.30)
ものぐさ随感1 弱者きりすての道路行政 永田獏
先日、ある中央紙の投書欄に車椅子を使う者にとって歩道がとても使いにくいという記事があった。私も常々歩道の歩きにくさを思っていたので、再び四国遍路の経験から日本の道路行政がいかに弱者に過酷かということを述べてみたい。まづ、歩道の設置状況が悪い。予算等の都合で片側なのはまだ良い。問題は数百メートルいくと反対側に移り、長く歩けないことだ。四国の海岸は屈曲が激しく見通しがきかない。突然、山陰から大型トラックが猛スピードで走ってくる。その合間を見計らって渡るのは命がけだ。とても障害者が渡れるものではない。反対側に渡る横断歩道があるのはいいほうで、ないところもあるし、ひどいのは反対側の歩道にガードレールがあってそれを乗り越えねばならないところがあった。設計者はなにを考えているのかと思った。古い車道は一段高くなっている。農地や住宅に出入りするために一部車道と同じレベルにしてあるので、また、一段高くなっている古い歩道の場合、車庫などへ出入りするため、そこだけ車道と同じ高さにしてあるので、常に上り下りを繰り返さねばならない。街中で登山をしているようなものだ。段差でなく斜めにしてある所もあり、これがとても歩きにくく疲れる。車椅子ではひっくり返るのではと恐怖にかられるだろう。車道は平坦なのに歩道はいたるところで工事跡があってデコボコだ。足の裏は意外と繊細でこれがまた疲れる。車椅子では1センチの凹凸でも困難なことは知られていない。きわめつけは歩道の無いトンネルだ。一時入るべきか躊躇した。大きな二つの目玉を持った怪物が轟音をあげて迫ってくる。こちらを認識してくれるのを祈りながら歩いた。
車に乗っているときは歩道のことなど考えてもみなかったが、長い距離をあるいてみてこの国の道路行政の貧しさがわかった。弱者にどれだけ配慮されているかということが先進国であることのバロメーターの一つだと思う。そいう眼で住んでいる所を見ると同じようなことがいたるところにある。例えば、羽場坂から切石の交差点まで、点字ブロックが敷設してあるが、狭くて段差あり傾斜ありでとても視覚障害者は歩けないと思う。造りましたという格好ずけだけで全く役に立たない。予算の無駄遣いである。担当者は弱者の身になって想像力を働かせて設計すべきである。私の近所でも歩道橋工事が始まったが、完成すると信号付の横断歩道は廃止されるという。高齢者は重い買い物袋をさげて昇降しなければならない。車椅子の人はどうすればいいというのだろうか。車にとって邪魔な高齢者や障害者は地下道や歩道橋に押しやって、強い車が楽をし、弱い者が困難を強いられるというのか。「高齢者に優しい街づくり」という標語が空しく響く。景気対策でお金を使うなら、無駄な道路建設でなく、歩道の整備や、電線の地中埋設など暮らしやすい街造りに使ってもらいたい。
みなさんも一度車から降りて長い距離歩道を歩いてみてください。どれだけ歩きにくいかわかります。足腰の弱い人はちょっとした障害もつらいのです。私の知人の一人は縁石に躓いて骨折し一ヶ月入院、もう一人は斜めの歩道で転倒し肋骨をおって半年入院しました。我々は誰でも年をとるし、自分や家族が障害者にならないという保障はないといいうことを忘れないでほしい。(2009.2.19)
道路特定財源に思う。 永田 獏
小泉元首相が道路特定財源の一般化を唱えていた5ねんほど前、私は四国遍路で四万十川からほど遠くない山中を歩いていました。曲がりくねった川沿いの舗装道路は、車はほとんど通らず、苔が生えているような状態でした。ところが、山中のとある集落まで来ると、突然歩道つきの高規格道路が出現したではないか。私が国道から入ってこの集落まで3時間歩くうち、車に出会ったのはたったの3台でした。狭くとも、ところどころに待避所を設けるだけで充分なのに、なんでこんな広い道路が必要なんだ。まったく無駄ではないか。四国一週1200キロ歩く中で、こんな事例は枚挙にいとまがありませんでした。おそらく全国いたるところで、こういう事態が見受けられることでしょう。こんなことをしていてはいくらお金があっても足りない。
ここのカーブをなくしたい。あそこをもうちょっと広くしたい。道路の必要性は無限にある。今考えなければならないのは道路の必要性ではない。国家財政が逼迫している中、特定財源という予算の聖域を維持し続けることがいいのかどうかということだ。昭和29年に道路特定財源の制が作られてから50余年、充分とはいえなくも道路は一応整っていると思う。この飯田市でも何所へ行っても舗装はされている。満足でないのは私の家の前くらいのものである。しかし、老人施設に入居を待っている人は700人以上もいるという。寝たきり老人を家庭で見るなんていうことは、大変なことだ。へたをすると家庭崩壊になりかねない。子供を生めといわれても産婦人科医がいなくて、安心して生めない状況が報じられている。また、子供の学力の低下がさけばれて久しい。これからはこういった福祉、医療、教育、そして先端技術の開発に集中して、資金を投下していかないと日本は大変なことになる。
特定財源につながる官庁、業界は自らの組織防衛の為に、次々と道路の必要性をうみだし、膨大な予算を使ってきた。そして、上は所轄官庁を頂点とし、いく段階の土建業者から、下は日雇いとして土木に従事する地方山村労働者にいたる、就業者の6割という土建国家が出来あたったのである。この構造をあと十年続け59兆円を使うというのである。冗談じゃない。
小泉元首相のめざしたものの一つは、この土建国家からの脱却であったと思う。しかし、それが同じ政党内で行おうとしたために、きわめて不徹底になってしまった。小泉氏が去り、安倍氏が政権を投げ出して、またもとの旧態にもどってしまった。「自民党をぶっこわす」というフレイズに国民が喝采したのは、擬似政権交代に期待したからだ。野党に不安を抱く国民としては、これでうまくいなら、とっても都合のいいことであったが、今や擬似政権交代では、霞ヶ関や業界との腐れ縁は断ち切れないことがはっきりしてきた。地方切捨てという、小泉改革の負の部分のみが残ったことになる。結局、不安ではありながら真の政権交代以外には改革は不可能ということだろうか?(2008.4.5)
ものぐさ随感11 一枚の写真 永田 獏
9月2日の全国紙に見開き2ページを使った広告が載っていたのに気づかれましたか?向かって左側に大きなラブラドール、右側に可愛い柴犬が写っており、「日本の犬と、アメリカの犬は、会話できるのか。」という文言が書かれていた。この広告は日本の主要全国紙とニュヨークタイムス、ワシントンポストにも掲載されているということであった。9月2日という日が何を意味するのかすぐにはわからなかったが、広告の文言を頼りに調べたら、この日は1945年東京湾沖の戦艦ミズリー号上で日本が連合国との降伏文書に調印した日であった。その事に至った時、私は同じような構図の一枚の写真を思い起こした。それは1945年9月27日のマッカーサーと昭和天皇との会見の写真である。向かって左側に、背の高いマッカーサーが腰に手をあて、左足を少し前に出してくつろいだ雰囲気で立っている、その横にマッカーサーの耳くらいの背丈の天皇が正装姿で直立して並んでいるあの有名な写真だ。現人神天皇の上に君臨するマッカーサー、いかなる説明よりも日本の敗北を国民に知らしめた写真である。またアメリカの庇護の下に天皇制の存続を暗示するものでもあった。一枚の写真が世界を変えることがあるといわれるが、この写真はまさしく日本人の気持ちを鬼畜米英から対米従属へと変えた一枚であった。
