浪合地区の概要

1.沿  革
 維新前は、飯田支配領であったが、廃藩置県の時伊那県に属し、明治4年筑摩県管轄となり、明治9年長野県管轄となる。明治5年勧奨により平谷村と合併し平波村となるが、明治17年分村し波合村となる。明治22年町村制実施の際再び勧奨により平谷村と合併し渡合村となる。その後、村内紛争し、再三分村の申請をしたが認められず、昭和9年ようやく分村を許可され浪合村となるが、平成18年1月1日阿智村と合併し現在に至る。

2.地勢と気候
 浪合の東方には、日の入山(1,071.9m)・松沢山(1,415.4m)・亀沢山(1,358.8m)と連なる下条山脈があり、北方に三階峰(1,464.6m)・西方に大川入山(1,907.7m)。南方に蛇峠山(1,663.8m)・長板山(1,336.5m)がある。これらの山々に囲まれた村が浪合村である。
 東西10km・南北9.5km・周囲31km、面積は56.12平方kmである。
 南方治部坂峠あたりから流れ出る治部坂川と、北方蘭方面から流れる恩田川は、村の中央部で合流、浪合川(和知野川)となって東流し、阿南町和合へと流下している。浪合村の集落は、この三つの川に沿ってY字伏に存在している。
 浪合における過去10年間の平均降水量は、年3,000mmの多きにのぽり、日本の最多雨地、高知県のそれに匹敵する。
 また気温は、8月でも最高気温29.5度、最低気温13度、1月の最高気温9.5度、最低気温-14度(昭和60年度記録)と寒冷地であることを示している。(昭46、-22度)

3.浪合の特色
 浪合は大部分が山林で、耕地は谷間の川沿いにわずかに散在するにすぎず、農家の大部分が山林に依存する農林兼業の生活が長く続いた。
 昭和30年には新農村建設村に指定され、農業と林業と畜産との統合をはかり、これによって村の経済発達をはかるべくその目的達成に努力したが、昭和35年頃から他への移住居が多くなり、昭和27年1,661人あった人口も、昭和52年には800人を割るに至った。
 そこで、昭和44年には過疎対策委貞会を設置し対策の検討を始め、昭和46年からは、昭和40年から着手していた治部坂別荘開発を一層進めると共に、蘭平ゴルフ場を建設(オープンS.48)するなど観光面の開発に努めてきた。(平成17年3月1日現在、人口760人)
 なお、浪合は、史跡伝説も豊かで、尹良親王の伝碑・信玄の設けた関所跡・応永の頃諸国に念流の奥義を伝えた慈恩念大和尚にかかわる史跡など有名である。

4.本校の所在地
 ○学校所在地 長野県下伊那郡阿智村浪合510番地1(電話0265-47-2204)
 ○標 高  953m
 ○東 経 137度41分
 ○北 緯  35度22分

尹良親王御墓
尹良親王陪塚
浪合神社
鎖鎌術発祥の地
摩利支天祠
堯翁院
波合関所跡
蛇峠山
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