累石型風穴の中の気温の変化について
【はじめに】
 飯田下伊那地区では、風穴山の風穴、権現山(風越山)の山頂の風穴が有名だが、阿智村にも風穴があるということを聞いて、それが最も近寄り易い場所にあるので、阿智村の風穴を選んでその気温変化を調べてみることにした。
 風穴とは「山腹・渓間・崖脚などにあって、夏季、冷たい風を吹き出す洞穴」*1とある。かっては天然の冷蔵庫として利用されていたが、各家庭にまで電気冷蔵庫のある今ではすっかり忘れ去られてしまった文化財の一つである。
 そこに到る道もはっきりせず、風穴そのものも屋根が落ちたりしてすっかりさびれていた阿智村の風穴だったが、森林官*2の呼びかけで、地元の若者たちがボランティアで材料を持ち寄り知恵を出し合って復元し、その風穴に至る山道までもきちんと整備したので、いまでは誰でも容易に立ち寄ることができる。
 そこで、この風穴の気温変化を調べるため
に夏と冬の2回、ほぼ1ヶ月間ずつの予定で風穴の内と外に温度計を設置し、そのデータを分析した。
【風穴とは】
1.風穴の利用
 風穴が最もよく利用されたのは蚕種業で、その最盛期は明治から大正にかけての40年ほどと思われる。恵那山の向こう側には今でも7つほどの風穴が残っているが、これを神坂で蚕種に利用するようになったのは明治18年ころで、それ以前には信州白骨の風穴を使ったり、こちら側の伊那から全ての蚕種を取り寄せていたという。*3阿智村でも、明治40年頃がピークであったというが蚕種の貯蔵に利用されていた。*4
 蚕種業で風穴を利用したのは次の二つの場合。
@卵の孵化を遅らせる。
 思いもかけない凍霜害にあって、蚕に与える桑がなくなるような場合には、孵化を遅らせるために風穴に蚕卵を入れた。孵化の準備が進んでいる蚕卵の場合には、5℃で5〜6日は遅らせることができる。また孵化した直後の蚕でも、10℃で3日間くらいは冷蔵することができた。*5
 しかし蚕種業者が大型冷蔵庫を備えるようになって、この風穴利用は減少していったものと思われる。
A人工孵化に利用。
 2化性(1年で2世代)の蚕の卵はそのまま放置すれば、越年してしまうのでその年に孵化させることはできない。そこで2化性の蚕をその年にもう一度飼育する場合には人の手でその蚕卵に冬を体験させる必要がある。つまり産卵後25℃で48時間を経過した時に5℃まで冷やし、20日間以上(40日間以上が望ましい)冷蔵するという方法でこれを行う。この冷蔵に風穴を利用した。
 しかし、産卵に冬を体験させるもっと簡単の方法が見つかって、風穴の利用は激減する。それは常温で塩酸にひたす方法で、この人工孵化の方法が開発されたのが大正末年だったという。*5
2.風穴の種類*6
 風穴には次の3つの型がある。
@熔岩トンネル
 洞窟型の風穴の一つで、富士山の熔岩トンネルは有名。熔岩が流れたとき、その表面は固まっても内部は固まらずまだ流動性が残っているので、そのまま熔岩流の末端にまで流れ出して、上流では横穴状の空洞ができる。これが熔岩トンネルである。
A石灰岩の洞窟
 これも洞窟型の風穴。石灰岩地帯にできる風穴で、石灰岩は地下水や雨水などににも溶けやすいので、カレンフェルトやドリーネ、石灰洞などが発達する。この石灰洞が風穴に利用された。
B累石型風穴
 熔岩の大きな塊の集まった地形や節理の発達した火成岩、それに急斜面を落ちてきた岩屑が麓にたまってできた崖錐にある風穴がこれ。阿智村の風穴はこの累石型風穴に相当する。
3.冷気を出す原因
 風穴が夏に冷気を流出するのはどのような機構によるのか。これを説明するために、空気対流説、断熱膨張説、氷河期環境起源説などが提案されているが、今回の実験の結果は少なくとも累石型風穴では空気対流説が有力であることを示しているものと思われる。
【阿智村の風穴】
1.夏季の気温変化
 図1では夏の7月17日〜8月21日までのほぼ1ヶ月間、日平均気温はどのように変化したかを示している。
 風穴の中の方が外よりも2.6℃〜8.1℃、気温が低くなっているのがわかる。ま  [ 図1.夏の1ヶ月間の風穴内外の気温]
たこのグラフで風穴内の気温が右上がりになっていることから、風穴に空気を送り出している崖錐内部の気温も少しずつ上昇していることがわかる。また内外の差は、時間の経過とともに小さくなっていることも見てとれる。また、外気の気温が最高になっているのは8月5日で、風穴内の気温が高くなるのは4日おくれの8月9日となっている。
 次に1日間の気温変化をみると、図2のようになる。
 風穴の外の気温は、日の出とともに上昇し、日没とともに降下するという当然の結果を示している。しかし、風穴内の気温はほとんど変わらず一定の値をしめしている。