1951年9月8日サンフランシスコ講和会議で日本は独立するが、独立とは名ばかりで、同時に結ばれた安保条約では、アメリカが「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留する権利」や事実上の「治外法権」を保証した。1960年に改定された新安保条約では対等だの双務性だのといわれたが、保守の論客西部邁氏にいわせればそんなものは偽善、欺瞞に過ぎない。彼我の軍事力の差が500倍も1000倍もあって、同盟など成り立たず、ましてや相手は核を持っている。自衛隊はアメリカの軍属であり、協力関係でなく、護っていただくのだという。日本犬の特徴は主人に忠実であるということだ。日本はひたすらアメリカの忠実なポチであり続けた。ベトナム戦争で世界中がアメリカを非難する中、先進国で最後までアメリカを支持したのは佐藤首相である。イラク戦争でも小泉首相はブッシュを支持し続けた。日本が国連の安保理常任理事国になろうとした時、「アメリカと同じ考えの国をもう一国増やしてどうする。」という反対論があった。世界が日本をどう見ているかという象徴的な言葉だろう。こうして日本は朝鮮戦争から始まって、アメリカが世界で血を流すたびにアメリカに追従し、経済成長をし、「家畜の平和」(江藤淳)と繁栄を享受してきたのである。降伏文書調印から65年、新安保条約自然成立から50年経った今、莫大なお金を使ってこの広告は何を訴えたいのだろう。もうそろそろアメリカのプロテクトレート(保護領、カーター大統領時代の安全保障特別補佐官ブレジンスキーの言)であることをよして、真の独立国として歩いたらどうかということなのか、いやいや、しょせん日本はアメリカに護ってもらわなければやっていけないから、このままポチであり続けるべきであるということなのか。ともあれ、どのようなメッセージが含まれているにせよ、多様なメディアが発達した現在、この一枚の写真はマッカーサーと天皇の会見の写真にくらべてはるかに影響力のないことだけは確かである。(2010.10.6)
ものぐさ随感9 熊野古道を歩く 永田 獏
四国遍路の次は是非熊の古道をという想いがあった。昨年、古希を前にして秋葉街道をテントをかついで4日間歩いて、まだまだ歩けるという自信がついたので、今年こそはと新年に誓った。連休の混雑を避け、天候の具合をみて5月8日早朝飯田を発った。熊野古道とは熊野三山(本宮大社、熊野速玉大社、那智大社)への参詣道で、紀伊路(大阪〜田辺)大辺路(田辺〜那智)、中辺路、小辺路(高野山〜本宮)、大峯奥駈道(吉野〜本宮)、伊勢路(伊勢神宮〜本宮)をいう。その中で、紀伊路は世界遺産に含まれない。私が歩いたのは中辺路である。中辺路は京、大阪から紀伊路で来た参詣者が田辺から本宮へ参り、そこから熊野川を船で下って新宮の速玉大社、那智大社に参詣して大雲取、小雲取を超えて再び本宮に参り、京、大阪に帰るという道である。紀伊路、中辺路が平安中期から鎌倉にかけて法皇や上皇の御幸ルートであったのに対して、伊勢路は江戸時代以降、伊勢参宮を終えた人たちによって歩かれた、いわば庶民の道である。「蟻の熊野詣」といわれ、1日に800人の宿泊記録があるほどにぎわったそうである。
現在、熊野古道としてよく歩かれているのは、中辺路の瀧尻というところから本宮までの40.3qを2〜3日かけるルートである。瀧尻には古道館という休憩所兼資料館があり、職員が色々説明してくれる。駐車場もあり、ここに車を置いて歩き、バスで帰るという方法を取る人も多いようだ。トイレや休憩所も多く、女性も心配なく歩ける。集落も道筋に幾つかあり、休日には飲み物や物品を販売する休憩所もある。私は田辺の市街地と熊野川下りを除く105qを5日かけて歩いた。車を置いて歩き、バスで車まで帰り歩いた所まで車で行くということを繰り返した。それのかなわない所ではテントをかつぎ野宿としゃれた。道は結構きつい。瀧尻からでも200〜400mの高低差の山や峠を7つも上り下りしなければならない。大雲取ルートにいたっては那智の大門坂から一気に500mの高度差の石段を上る。後白河上皇はこれを30数回も歩いている。多い時には814人伝馬185頭を要し、20数日がかりであったという。莫大な経費と労力を費やしてまで詣でる熊野信仰心の力には驚かされる。瀧尻からは多く林の中を歩く。原生林はわずかしかなく、ほとんど杉、檜の人工林である。人工林の林立する木立は緊張感があり、常緑広葉樹の自然林に入るとほっとして心が和らぐ。林がきれて展望のきくところからは、集落や田畑、幾重にも連なる熊野の山々が眺められる。歩いていて何よりも嬉しかったのは、道にゴミというものがないことだ。5日間歩いていて5指に余るゴミは見かけなかった。地元の人によれば、世界遺産になる前から天候に関係なく、毎日拾い続けた人がいたそうだし、今は地域をあげて清掃しているとのことだ。四国を歩いた時は、山も川も海もゴミだらけであった。新宮から那智への道で、1.5kmほど海岸を歩くところがあるが、そこにもゴミは全くといっていいほどなかった。同じ太平洋に面していて、土佐の海と紀伊の海とこうもちがうのかと思った。
那智山の大門坂の石段をあえぎながら上り、那智の瀧を仰いだ時、私はそこに神を感じた。身が引き締まる思いがして思わず手を合わせ頭をたれた。20代に来た時には何も感じなかった。ただ美しいとしか思えなかった。古よりこの瀧をご神体として崇めてきた人々の気持ちがよくわかった。年を重ね、自然に帰る日が近くなったせだろうか。その意味で古希を記念するにはまことによい旅であった。(2010.7.17)
ものぐさ随感10 参議院選挙と日本政治の問題 永田 獏
本紙7月19日付けで河見山彦氏が「参議院議員選挙に思う」と題した記事を載せられたが、私も今回の選挙結果から、日本政治の問題点を述べてみたい。今さらと気のぬけたビールのようですが、「ものぐさ」故と投稿してすぐ載せてもらえるとは限らないので、ご勘弁願いたい。
一つは選挙区制の問題である。氏は民主党が「あれほど票を減らすとは思わなかった。」と書いておられるが、実際は比例区で437万票、選挙区で325万票も自民党より多く獲得しているのである。しかし、議席は自民51、民主44で民主の大敗である。これには選挙区における選挙人数の格差が大きく影響していると思われる。例えば落選した千葉法務大臣は神奈川で69万票も取っているが、地方では13〜15万票の当選者もある。神奈川の人は一票が鳥取県の5分の一の価値しかないということになる。わが長野県では0.55で約半分ということになる。これは憲法で規定された法の下の平等の原則に反する。選挙は国民に保障された参政権の「唯一の」といってもいいくらい重要な権利である。これがこんなに格差があっていいのだろうか。最高裁では衆議院は2.92倍、参議院は5.85倍まで合憲としている。地方の少数者の声を反映するということを加味しても2倍までが許容範囲ではないかと思う。最高裁の判断は我々の常識から著しく逸脱しているといわざるをえない。先頃、西岡参議院議長は一票の格差是正のため、今年中の結論のとりまとめを目指す考えを表明したが、遅滞なくやってもらいたい。
二つ目は、政策の問題である。これは上の問題と深く関係する。複数区では自民と民主は議席をわけあってほとんど差はつかない。29ある一人区の帰趨が勝敗を分ける。今回も民主党は8勝21敗で自民党に完敗した。ではこの一人区はどういうところか。作家の石川好氏によれば、政治的には保守王国といわれる地方であり、経済力弱く、少子高齢化の最も進んだ地域である。例えば、秋田の場合、3K(公共事業、公務員、米)でメシを食っているといわれる。こういう地方が政治のキャスティングボードを握ってしまったのである。小泉改革では公共事業を10パーセント削減した。地方は疲弊し、シャッター通りが席巻することになる。そこで、前回小沢民主党は農家の個別所得補償を掲げて、23勝6敗で圧勝し、安倍政権は崩壊した。民主党政権では公共事業は18パーセントも削られ、そこへ消費税問題である。負けて当然である。まさに、地方の反乱であったというのである。保守的政治風土の基では思考は過去へ向いてしまいがちである。夢よもう一度、公共事業で潤った時代への政治的引力が働く、選挙に勝つために政策もそういう力におもねることにならないか心配である。高度成長期には公共事業で地方に分配することが出来たが、低成長の時代、古い政策に回帰している余裕はない。先端技術の開発や人材育成のための教育に集中的に投資しなければ、日本の未来はない。しかし、地方が疲弊するのを放置することは許されない。3Kに頼らずに地方がメシが食えるようにするにはどうしたらよいのか。政党の政策力が試される。政局に奔走するのでなく、自民も民主も地方の生きる道について活発な政策論議を展開してほしいものだ。(2010.9.3)
