「個的」という言葉について

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 世の中には「公」と「私」という分別がありますが、其れとは別に「個」的と言う区別があると考えるのです。


 公的な性質を持つスペースの中で「分別を持って行動する」のは人の内の「私」であるわけですが、公的な性質を持たないスペースにおいて、分別ではなく、無意識に近い部分の「感覚や感性で行動する」のは人の内の「個」であるという考えです。


 公的でないスペースとは、例えば本を読んでいる際の「本の中の世界」であります。このようなスペースで行動している状態では人は公的な性質を喪失しておりそのような人を「個的」な人と表現します。


 ここで言う「個」や「個的」という言葉は、当然ですが辞書的には間違っていると言えます。人間の「公の外で、私の外」な状態・性質について表す言葉が無いため、意味的に表現できそうであると思われた言葉を選んで当てはめたと言うのが実の所であります。


 サイト内を、基本的には「公的」スペースと考えているので、普遍性があまり強くないと思われた題材については、分別として「私的」という標識をつけたのですが、好き嫌い・惚れたはれたのたぐいの感性・感情の入ってしまう部分も、人間の性質上現れてしまうので、そう言った要素に触れる題材につける標識として「個的」という言葉を使わさせていただきたいというだけの事であります。


 「個的」な事の絡む題材は、どうしても感覚的な共通、感情的な共通無しには対話が成立しませんし、また個的な事に関しての判断・思考については、正直いって普遍性・公性が無く、責任を持とうにも持ちようが無い・・・訳です。「個的」と言う標識がついている題材については入り口のところで引き返せるように工夫をしておきますので、だめかなと思われたらけしてその先に踏み込まないようお願いします。そしてそれ以降は、その駄目だった題材の存在を無視しながら当サイトとお付き下さるようお願いします。


 分別は大切であり、「おおやけ」に対してという心構え(言ってみれば「理性」や「責任感」でしょうか)は大切です。しかしながら、吐く息と吸う息との両方が必要であるように「感性」も同じ重さで大切だと考えるわけです。「という間柄的人間」の、息を吸う方を「公的」私とすれば、息を吐くほうが「個的」私であるという判断な訳です。


 あえて個的なことも記述するのは、中庸に付いての私の考え方からです。「中庸」とは、「中庸と言う不変の境地があり、不変で普遍な状況があるから、そこにたどり着かなければならない」という意味ではなく、「リズム的にバランスが取れたなら、調和が成立・維持できる」という意味だろう。そういう風に考えているのです。

以下略でもよろしいですのでここまでで閉じてくださってもよろしいです。


 公私混同という言葉がありますが、其れは私と公がイコールであると勘違いできるような一定の地位・力がある人特有の状況についての言葉だと思います。また、公的な場所での個の噴出は、客観的には「感情的衝突」と表現されるかと考えます。
 webワールドは、全体としては「個的」な要素の強い世界ではないでしょうか、誰もが誰とでもたやすく共感し、感情的衝突をし、間柄と言うものが個と個の物として成立し、また公的な要素をかなりないがしろにしても破綻しない場所であるように感じます。
 全体としてなら、例えば「2ちゃんねる」様のような存在も大いに意義があるのですが、個々のサイトの中でのこととなるとそうは行かなくなると考えるので、それで、自分のサイト内では、あえて基本的な大前提を「公的」スペースとし、その上でのルールとして「私的」「個的」を明示しよう、そう決めてみたのです(自分自身に対して)。また、掲示板等で発言をなさる際には、訪問者の方にもそのルールを心に留めていただきたいとも考えております。
 最後に、長々と超「個的」な文章にお付き合いくださり有難うございました。