キエフと仙台は似てるといえば似ているがやっぱり似てないかも・・

 キエフという都市は、旧ソビエト時代には一地方都市でしたが、そもそもはモスクワと同等の歴史ある、ロシア系民族の古都で、現在はウクライナ共和国の首都。バレエやクラシック音楽の都でもあります(ミノロフ先生・・・て知ってる?冗談ですなんでもありません)。
 一方仙台は「杜の都」の都と称され、東北地方唯一の政令指定都市であります。その歴史は古く、奈良朝期多賀城が東北地方の軍事行政の中心として国府に定められた頃からにさかのぼり、周囲には「塩竈」、「末の松山」、「松島」などの万葉集の頃から詩歌の題材となった名勝があり、西行法師等有名な歌人が訪れたといいます。
 仙台は南北朝期の戦乱を経て江戸時代に入ると、名高い戦国大名である「伊達政宗」公を祖とする「仙台藩」の中心として発展しました。さて、その伊達政宗公でありますが、戦国時代の最後を彩る戦国武将といわれ、その実力をいかんなく発揮しようという頃にはすでに京都・大阪を中心に豊臣秀吉が天下に号令をかけようと言うところに差し掛かっており、もう少し早く生まれていれば、秀吉・家康と戦い、天下を狙えたであろうと言われたそうです。
 伊達政宗公は、賢臣の誉れ高い「片倉小十郎」ら自ら見出して育てた優れた家臣団があり、また戦場での戦術として騎馬で鉄砲をあつかう「鉄砲騎馬隊」を組織し、勝負を決める決定力として大いに効果があったとも言われており、確かに天下を狙える人物であったようです。
 
 キエフと言う都市は、ヨーロッパでは辺境都市であり、旧ソ連邦でも中央から離れておりましたが、キエフを代表するチーム、ディナモナ・キエフは旧ソ連邦リーグではモスクワのチームを凌駕する戦績を収め、「イゴール・ベラノフ」、「アレクセイ・ミハイリチェンコ」、「オレグ・ブロヒン」と言った歴史的名手を擁して、ヨーロッパカップ戦でも活躍した伝統的強豪であります。

 ところがディナモ・キエフはなぜか時の利を得られないチームと言う印象があります。偉大な偉大な「ロバノフスキー監督」のもとチームが最高潮を迎えるのですが、その前後はソ連邦の崩壊等があってチーム運営が少なからず混乱してしまった面があったようです。何しろソ連邦崩壊時旧ソ連邦連合代表の監督であったのなそのロバノフスキーだったのですから・・・・その苦労は想像がつきませんね。
 ソ連邦崩壊の混乱後、ウクライナ共和国独立、リーグもウクライナリーグが開始、と言う流れの中でロバノフスキー監督はアンドリー・シェフチェンコ、セルヒー・レブロフ、カハ・カラーゼと言った素質ある若手を育て上げ、NBNからヒントを得たと言う、プレッシングとスピードあるカウンター、そして一見オートマチックな動きを要求しているように見えて勝敗以上に内容にこだわると言う持論を実現したチームを構築し、チャンピオンズリーグで、ベストエイト入りすると言う快挙を達成しました。
 ところが、またしても悪いタイミングで時代の流れに押し流されてしまいます。共産主義時代のたがが外れたことと、ボスマン裁定等をきっかけとしてサッカーバブルが始まったことがそれで、シェフチェンコらせっかく育った主力が引き抜かれることは決定的と成り、ロバノフスキー自身も心臓の病が悪化しと、ディナモ・キエフがヨーロッパ制覇を達成するだけの実力を確立したまさにその時、残された時間がほとんどなくなっていたのでした・・・
 チャンピオンズリーグではアーセナルやレアルマドリーを破るなどしてまさに最高のパフォーマンスを見せたのでしたが、バイエルン・ミュンヘンにホームで不覚を取り、その内容は評価されながらもついに栄冠に手が届かないままシェフチェンコは移籍、その数年後、ロバノフスキーはついに他界し、ディモナ・キエフは今その輝きを潜めています。
 始祖伊達政宗公が時の利を得られなかったように、仙台藩は幕末において薩長を主体とする新政府軍との対処の際において時の利が得られませんでした。 新政府の命に従って会津に出兵するも新政府側の不条理に反発して奥羽列藩同盟を結成し、一時は榎本武揚、土方歳三らの旧幕府方に組したりと、時勢に振り回され、新政府側の不興を買いつつ、新幕派からも不興を買い・・戦闘の犠牲と負荷ばかりを背負わされると言う大変損な役回りをすることになってしまったりしたようです。
 ベガルタ仙台はJ1にあがってきてこれから歴史を積み重ねてゆくチームですが、強さと言う点、内容と言う点でぜひディナモ・キエフのようなチームになってほしいです。ただ、ステアウア・ブカレストや、ベオグラード・レッドスターのように、旧共産圏のチームで、いろいろな混乱がある中でも結果としての栄冠を残したチームのように、ぜひぜひタイトルの取れるチームになってほしいと言う願望もあります。私個人は長野県人の癖に?というかある意味東北地方と似ている長野県人だからか、東北のチームには妙な連帯感がありまして、それで会津やら長岡やらに架空の強豪サッカーチームを空想したり、モンテディオやベガルタをチャンピオンズリーグの常連とくっつけて創造したりしてしまうようです。

 ミランに移籍したシェフチェンコは、インテルとのチャンピオンズリーグ準決勝で決勝進出を決めるゴールを挙げ、そのゴールはその日が命日であったロバノフスキー氏に捧げると語っていた。サッカーを教えてくれ、才能を開花させてくれた恩師にゴールを捧げたかったのだと・・・トテナムに移籍したレブロフがチーム事情もあって低迷していることは悲しいが、ミランがキエフの仇をとった格好でチャンピオンズリーグを制覇したと言う面は少しうれしい。

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    ディナモ仙台 モデル ディモナ(キエフ)ベガルタ仙台
 ホーム 杜の都スタディオン
 
 特徴
 ホームの強さには定評がある(特に負けないこと)。スピード溢れる組織プレーが売り。中央から離れていることもあって、京都・江戸ではいまいち力が出ない。なぜかスロースターターでエンジンがかかってきた時には時既に遅しだったりする事が多い。