ものぐさ随感 13 自民党よ、お前もか! 永田 獏
2009年1月20日麻生政権参議院予算委員会で、民主党副代表石井氏は「漢字が読めない首相」という印象をつよめるために、麻生氏が首相に就任する直前に書いた文芸春秋11月号の論文中から、12個の難しそうな漢字を選び出してボードに書きあげて麻生氏に読ませていた。テレビでそれを見た私はあまりのくだらなさにあきれてしまった。これがこれから政権を奪取しようとする政党の副代表のする質問なのか。そもそも予算委員会とは何をするところなのか。税金をこれから国民のためにどう使うかを論議するところだろ。漢字クイズのような言葉遊びをしている暇があったら、予算案の中身をもっと検討しろよ。腹が立ってその夜、民主党本部に抗議のメールを打った。あれから一年、攻守入れ替わって今年の補正予算案の審議はどうか。“あー自民党よ、お前もか!”といわざるをえない。いれかわりたちかわり閣僚の発言の言葉尻をとらえてかみつき、謝罪を要求する。いい加減にしてくれと、TVに向かって物を投げつけたくなった。こんなことのやり取りでどれだけ貴重な時間を費やしたと思うのか。こんなくだらない質問をさせるためにわれわれはあなた方を選んだのではない。それこそ税金の無駄遣いである。どうしても追究したければ冒頭に針の一刺しくらいにとどめ、後は週刊誌やテレビのワイドショーにまかせればいい。ちゃんと予算案の中身を議論してほしい。国会の外では若者や高齢者が先行き不安な日々を送っているのだ。一日たりとも無駄にはできないはずだ。与党も野党も長い自民党政権時代の国会審議の悪弊が払拭しきれていない。確かに自民党が多数を持っている時代にはどんなによい意見を述べようと予算案は修正されなかったのである。結果は論議する前から決まっていた。だから、国会審議は一種の通過儀式のようなものであった。したがって、野党のすることは政府や与党議員のあることないこと取り上げてだらだらと時間を引き延ばすしか対抗できなかったのである。それに対して与党は強行採決、野党の物理的抵抗、野次と怒号の中で成立というパターンのくりかえしであった。だが、安倍政権が参議院選挙で敗北してから国会審議の意味的変化が起った。数の論理は通用しなくなった。参議院で野党の反対があれば法案は通らない。まだ、この時は与党が衆議院で三分の二をもっていたから、再議決でなんとかしのげたが、今は与党は三分の二を持っていない。予算案は成立しても予算関連法案や一般の法律は野党がこぞって反対すれば通らない。通らなければ政治は停滞し、国民生活が犠牲になる。与野党がそれぞれの主張をぶっつけあって、妥協をし、政策をねりあげていかねばならない。今までのように野党は単なる政権のチェック機能から政策を作り上げるべく、役割の質的変化が起っているのである。先の参議院選挙で民主党が敗北した時、ある大学教授は、ここからはじめて、民主主義下の国会論議が始まる。ねじれ国会を国民が選んだということは、国民が本物の民主的国会にしてほしいという意思表示に他ならないと述べていた。あーそれなのに、現実は揚げ足取りに熱中し、国民そっちのけで政局に終始している。これじゃあ、国民の政治離れが進まないかと心配である。先頃、自民党参議院議員の世耕弘成氏は新聞紙上で「ねじれ国会の原則は、それこそ『熟議』によって与野党の対立を丁寧にほぐすこと。参院自民党は抵抗だけの党にはならない。対案を出します。」とのべていた。通常国会の論議に期待しよう。(2010.12.21)
ものぐさ随感7 少子高齢化を恐れる必要はない 永田 獏
少子高齢化が騒がれて久しい。元旦の新聞にも昨年7万5千人の人口減少とある。私はずっと以前から、少子化はそんなに問題ではなく、むしろ歓迎すべきことではないかと思っていた。まず、少子化によって労働者の価値が上がる。政府に乗せられて沢山子供を持てば、益々就職難になり、労働賃金は下がる。またグローバルに考えれば、今、地球の人口は68億、40年後には91億になるといわれている。エネルギー、環境からみて、地球はこの人口増加に耐えられるだろうか?一人当たりのエネルギー消費量でみると、国によって最大1000倍の差がある。日本人はアジア人の10〜100倍のエネルギーを消費している。一人増えれば、アジア人の数十人分のエネルギーを消費することになる。先進国の人口増加が問題なのだ。日本は何の強制政策もとらずに自然に人口減少している。こんな理想的なことはないように思う。私の子供のころは世界の人口26億、日本の人口9千万と暗記させられた。40年後、日本人口は1億人を割ると推計されている。子供のころの人口になるだけだ。一歩ゆずって人口減少は大変だから少子化対策が必要だとしよう。もし、劇的に多く子供が生まれたとしても、彼らが一人前になるには20年近くかかる。さらに、それが層として社会を支えるにはもう20年、つまり40年を必要とする。その間、増大する高齢者と子供の両方の非生産年齢人口を働き手が支えていかなければならないという皮肉なことになる。しかし、そうはならないだろう。少子化の流れは止めようがない。ではどうするか。昨年、東大の赤川学准教授が「少子化対策はやめよう。人口減を前提にした制度設計を。」という論文を新聞に発表された。まさしく私が想っていた事と同じであるので、意を強くした。先年亡くなられた元厚生省人口問題研究所長黒田俊夫氏も、人口減少は「高齢者も働ける仕組みを作れば大丈夫、地球規模でみれば人口爆発の方が危機」と訴えられた。麻生前首相も「高齢者は働くことしか能がない」と言葉尻をとらえて避難されたが、高齢者の働ける能力を役立てるという真意は、大いに賛成である。70代でも元気で意欲のある人は一杯いる。高齢者には長年積み重ねた智慧がある。衰えたのは体力と記憶力だ。そんなものは機械の力でカバーできる。私が就職した時は、定年は55歳だった。そのころの60歳より今の70代の方がはるかに元気だ。70代まで働ける仕組みを作れば生産年齢人口は増大する。さらに活用すべきは女性の労働力である。女性の能力は体力以外に男性に劣るものではない。これを男性の補助的業務に押し込めておくのはもったいない。さらに引用すれば、昨年11月に訪日したOECD(経済協力開発機構)のグリア事務総長も「日本の経済の落ち込みは厳しいものがあるが、反面、活用されない膨大な資源がある。それは人口の半分を占める女性である。この眠れる能力を目覚めさせることに力を注ぐべきである。そこに希望がある」という意味のコメントを出している。女性の能力を有効に活用した企業こそが発展するというのが私の持論である。高齢者や女性の働きやすい環境や仕組みを構築すれば、少子化は心配することはない。人口抑制が世界の流れとするならば、人口減少に対応した制度設計がうまく構築できれば世界の「一位」になれる。そこにビジネスチャンスが生れるかも知れない。赤川氏は「滅びの美学」といわれたが、発展へ希望に変えることが出来るかもしれないのである。もちろん、それには既成の概念からの発想の転換と、強力な政治的リーダーシップが不可欠である。(2010.1.19)
ものぐさ随感11 冷静に 永田 獏
