
全国一の満蒙開拓団を送出した長野県、その中で最も多くの開拓移民を送り出した「飯田・下伊那地方」、ここで何だあったのか、明治維新により近代国家に足を踏み入れた日本、五族協和・王道楽土建設の掛け声に翻弄される寒村の姿を年表の中からくみ取ってくだされば…。
(写真上/渡満した満蒙の開拓民)

全国一の満蒙開拓団を送出した長野県、その中で最も多くの開拓移民を送り出した「飯田・下伊那地方」は、当然の帰結として、戦後多くの残留孤児・婦人を生み出しました。国交が回復しないなか、取り残された開拓家族は政府の無策による、今日の残留孤児婦人を作り続けることとなりました。切なる関係者はままならぬいらだちをおさへ、戦時中平岡ダム建設に強制連行され殉難の中国烈士の遺骨収集を始めました…。
(写真中/帰国者交流会:桜の下で)

全国一の満蒙開拓団を送出した長野県、その中で最も多くの開拓移民を送り出した「飯田・下伊那地方」は、戦後多くの残留孤児・婦人を生み出しました。戦後61年を経た今日もなお、中国帰国者問題を抱えて居ます。そんななかで、日中友好協会はじめ多くの市民による帰国者支援事業・長野県独自の愛心使者事業の開始・そんななかようやくにして自らの体験を語りはじめた満蒙開拓体験者は「語り部の会」・「語りつぐ会」等市民といっしょに自己を見つめる活動が始まっています…。
(写真下/残留婦人らの語り部の会:飯田女子短期大学で) |
 

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