塚原古墳群 2012.08.13

塚原古墳群と臼井川を考える、の第三弾です。

遠回りのようですが、これでも大急ぎで話しを進めて来ました。
そろそろ塚原古墳群あたりに話しを進めます。

縄文の人々も鉄を作っていた、という話しがあります。
もちろん踏鞴製鉄ではなく、褐鉄鋼を使った低温製鉄です。
長野県は各地で製鉄が行われていたらしく、特に諏訪湖のまわりには葦が豊富に生えていたため、製鉄が盛んだっただろうと言われています。

諏訪湖を源流とする天竜川沿いの伊那谷でも、製鉄は行われていたと考えるのが自然です。

この鉄を作っていた人々は、やはり石を信仰の対象としていたと考えられていまして、
日本各地の巨石群は、太陽観測と何らかの神とを結びつけていたのではないでしょうか。
余談ですが、いわゆる「陰陽石」男女の象徴をかたどった石などは、繁栄の祈願として祀られていたと考えられています。

塚原古墳群は、隣接する金山古墳群と合わせて考えるのが良いと思います。
塚原と言う地名は、お墓が沢山あるから塚原と云う事で、
古墳が造られた後の時代に付けられた名前だと云う事です。

古墳が作られる前は、やはり金山かそれに相当する名前だったと思います。
全国に金山と言うような地名は多いですが、その多くはその土地が鉄と関係していることが多いようです。
岐阜県下呂の「金山遺跡」もその辺りから「かなっけ」の物(鉄サビ)が出て来ていたからかも知れません。

で、塚原金山古墳群辺りも「かなっけ」が出て来ていた可能性はあります。
そして、密集した集落がなかったから古墳が造られたと考えることも出来ます。
何らかの特別な地で、集落が造られなかった。
その特別な地を選んで、古墳が造られた。

鉄を造るための大切な場所だったと私は考えます。
「大切な場所」そのことが後世まで言い伝えられていたのではないでしょうか。

続く、、、