世は尖閣諸島問題でゆれている。「弱腰外交。」「それでも男か。」「だから、中国になめられる。」はては「自衛隊を尖閣に派遣しろ。」なんて、評論家やコメンテーターの物騒な意見がメディアに踊っている。冷静であるべき国会の論議でも過激な意見が飛び交っている。これらの評論家や代議士はちゃんとした見通しを持って発言しているのだろうか。強硬論を展開してナショナリズムを鼓舞すれば、格好がいいかもしれないが、えてして、勇ましいことを言う奴にのせられるとろくなことにならないものだ。自衛隊など派遣して、双方の国民感情がエスカレートすれば、偶発的に衝突事件が起きるかもしれない。そうすれば戦争だ。あらゆる動物はテリトリーの問題では異常に興奮する。2008年福田内閣のときに、ここで台湾との間で同じようなことが起り、海上保安庁は、はじめは相手が衝突してきたと発表したが、たまたま台湾の遊魚船の乗客がビデオを撮っていて、日本側の過失がわかった。そこで、日本は台湾に謝罪し、賠償金2700万円を支払ったということがある。その時、台湾首相は戦争も辞さないとの物騒な発言もした。国民感情がエスカレートすると困るのは政府のとる政策の幅を狭めることになるからだ。いい例が拉致問題である。世論の反発は小泉政権の思惑をふっ飛ばし、強硬策以外の選択肢を封じ込めてしまった。あれから8年、なんらの進展も見られず、見通しもたたない。いたずらに時が経っていくのみである。また、偏狭なナショナリズムは国を危うくし、国民を不幸にする。9.11同時テロでは、94%の熱狂的支持でブッシュ大統領はアフガンを報復攻撃し、その後イラク戦争も始めた。その結果何がもたらされたか。テロとの戦いに勝利するどころか戦争は泥沼にはまり、アメリカの若者の命が4700人以上も失われた。莫大な戦費はアメリカ経済を疲弊させ、ユニテラティズム(単独覇権主義)の面影もなく、アメリカの威信は地に落ちた。いきりたって良い結果が得られることはない。政治家がなすべきことは、いかに現実を踏まえて国民が平和に幸せな暮らしができるかということを第一に考えるべきである。いまや、中国は日本を抜いて世界第二位の経済大国である。政治的にもアメリカと並んでG2といわれだした。アシアにおいて20世紀は日本の時代といわれたが、21世紀はまぎれもなく中国の時代である。日本の対中貿易はアメリカを抜いて第一位であり、日本の企業26000社(アメリカは28000社)が進出している。国内には「中国製」品があふれている。もはや豊かな中産階級が増大している中国市場を無視して日本経済は成り立たなくなっている。今回の事件で体制の異なる国との付き合い方のむつかしさ、怖さを思い知らされたが、かといって、この厄介な隣人と付き合わないわけにはいかない。大好きなアメリカの近くへ引っ越せないのである。ここは原則を堅持しつつ柔軟に大人の対応をすべきである。もともと卑弥呼の時代から、中国に形式的服従をして実利を得てきた。戦後はアメリカのポチとして経済的繁栄を気享受した。エコノミックアニマルといわれたのもつい最近のことだ。いまさら、粋がってみてもしょうがない。それとも「武士は食わねど高楊枝」で侍の意地ををみせて沈んでいきますかね。アメリカにペコ、中国にペコ、ペコペコで語呂もちょうどいいと思いますがね。どうしても我慢がならないというなら、日本でしか作れなくて中国がどうしてもほしいものを生み出す以外にないと思う。どうせ喧嘩するなら技術と経済面でやってほしいものだ。(2010.11.5)
ものぐさ随感8 米軍基地は必要か 永田 獏
先日来飯したジャーナリストの大谷昭宏氏は沖縄普天間基地問題に関して、「大阪の橋本知事ははじめていいことを言った。米軍基地を関西空港で引き受けてもいいと言った。大阪以外何所も引き受けようと名乗り出る自治体はない。沖縄戦で20数万の犠牲を払い、戦後は米軍に占領され、今、米軍基地の75%を引き受けている。そういう状態を放置していていいのか、同胞としてどう考えるのか。」と憤慨しておられた。まったく同感である。嫌なものは沖縄に押し付けておいて自分達は平和な生活を享受していていいのだろうか。このことはゴミ焼却場や産廃処理施設建設問題とよく似ていて、地域エゴである。民主社会では地域エゴはしばしばあらわれる。それは決して悪いことばかりではない。エゴとエゴがぶつかりあう中で論議が深まり、ゴミを減らそう、産廃を出さない仕組みをつくっていこう、嫌なものは作らないでも済むような構造にしていこうとになっていく。ところが基地問題ではそうなっていない。鳩山首相の深謀遠慮なのか単なる優柔不断なのか、年末から結論を先延ばしにしているが、エゴのぶつかりあいの論議が巻き起こってこない。メディアも安保条約は不動のものとして論じている。戦後無条件基地提供から始まった対米従属構造から抜け出ていない。「アメリカの機嫌をそこねたら大変なことになる、アメリカに守ってもらうのだから何でもいうことをききます。」ということでゲーツ国防長官に恫喝されてビビッてしまう。一体何所の国のメディアだろう。アメリカにすればこんな扱い易い国はない。基地は作ってくれる、基地の自由使用権は認め、治外法権的特権もある。使用料はただ。空と海は使い放題。おまけに基地の運営費の一部もおもいやり予算とうかたちで出してくれる。聞くところによると、海兵隊のグアム移転に際しての費用は沖縄からの米軍だけでなく、アメリカから来る軍人用の住宅費も日本が出すそうだ。こんなおいしい話はないだろう。ちょっと脅しをかければ追従してくる、日本はアメリカの51番目の州と思っていたが、これじゃあ州以下の植民地だ。
1960年に改定された新安保条約は1年の事前通告で一方的に破棄できる。安保体制は米ソ対立の中で生み出されたものである。冷戦構造が終結した今、安保体制そのものの議論が必要なのではないか。かって鳩山首相は駐留なき安保といったし、小沢氏は抑止力として第7艦隊だけで充分だと述べた。アメリカのような超大国でさえイラクやアフガンの戦争で経済は疲弊しているのに、海を渡って攻めてくる国がどこにあるのだろう。ロシアは日本の援助で原潜の解体をしている始末だし、北朝鮮のGDPは島根県のそれよりも低い。艦船を仕立てて攻めてくる力などとうていありえない。狂気になって暴発すればミサイルが飛んでくるかもしれないが、そもそも抑止力は相手が合理的に考えると想定される時にのみ有効で、狂気に対しては無力である。日本もアメリカも中国なしには経済が成り立たない。多少の緊張関係があってもドンパチすることはありえない。これらの国々は一度たりとも日本に攻めてきたことはない。逆に日本はいずれの国にも出兵している。ともあれ、我々は今までの「安保条約の論理から抜け出たところで世界を見る視点」から日本の安全保障を考えるべきであろう。その結果、どうしてもアメリカの基地が必要というのなら、沖縄ばかりにそれを押し付けてはいけない。長野県は北沢防衛大臣の地元だ。「内陸でよければ長野県へどうぞ。」くらい言ったらどうかと思う。(2010.4.14)
ものぐさ随感15 へそ曲がりと民主主義 (新聞ではリニアへの苦言) 永田 貘
今回の福島原発事故で、この地のリニアフィーバーも冷水をあびせられて下火になるかと思いきや、逆にますます加熱する勢いである。地元紙が一昨年行った調査では、飯田駅設置を望むが68.5パーセントの人が賛成とあった。この傾向は今も変わっていないだろう。その時のコメントに「どこにもへそ曲がりはいるもので、望んでいないが5.1パーセント」 というのがあった。私の友人でリニアに疑問を持っている君は「へそ曲がりとはなにごとか!」と怒っていた。少数意見の尊重は民主主義の重要な原則の一つである。それを変人扱いして無視しようとするのはきわめて危険である。先の大戦では戦争に反対する者を国賊、非国民として弾圧し、300万人の命と財産を失った。高度成長期には水俣病が発生した。これも、早くから新日本窒素水俣工場のメチル水銀化合物説がいわれていたのにもかかわらず、地域や学者を動員してこれを否定し、奇病扱いして差別と排除をした。政府が水銀説を正式に認めたのは発生から15年も経ってからである。もし、早期に一部の医者や学者、患者の意見を取り入れていれば、多くの人命が救われたであろう。今に続く患者の広がりも防止できたし、「ミナマタ」が公害の象徴として、悪しき国際語になることもなかったであろう。直近では福島の原発事故である。このような事態になることは、すでに2007年に共産党福島県議団が指摘して、改善を求めていた。しかし、東電はこの申し入れを拒否したのである。その結果、人々は住処を追われ、父祖伝来の土地と財産は無価値となった。最悪の場合、「第二の敗戦。」国家存亡の危機を招きかねない事態になっているのである。かように少数意見の尊重は大事なことである。ところが、当地ではリニア、リニアの大合唱で、これに疑問を投げかける意見はかき消され、「へそ曲がり」は非市民にされそうな勢いである。この勢いは地域の隅々まで及び、はては、教育の場にまで及んでいる。小、中学校では、早期実現と飯田駅設置を謳った実験線の写真入りの下敷きが配られた。話はそれるが、このことを知ったとき、私は戦時中の満蒙開拓青少年義勇軍のことを思い起こした。下伊那は全国で最も多くの青少年を満州に送り出した。