 このグラフだけを見ると、崖錐の奧になにか水たまりのようなものがあって、風穴の中の気温を一定に保っているのではないか。井戸水のように、と素直に考えることもできる。
      [図2.風穴内外の24時間の温度変化 ]
 
     [図4.内外較差が最大の2/22の24時間の変化]
 図4は2月22日の内外の気温変化をグラフ化したもの。この日は測定期間中では最大の内外較差を示している。この日の気象状況を飯田市嶋の観測データでみると、最大風速18.8m/sと前後5日間では最も風が強く、風向はSSWと南よりの風で、前後4日間の西よりの風とは異なるという特徴を示している。
 これらのことから次のような結論を引き出すことができる。
@この日の内外較差が最大になったのは晴れて気温が上昇し、さらに午後には強い南風が入って外気の気温が下がらなかったことによる。
A夏の気温にみるようにいつも一定であるはずの風穴内の気温が外の気温に沿うようにして上昇しているのは、冬には風穴の内外で対流が生じて内外の空気が混じり合っているためと思われる。しかし完全に混じり合うまでには至っていないのは、測定開始の時点で、内外の気温差に開きがあるためと考えられる。
 一般的には、冬も風穴内の気温は外温より低いが、この測定期間149日間(11/14〜翌4/10)のうちで外温より高い日が5日あった。その「逆転日」は12月8,19,20,27日と翌1月22日で、測定期間の前半に集まっている。前半では崖錐内にまだいくらか熱が残っているためであると考えることができる。その中から1月22日のいわゆる「逆転日」の変化を図5に示した。
 まず、この日の気象状況を同様に飯田市嶋のデータで見ると、前後5日間の中では日平均気温が-2.3℃でもっとも低く、風も最大風速11.2m/sで最も強くなっている。
 そこで、測定開始時に内外の気温差がほとんどない状態で、今までになく外気温が下がったので、特に風の弱い時間帯で外気温の方が低くなったものと思われる。
     [図5.風穴内の気温の方が高い日の気温変化]
3.実験結果について 
 実験の結果は次のようにまとめることができる。
@夏季冬季ともに風穴内の気温の方が低い。
A風穴内外の気温差は夏季は大きいが時間の経過とともに小さくなり、冬季にはほ とんどなくなる。
B風穴内の気温は、夏季はほぼ一定で測定期間を通してやや右上がりに上昇してい るが、冬季は外気温に従って変化する。
C冬の風穴内で気温が高くなる日は、冬の前半に限られている。
【結論】
 以上の結果から次のような結論を引き出すことはできないだろうか。
@夏季の風穴内の気温がほぼ一定ながらやや右上がりであることから、夏季には風 穴の奧から一定温度の冷やされた空気が流れ出ており、日数を経過するに従い風 穴へ空気を送る累石内の気温も対流や伝導によって少しずつ上昇する。しかし、 この流れ出る空気はどのようにして補充されているのか、という問 題が残る。 夏の気温変化で外気のピークが4日遅れて風穴内に現れていることから、断定は できないが、外気が累石内に入ってから風穴内に達するまでに4日を要している と考えることができる。風穴の位置よりも高いところに空気の吸い込み口がある 可能性は高い。*7
A冬季の風穴内気温が外気温に従って変動するのは、風穴内に風穴の奧から流出す る空気はほとんどないことを意味する。だから、冬季には風穴内の空気が外気  と自由に混じり合うので気温差がほとんど無くなる、と考えることができる。
B風穴内外の気温にほとんど差がないことから、冬季には夏季とは逆に風穴の奧に 向かって風穴内の空気が動いているのではないか。そうなれば、夏季の空気の吸 い込み口から冬季には暖かい空気が流出していることになる、という研究*7に 矛盾しない。
@冬には風穴の奧から暖かい空気が累石内を上昇して、それを補うべく風穴へは外 から冷たい空気が入る。こうして累石内には冷気が蓄積される。夏には風穴の外 の空気は暖められ軽くなって上昇し、そこへ風穴の奧の冷たく重い空気が流れ出 る。つまり、累石内に蓄えられた冷気は消費されて暖気が入り、少しずつ温度は 上昇して、やがて外気の温度とほとんど同じになる。このように考えても、少な くとも観測データとは矛盾しない。これは空気対流説にほかならない。
 
【使用温度計】
 米国オンセット社製ストアウェイ ティドビット
【参考文献】
1.広辞苑第4版
2.今村公人氏(飯田市川路4549)
3.ホームページ「ふるさと坂下ー養蚕(種屋)」
4.『智里村史』ほか
5.横山忠雄『綜合養蚕学』中央蚕糸協会1954』
6.『地理学辞典』二宮書店1989
7.田中博・村規子・野原大輔「福島県下郷町中山風穴における風穴循環の成因」      『地理学評論』77-1 2004