正清寺古墳(久保田1号墳)

川路2区にあって長野県では最も標高の低い前方後円墳。三六災害前には高い石段を登って墓域に達したが、盛土事業で写真のようになって、1/3ほどが埋没している。6世紀中頃に築造されたと推定されている。墳丘長は約60m。後円部は東側(写真の左側)で西側が前方部。後円部には横穴式石室があり、南面に開口していたが、正清寺の寺地工事で破壊されたという。その跡に文珠菩薩・観音像・水天宮・玉鏡神霊など6基の石碑が建立されていたが、今はない。うち3基ほどは大きな石碑であったが、石室の用材を使っていた。ほう製の五鈴鏡、多数の勾玉・管玉、轡(くつわ)・杏葉・雲珠(うず)などの馬具が出土し、円筒埴輪や靫(ゆき)・家などの器財埴輪も確認されている。