その実に77パーセントが教師の勧めと答えている。(1941年、内原訓練所調査)下伊那の教師たちは国策に沿って、王道楽土の建設を説いてまわったのである。満州に渡った5人に一人は再び故郷の土を踏むことはなかった。このことに対して、信濃教育会は未だ組織として痛切な反省をしていない。この体質がバラ色のムード作りに子供たちを差し出すことになったのではないか。企業や各種組織が、それぞれの思惑で都合の良い現実のみを見て運動するのは仕方がないが、行政までがそれであってはならない。行政の本務はまず第一に住民の生命と財産の保全である。プロジェクトによって起るあらゆる可能性を検討し、情報を住民に開示すべきである。光の部分のみで住民を誘引してはならない。原発の町、双葉町の「原発選択、後悔の念」という新聞見出しをかみしめるべきである。企業やそれにつらなる学者のいうことが、いかにいいかげんか、東電問題でわかったはずである。JRも政府の中央新幹線小委員会答申も具体的な問題には答えていない。いくら「後悔の念」を持ったところで、誰も責任をとらない。結局甘言に乗せられた住民が背負うことになる。ここは住民の安全の確保という原点に立ち返って、「へそ曲がり」に耳を傾けるべきではないか。(2011.5.27)
ものぐさ随感18 警察と軍隊は国家の暴力装置である。 永田 獏
一年ほど前、仙石由人元官房長官が自衛隊を「暴力装置」と発言して、問題になったが、最近東日本大震災における自衛隊の活躍を機に、保守的メディアで再び話題になっている。私は仙石氏の発言はリアリズムに立脚した政治家の見識として、高く評価したい。
あらゆる動物の紛争は最終的には暴力(物理的力の行使)によって解決される。群れをつくる動物にあっては、その秩序は暴力(力)によって維持される。人間も例外ではありえない。しかし、人間社会にあっては個々の人間が紛争解決に暴力を用いることは許されない。そんなことをすれば世の中、血みどろの争いになって収拾がつかなくり、社会が崩壊してしまう。そこで人間は国家をつくり、そこに権力を委譲して秩序を維持しようとした。民主社会にあっては、暴力は否定され法によって秩序を維持しようとしている。だが、人間すべてが法に従うとは限らない。法に違反する者が必ず現れる。その時、力ずくで従わせる組織が警察である。これがなければ社会秩序は維持できない。暴力否定の民主主義は警察という暴力装置がなければ機能しないのである。アウトローの組織(暴力団等)の物理的力が警察を上回った場合は軍隊の出動が必要になる。かってオウム真理教団はサリンなどの化学兵器や細菌兵器の製造開発に着手し、散布用のヘリコプターも購入していた。さらに核兵器開発用のウランの入手もはかっていた。もし、彼等の計画が成功していたならば警察の手には負えず、当然自衛隊の出動ということになったであろう。
一般に、内に合意形成が不可能なときに最終的に発動されるのが警察で、外に合意形成が不可能なときに最終的に発動されるのが軍隊(ともに暴力装置)といわれているが、現在国際社会にあっては、国際法を強制する暴力装置を持たない。従って紛争は最終的には国家間の力=戦争によってしか解決されない。そして強大な軍事力を持った国による国際秩序が形成される。いわゆる「アメリカの正義」である。「アメリカの正義」に反する者は「悪の枢軸」として糾弾されてしまう。「アメリカの正義」がいかに不条理(ダブルスタンダードなど)であろうとテロという形でしか対抗し得ない。ただ救いは、どんなに強大な軍事力を持とうと人々の支持がなければ有効に働かない。それはイラクやアフガンでのアメリカの失敗をみれば明らかである。
人間が真に理性的な動物なら、暴力装置は必要ないであろうが、悲しいかな現実は理性半分、欲望半分である。フランス革命の指導者ロベスピエールは「民衆政治の指導原理は徳(法)と恐怖(力)であり、徳なくして恐怖は罪禍であり、恐怖なくして徳は無力である。」と言っているが、民主社会にあっても恐怖(暴力装置)なくして法は無力である。自民党の谷垣総裁は仙石発言にたいして、「自衛官にたいする冒涜である」と追求し、菅前首相は「自衛隊の皆さんのプライドを傷つけた」と陳謝したが、全くその必要はない。警察と軍隊という暴力装置に担保されることによって、内外の欲望の体系から国民の生命と財産が守られるのであり、民主主義の秩序が維持できるのである。いずれも民主社会の守り手として誇りを持っていい。(2011.11.17)
ものぐさ随感14 自然保護と捕鯨問題 永田 獏,
正月、今季はじめてシーシェパードが南極海で妨害行動に出たというニュースを見て、捕鯨問題を通して自然保護について考えてみたい。SSの会長はインタビューで「人間のためにやっているのではない。私が尽くす相手は、自分を守るすべを知らない声なき動物達なのです。人間と同じこの地球に存続する権利を持つ動物たちなのです。」と述べているが、それはまやかしで、生物に固有の生存権を認め、保護すべきというなら、われわれはなにも食べられず生きていけない。第一、人間は一番の自然破壊者なのだから、自然保護のためには、人類が滅亡する以外にないということになる。だから、生物多様性の保全といい、種の保存といい、それはすべからく人間にとって有用だからであって、それ以外ではない。われわれが保護活動をするのは人間のエゴイズムに基づく選択的保護なのである。(ある植物は雑草として取り除かれ、ある動物は害獣として駆除される。)反捕鯨派の人々は「クジラは知的な動物であるから、食べるのは野蛮で残酷である。」「捕鯨は人道に反する。」という。知的なら駄目で、そうでなければいいなんて、生命に軽重をつけるのは人間の傲慢なエゴである。また、残酷でない生き物なんてない。スペインの闘牛は牛をなぶり殺しにして楽しんでいる。フランスのフォアグラはガチョウを脂肪肝にして美味しく食べている。家畜ならいいという意見がある。しかし、野生動物には何万分の一かの生存の可能性が残されているが、家畜は生れた時から食われる運命にある。生命に対するこれほど残酷な仕打ちがあるだろうか。私が散歩するコースに牛舎があるが、私が通りかかると子牛が一斉に私の方を見る。とても可愛い目をしている。ああ、この子たちは食べられるためだけに生かされているかと思うとたまらなくなる。だが、家に帰ればすき焼きに舌鼓を打つのである。人間はそういう業を背負った存在なのである。他の生物の命を奪わねば生きていかれないのである。われわれは自然にたいしてエゴに徹する以外にない。
その観点から、クジラ問題を見ると、かっては乱獲によって激減したクジラも種類によっては増えすぎてしまったものもある。例えば南氷洋のミンククジラは76万頭いる。絶滅が心配されているシロナガスクジラの繁殖を妨げているという意見もある。年4パーセントの増加としても3万頭のクジラが継続的に利用できる。できるというより、必要なことである。なぜなら、このままクジラが増え続ければ魚をめぐってクジラと人類が競合する。クジラが食べる魚の量は年間2〜5億トン、人間は9000万トンである。世界の人口は50年後には100億をこえる。漁業資源の利用は必須である。これらの人々の蛋白源を陸上でまかなうならば、広大な熱帯林を伐採して、牧草地を増やさなければならない。そこで飼われる牛や羊が出すげっぷは大量の炭酸ガスを吐き出し、温暖化を加速する。深海から南極まで人間活動の影響が及ぶ現在、人間が関与せずにすませる自然はありえない。クジラの過保護は生態系のバランスを崩す。このことは鹿の食害による森林破壊で経験済みのはずだ。増えすぎたクジラを間引いて利用することは、生態系にとって必要なことなのである。生物多様性条約第一条では構成要素の持続可能な利用を規定しているし、国際捕鯨取締条約の前文では鯨類の保存と利用をうたっている。従って捕鯨問題で論ずべきは、科学的調査に基づくクジラ資源量と利用の方策であるべきである。ところが、IWC(国際捕鯨委員会)における反捕鯨国の主張は「資源の如何を問わず、いかなる場合にあっても捕鯨の再開を認めないのがわれわれのポリシー」なのである。かれらは「一頭のクジラを護れずしてどうして地球を、人類を護れようか」といってクジラを環境保護のシンボルに仕立ててしまったのである。これでは科学的論争の場が感情的対立になり、はては宗教論争となり収集がつかなくなる。かってC・W・ニコル氏は「欧米人はクジラを神様にしてしまったから、どうしようもない。」といっていた。ここは人間は自然に対してエゴイストであるという原点にたちかえって、人類の未来のために知恵を出し合うべきだろう。(2011.1.16)
ものぐさ随感 17 従順なる国民 永田 獏
節電の夏も終わった。毎日テレビの画面に映る電力需給のグラフ見て、節電しなければという強迫観念にしばられる必要がなくなってホットしている。それにつけても夜、エアコンを付けずに熱中症で亡くなった高齢者のニュースを聴いて、日本人はなんとお上にたいして、従順で素直だろうと思った。電気の受給が逼迫するのは、夏、昼間気温が30度を超した午後1時から3時頃で夜は電気は余っているのだ。しかも、電気は貯めておけない。夜は節電する必要はないのだ。国民はかように政府のいうことに無批判に従ってしまう。いったいどれだけだまされれば、目が覚めるのだ。安全で安いという神話が崩れたら、原発がなくなれば、電気が不足して大変だとおどかされる。しかし、この夏、東電は東北電力に電気を融通したというニュースに接すると、なんだ電気は足りているじゃんということになる。そうすると、今度は原発を廃止して自然エネルギー買い取り制度にすれば、料金が上がり企業の海外移転が起ると脅かされる。またそうかと納得してしまう。
仙台へボランティアに行ったときも、当地のボランティア組織の人が「災害の時、外国で起っているような犯罪は報道されないだけで、すべてあります。ただ唯一ないのは政府に対する暴動だけです。」と言っていた。イギリスなどで若者が不満を持ち、暴動を起こしているのに、日本ではその気配すらない。権力者にとってこれほど扱いやすい国民はないだろう。だからこそ与野党とも政局にうつつをぬかしておれるのだ。
かって、高度成長時代、土地バブル盛んなりし頃にも、このような感じを持ったことがある。土地の値段はどんどん上がり、オイルショック後は建築単価も2倍以上になった。普通の労働者がまじめに働いても、「ウサギ小屋」と揶揄(やゆ)されるようなマイホームすら容易にもてなかった。退職金までもあてにして、ひたすら働いた。残業はあたりまえで、残業が減ると困るから、もっと残業させろと要求する始末、企業にとってこれほど都合のいい労働者はない。こんな政治、フランスだったら、とうに革命が起こっていただろうと思ったものだ。
さらにさかのぼれば、我々は政府にだまされてアメリカとの戦争に突き進んだ。当時、日本はアメリカから石油やくず鉄を輸入していた。そこと戦争してどうするんだ。ヴェトナムの石炭やインドネシアの石油など、長大なシーレーンを敵の潜水艦からどうやって守るというのだ。ちょっと考えれば無理なことがわかりそうなのに。
そして、敗戦。昨日までは鬼畜米英、今日からは「アメリカさんありがとう」とアメリカの民主主義を素直に受け入れた。日本はアメリカの民主主義の押しつけが成功した唯一の例だといわれる。ヴェトナムでも、イラク、アフガンでもアメリカは失敗し、介入の度ごとに威信は落ちていった。今また、リビアに介入しようとしているが、ヨーロッパに比して、アメリカの腰が引けているのはまた失敗するのではないかとの危惧があるからではないだろうか。してみると、日本国民は日本の権力者のみならず、アメリカにとっても、とてもここちよい民であったということか。
敗戦から6数年、そろそろ我々は権力者にとってやっかいな国民にならなければいけない。そうしなければ、政治家達はろくな政(まつりごと)をしない。(2011.10.7)
ものぐさ随感 16 仙台で考えたこと 永田 獏
東北大地震から3ヶ月経った6月末、仙台市へ3日間ボランティア活動に参加しました。災害の状況については、既に多くのメディアが報じているので、詳しくは述べませんが、とにかく大変な状況でした。ここでは、わずか3日間でしたがそこで感じたことを2,3述べたいと思います。
まず第一に、大災害時にはボランティア活動がとても重要であると言うことです。被災者救援には膨大な量の作業がある。これを官ですべてやることは不可能です。被災者の生活すべてに対応しなければなりません。多くの人員と物資がいります。これを平時から用意することは財政が許さない。それに今回のような未曾有の災害では、公務員も多く被災していて、機能が麻痺していた。職員の4割近くが亡くなったところもある。全国から集まったボランティアが官の不足を埋めていったのです。それから、公では上からの指示まち、公正、公平ということが求められるので、迅速な対応ができない場合がある。ボランティア活動では多少の不公平はあっても、出来る人、できる所からやっていける。また、ボランティアでは公の目の届かない場所、領域に細かに対応していける。例えば、忘れられた入り江にある小さな集落への救援、アレルギー用の粉ミルクの配布、障害者への対応などです。
ボランティア組織や、活動が有効に働くには、ボランティア組織のネットワークを構築しておくことが重要だと思った。われわれも仙台のあるボランティア組織と連絡がついていたので、集めた義援金や救援物資を届けた、かれらは地域で顔の見える活動をしていたので、有効に活用してもらえたと思う。ある施設では公の支援から忘れられて、支援物資が全く届かなかった。そこで、その施設の長は自らのネットワークを使って全国から支援物資を集めたそうだ。おしまいには集まりすぎて、公の避難所にも回したということです。
次に支援活動にはゆとりが必要だということ、現地のボランティア組織の人たちは、時にははお酒を飲んで、カラオケを歌っていた。目の前に救いを求めている被災者がいるのに、なんと不謹慎なと思ったが、大災害の場合、救援活動は長期にわたる。人間はそんな長期間の緊張には耐えられない。こういう場合、3ヶ月が限度だそうです。阪神大震災のときも、まじめで一生懸命に活動していた人が、3ヶ月くらいで心が壊れていき、自殺者も出たそうです。今回もボランティア組織や公務員から、そういう事例が報告されている。公務員の場合は深刻です。新聞にも「石巻市職員、強いストレス」という東北大の調査が載っていた。3ヶ月も経つと、被災者間の格差も広がり、不満が増大する。行政に対する不満が末端で頑張っている役人のところへ集中する。「家を流され、肉親を亡くし、職場もない。先は真っ暗なのに、おまえ達は安定した職場で賃金もちゃんともらえる。もっとしっかりやれよ。」公務員たたきによって、不満解消をする。公務員だって被災している、家族の事が心配でないはずはない。時には休んで家族のもとえ帰っていいんです。仙台の人も言っていた。「私たちは楽しんでやっています。楽しくなければ、こんなこと長くやってられません。」自分で気がつかないうちに心が壊れていくのを防ぐにはゆとりが必要だ。
最後に、仙台で見た災害の現実は、地球の大きな営み前に、人間はいかに非力であるかということを思い知らされました。自然を征服するなんていうのは、傲慢で不遜な考えです。フィリッピンプレートは御前崎で年5oユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。赤石山脈(南アルプス)は年4o隆起している。これは止められない。東海地震は必ず起きる。我々は先人の知恵や経験に学んで対処しなければならないと思います。(2011.8.18)
ものぐさ随感19 原発国民投票 永田 獏
「みんなで決めよう『原発』国民投票」という運動が、ジャーナリストの今井一氏を中心に進められている。賛同者には谷川俊太郎氏や落合恵子氏も名を連ねている。
私も始めは多少いぶかしげに思っていたが、今井氏の話を聞いているうちになるほどなと思えてきたので、私なりにその意義を考えてみた。
原発のメリットは安く、安定的で二酸化炭素を出さないといわれてきたが、それもすべて安全が担保されていて成り立つ論であって、安全神話が崩壊した今となってはすべてが覆り、問題点のみが浮き彫りになった。
あらゆる施設設備は経年劣化するので、メンテナンス(整備補修)が欠かせない。ところが、原子炉本体は近づけないからそれができない。また今回の事故では、津波の前に地震で破壊された可能性を指摘する人もいる。もしそうなら、地震国日本ではどこでも事故が起こりうる。名古屋大学の調査では放射性物質は北海道や西日本まで飛散しているという。‘86年のチェルノヴィル事故では1基の原発でさえ、地球規模で汚染をもたらすことを証明した。
さらに放射性廃棄物処理の問題がある。高レベル放射性廃棄物の場合、ガラス固化して、地下300メートル以深に処分して、数万年にわたり隔離保管するという。耳かき一杯で数千人もがガンで死亡するといわれる猛毒のプルトニュウムは半減期が2.4万年である。そんなに長い期間地層が安定している保証はどこにもない。低レベル廃棄物にいたってはドラム缶100万本以上が原発や選球施設に貯蔵されている。
原発立地は電力会社が地元の了解をえて、経済産業省に申請書を提出して認可をうける。地元では2,3の例外を除いて議員や首長の意志によってきめられる。つまり、ほとんどが間接民主政によって承認されているのである。原発は政治に見捨てられた過疎地に作られることが多い。貧しいが故に金の魅力に勝てない。電源三法の交付金、電力会社からは助成金、寄付金など様々な名目で集中的にお金が投下された。例えば巻町(新潟県)の場合、今井氏によれば東電が発表しているだけで、300億円のお金が使われた。一人あたり赤ん坊も含めて100万円になる。裏金はどれだけ使われたかわからない。道路を造る、港を整備してやる、はては息子の就職をせわしてやる。様々なエサを鼻先にぶらさげて反対派を突き崩し、「民主的」に54基は作られたのである。
一端事故がおこれば、日本全体が被災する。それを小さな町や村の意志だけで決めてよいのだろうか。また、間接民主政については、我々は原発について白紙委任をしたわけではない。様々な課題を含んで代議士を選んでいるのだ。原発は非常に重大な問題だから、憲法改正と同じように一つの課題で、我々国民が直接意志を表明して決めよう、全国民の投票ならば買収や利権と結びつくこともなく、純粋に国民の意見が反映される。そして、どちらにするにせよ選択の結果引き起こされるであろう事態は我々国民が引き受けようということである。こんな大きな事故を起こしても誰も責任をとらない。先の敗戦時も「一億総懺悔」といって責任の所在を不明にしてきた。そういう無責任体制は止めようということだ。その意味で、この試みは日本の民主政治の転換点になるかも知れないと思う。実現すれば世界と未来にたいして責任を持つことになり、我々の生き方、国のあり方を問われることになりそうである。もし、実現しなくても既成の組織に頼らず、自分たちでお金や人を出し合って行うこの試みは、まさに「おまかせ民主主義」から「行動する民主主義」への一歩であることには間違いないと思う。(2012.1.20)
ものぐさ随感20 石原氏とメディア 永田 獏
11月26日の新聞トップに、石原慎太郎氏知事を辞任、という見出しがおどった。息子の伸晃氏が総理になれないなら、俺がなると言わんばかりの国政への転換である。一年半前、引退の前言を翻して出馬して当選したのに、途中で投げ出すのは無責任という外はない。無責任といえば、見通しもなく人気取りの思いつきで行った政策で都民がこうむった被害にたいしてどう責任取ると言うのか。例えば銀行の外形標準課税問題では裁判に勝てず、利子をつけて2334億円銀行に返還した。また、新東京銀行は1400億円もの出資をしても、今や本店のみを残す無残な結末である。鳴りもの入りで始めたオリンピック招致、前回で200億円、今回ですでに75億円使ったが、なんら見通しが立たない。それどころか途上国に影響力ある中国と問題を起こして多数を得られるはずがない。その上、彼がほうり投げることによってもう一回余分に知事選を行わなければならない。これに50億円かかるという。これらはすべて都民の税金である。しかしまあ、これは都民の問題である。「裕次郎の兄です。」といって選挙運動をした人を当選させる政治意識の都民、自業自得いうべきか。「誰を選ぼうと都民の勝手でしょ。」ということではある。
だが、尖閣諸島購入問題は国民全体の事だ。外交、安全保障の権限のない一地方自治体の長の起こすべき行動ではない。起こりうる結果にたいしてなんの対処もできないし、責任も取れない。漁船衝突問題でギクシャクした日中関係がようやく落ち着きを取り戻した矢先、テーブルをひっくり返してしまった。日中国交正常化40周年記念実行委員会の企画委員長を務めている作家の石川 好氏によれば、記念行事では中国側の要請で「正常化」という文言を取り下げさせられたそうだ。中国はもはや日中関係は正常化していないとう認識を示したもので、40年間積み上げた努力は無に帰して、また一から努力しなければならない。
経済の面でも日本企業は苦境に立たされている。例えば、自動車。アメリカは15.1%,EUは13.8%、韓国は9.2%、中国産は7.5% 増加しているのに日本車は40.8%の減少、日本の一人負けである。鈍化したとはいえG.D.P世界第二位の国が6〜7%の成長を続けると言うことは膨大な数の富裕層が増え続けるということでもある。いくらチャイナリスクがあるからといって13億の市場を捨てて簡単に引き上げるわけにはいかない。あるジャーナリストはこれから石原不況がやってくるといい、経済界では石原ショックという言葉がささやかれている。 このような事態になったことについて、政府の対応を批判する記事はあっても引き金となった石原氏の言動を問うメディアは少ないのはどうしてだろう。逆に「大変なことになる。」と正確な情報を発した丹羽駐中国大使は売国奴呼ばわりされ、ついに更迭されてしまった。
ノンッフィクション作家の佐野眞一氏は彼を「史上最低の知事」といい、英エコノミスト
誌は「右翼のごろつき」と評してまともな評価に堪えない政治家と喝破したが、多くの日本のメディアは彼の無責任、横暴を追求せず、その言動をはやし立て国民の偏狭なナショナリズムを煽った。彼は多くの差別発言に見られるように上から目線の政治家であり、憲法廃棄、核武装、軍事政権を主張している。また尖閣問題では「戦争の覚悟を示せ」とも言っている。日本のメディアはもっとこういう側面を報道して、国民の判断材料を提供すべきである。(2012.11.16)
ものぐさ随感21 決められる政治 永田 獏
今から三年半前、民主党が政権を取りそうな雰囲気の時、ある元キャリア官僚が「民主党政権が誕生して長続きするでしょうか?」という質問に対して、「まあ、国民がいつまで我慢できるかにつきるでしょうね。」と言っていたのを思い起こした。今度の選挙の結果は国民の我慢の限界が過ぎたということだろう。そりゃあそうだろう。「コンクリートから人へ。」
「新しい公共」という理念はとても新鮮で、日本のあるべき姿として納得のいくものであった。ところが政権は取ったものの、権力は握れずアメリカ、官僚組織、財界、農業組織、そして正規労働者中心の労働組合など、既得権益集団に踏み込むことができずにずるずると後退して、ついには第二自民党になってしまった。同じ事なら、経験、人脈いずれも豊富な自民党の方がいいに決まっている。
改革には混乱が伴う。また、民主主義は時間がかかる。おまかせ民主主義の国民は両方共我慢ができなかった。政策の中身よりも混乱と停滞をきらい、はっきりとものをいい、混乱なく決めてくれる政治を選んだのだ。こんな事が以前にもあったなと考えたら、我が長野県の田中知事の時を思い出した。あの時も県民は、知事と議会とのゴタゴタにうんざりして、一度辞めた経験豊かな人に県政をゆだねた。そして、田中氏の改革は一陣の風の如く吹き去り、何事もなかったかの如く普通の県に戻ったのである。田中県政もそして鳩山政権も誕生の時の熱気はどこへやら、つい最近のことなのにずいぶん遠い昔の出来事のように思われてならないのは私だけだろうか。
原発も憲法も重要な争点にはならなかった。唯一国民が望んだのは経済をなんとかしてほしいということだった。「日本を取りもどす。」というキャッチフレーズが、かっての高度成長期の成功体験と重なって、安倍さんならやってくれるかもしれない。という期待が生まれたのだろう。私は安倍氏が自民党総裁に決まって、事実上つぶれた東電株がストップ高になったとき、「なんだ。結局ゼニ(銭)の話かよ。」と思った。経済が大事であることには異論はないが、もう少し高邁なことも期待していたのにガッカリであった。
熟議なんて今の政治家に求めるのはどだい無理ということを学んだ我々は、参議院選挙を待たずに自公に3分の2の議席を与えた。もう予算案が通っても参議院野党の反対で国債が発行できずに地方が困るということはない。ここぞという法案は3分の2条項を使ってなんでも決めることができる。もし、公明党が賛同しなければ、「おいやならいいですよ。維新がありますからね。」と政権党の旨みを知った公明党を脅すこともできる。
かくして政局は安定し、首相がコロコロ変わることもなくなる。おまかせ民主主義の我々はやっと精神的安定をうることが出来たのである。そして、結果についてはすべて我々が引き受け、責任を負う。だが、常に我々の選択の影響が我々だけにすまないのが、なんとも悩ましい。憲法も原発も、そして国債の増発も、いずれも後生の人々に影響が及ぶことである。彼らは選挙に参加できないし、投票した我々はもうこの世にいないから結果の責任も取れない。彼らは結果の責任だけを負わされることになる。今度の選択が後生の人々に評価されるものであってほしいと願わずにはいられない。(2013.1.11)
ものぐさ随感22 ダイバーシティってなに? 永田 獏
新聞にダイバーシティという言葉が何度も使われていて、その文章が解せなくて困ってしまった。最近の新聞はカタカナ語が頻繁に出てきて困ってる。そうしたら、同じ新聞で意味のわからない、いらつくカタカ語の特集をやっていたので、笑っちゃった。
テレビでもカミングアウト、カミングアップ、キャッチアップ、いろいろあってわかりゃしない。民放はただ、だからまだ許せる。けしからんのはNHKである。我々は高い受信料を払っている。なのにオンデマンド、プレミアムコンシェルジェ、番組ではプラネットアース、ワイルドライフなどあげたらきりがない。わからないのは私のような田舎の年寄りだけかと思ったら、作家の阿川弘之氏もアーカイブスを「ああ怪物」と文藝春秋で揶揄していた。極めつきは教育テレビがいつの間にか意味不明のEテレに変わったことだ。なんと感性と語彙が貧しいことか。一番テレビを見ているのはカタカナ語のわからない年寄りだろう。NHKの役割の中には標準語(共通語)の普及とともに正しいに日本語を伝えるというのもあると思う。それとも、NHKは日本語を破壊しようとしているのか。以前、NHKの顔とも言われた松平定知氏がある随筆の中で、井上ひさし氏からもらった葉書の一節「難しいことをより易しく、易しいことをより深く、深いことをより愉しく」を座右の銘にしていると書いていた。NHKはこの先輩を見習ってほしいものだ。
特に問題なのは政治家の言葉である。彼らは頻繁にカタカナ語を使う。湾岸戦争時にはリンケージ、この前の選挙ではマニフェスト、アジェンダ、今回ではフェードアウト、アコードなんて言葉が使われた。コミットとかウインウインの関係、リークなんてのもよく使われる。かって金融制度改革(金融ビッグバン)の時、当時の橋本首相は「フリー、フェア、グローバル」と言った。いったいどこの国の首相かといいたくなる。政治家は言葉が命である。日本の歴史と風土から生み出されたすばらしい言葉があるのに、わざわざよその国の言葉を使う必要があるのだろうか。高齢者が増える中、わかりやすい日本語を使ってもらいたいものだ。「美しい日本」には美しい日本語がふさわしいと思う。
とまあへそ曲がり獏がいきまいていたら、ある評論家が自立(独立)国家は自国の言葉を大事にすると言っていた。ああ、そうなんだ。西部邁氏や孫崎亨氏によれば、アメリカは日本をプロテクトレイト(保護領)とみなしているそうだ。だから我々は自国の言葉に無頓着なんだと、妙に納得してしまった。明治の頃、アジア諸国が次々と欧米の植民地になっていく中、日本は植民地化を逃れるため、欧米の文物を取り入れるに当たって膨大な翻訳語を作り出した。哲学や民主主義という言葉も、その時の翻訳である。今はすっかり飼い慣らされて、アメリカの属国であることすら意識していない。「押しつけ憲法」を声高に叫びながら、ひたすら従米路線をひた走る分裂病の日本であってみれば、伝統だ、文化だ、愛国心だといってみてもはじまらない。
いろいろいわずに言葉は単なるツール(道具)としてみればいいということか。だが、道具も使い勝手がわるくちゃしょうがない。せめて年寄向けに( )をつけて説明してほしい。報道関係者も政治家も自分達の水準でなく、国民目線、年寄目線で語り、書いてもらいたいものだ。(2013.2.7)
ものぐさ随感23 狭量になった国民 永田 獏
2月の中旬頃の新聞に朝鮮学校への補助7都府県で13年度予算化見送りという記事が載った。理由として、北朝鮮の核実験や拉致事件をあげ、県民の理解が得られないというものだった。またかと思った。民主党政権では高校無償化にさいしたて朝鮮学校への適用をなんだかんだと難癖つけて引き延ばしてきた。「坊主にくけりゃ、、、、、、」の喩えのように北朝鮮の行動への反発として、北朝鮮系の人達や朝鮮学校への非難攻撃をしている。これって、いやがらせ、一種の弱いものいじめじゃないかと思う。無償化にしろ補助金にしろ国や地方の1000兆円に迫ろうとする借金に比べりゃ何ほどのことがあろう。拉致や核問題がにっちもさっちも行かないことに対する苛立ちを、なんの力もない弱い立場の高校生にぶつけているとしか思えない。
インターネット上では「ネトウヨ」(ネット右翼)とよばれる人達の一部から「朝鮮人は出て行け」「朝鮮人を殺せ」「死ね」など過激な書き込みがなされているという。また、在特会(在日特権を許さない市民の会)の人達はネットから街頭に出て、朝鮮学校の前で「ウンコ食ってろ」「キムチ臭い」などと怒鳴っているという。民主社会であれば自らの主張を述べることは何らかまわないが、それには節度というものがあろう。人々の人間存在を否定するような言動は、下劣で品性のないものである。ところがこのような事が若者を中心にして一定の支持を得ているから恐ろしい。
一昨年の暮れ、金正日総書記が死亡したとき野田政権は弔意を表さなかった。その時、私は、あれ、日本には、どんなに秩序を乱した者でも火事と葬式だけは付き合うという村八分の文化があったのにどうしたんだろうと思った。
我々はいつからこんなに狭量で非寛容になってしまったのだろう。藤原正彦氏は「国家の品格」の中で、武士道精神が長年日本の道徳の中核をなしてきた。その要諦は「我が国では、差別に対して対抗軸を立てるのではなく、惻隠をもって応じました。弱者、敗者、虐げられた者への思いやり惻隠こそ武士道精神の中軸をなす」と述べ、さらに「弱い者いじめは武士道精神に照らせば、これはもっとも恥ずかしい卑怯なことです」とも書いている。
これらの事は、品格の問題もさることながら、国益にてらしても問題だと思う。国際的なイメージダウンはもとより、北朝鮮との交渉にあたっても相手にいい印象を与えることはない。さらに、将来北朝鮮が崩壊して南北が統一された時、もし、朝鮮学校や北朝鮮出身者が指導的な地位に就いた場合、このような差別やいじめをどう考えるだろう。決して友好にプラスになるとは思えない。現実からはなかなか想像できないかもしれないが、決して起こりえないことではない。現に国際政治において存在感を増しているドイツのメルケル首相は東ドイツ出身である。東西ドイツが統一してわずか20年でこういうことが起きるのである。
政治家は一時の国民世論に動かされることなく、将来を見据えて訴え、説得して行かねばならない。品格ある国家こそ国益は守られ、最大の安全保障にもなるのである。藤原氏は前述の本の中で「武士道精神は戦後急速に廃れてしまいましたが、しかし、まだ多少は息づいています。いまのうちに武士道精神を日本人の形として取り戻さねばなりません」と警告している。「日本を取り戻す」といって政権に就いた安倍首相、是非日本人の品格を取り戻してほしいところだが、内閣誕生早々に行ったのが、生活保護費の削減と朝鮮学校の無償化除外である。こりゃあだめだ。(2013.4.13)