虫と古典文学

 虫の登場する古文といえば、随筆文学の最高峰の一つ枕草子の「虫は」の段が有名であります。「もの尽くし」といわれる、様々な「もの」について書き綴った文章の一つでありまが、あまりに出来が素晴らしいため、以後虫についての随筆などが書かれなくなってしまった気がします。
 やさしめの文章だと思うので、全文参照してみましょうか。

 
虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし。螢。
 蓑虫、いとあはれなり。鬼のうみたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。待てよ」と言ひ置きて逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
 額づき虫、またあはれなり。さるここちに道心おこして、つきありくらむよ。思ひかけず、鳴き所などにほとめきありきたるこそ、をかしけれ。
 蠅こそ、にくきもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべき大きさにはあらねど、秋など、ただよろづの物に居、顔などに濡れ足して居るなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。
 夏虫、いとをかしう、らうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。
 蟻は、いとにくけれど、軽びいみじうて、水の上などをただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。


 であります。鈴虫といった美しい鳴声を持つ虫をあげ、蛍のような誰もが賞賛する虫を書いてから、蓑虫(みのむし)にまつわるお話をひいて、少しマイナーな虫について、当時は広く知られていたであろうお話をかたっています。
 そして、額づき虫(こめつきむし)を信仰心ある虫としてあげるのですが、自身の経験として、意外なところにいて、音を立てるので不意にその存在に気が付くことがあると述べております。そして、いやな虫の代表として「はえ」をあげるのですが、ここでも具体的にどう嫌なのかを説明しています。
 夏虫とは、夏灯火に飛んでくる虫たちのことのようですが、灯火に集まって飛び交うのが面白いのか、可愛らしいとさえ書いております。また、夜の読書のために明かりを手元に寄せると本の上を飛び歩くと述べています。
 そして最後に、「あり」をなぜか「にくい」とし、けれども水の上を歩いたりすることが「をかし」趣き深いと、書いております。
 全体として、平安貴族であり、宮仕えしている女性が書いた物らしく、「おもむき」に重点をおいて書き進めており、しかも自らの実感、正確な観察から見出した虫の様子が書かれていることに驚かされます。
 枕草子は、平安時代以降も広く読まれておりますが、この段も枕草子中広く知られている段として名高いのでありまして、日本人が少なくとも平安時代の昔より「虫」を、興味深く、さらに美的・詩的な存在としても認識してきたことがわかると思われます。
 
 他にも、長いので参照しませんが、「堤中納言物語」というやはり平安時代の文章に、「虫愛ずる姫君」というお話があり、召使に虫の名前をつけ、「蝶や花を愛でるのはおかしい」との持論を堂々とかたり、こともあろうに「毛虫」のような普通嫌われる類の虫を愛好する美少女の話もあります。この姫君の話はかの「風の谷のナウシカ」のナウシカのキャラ設定にもなったとのうわさもあるのですが、枕草子の虫はの段と並び、古文に現れた虫と人との関わり。の代表であります。
 日本人は世界的に見ても割と虫と仲良くする人種と聞いたこともあるのですが、日本以外のこういった話に疎いので、其のことはなんともいえません。けれども、日本人が古くから身近な虫たちを観察していたことは確かであることはわかったかと思います。

 また、古代から「養蚕」を行っていた東アジア圏では、虫が現れる昔話が多いという噂も聞いたことがありますが、養蚕をしたことのある人ならわかると思いますが、蚕を育てることは蚕と生活することですから、自然親しみが出来てくるものです。かつて養蚕がありふれていた飯田地方で育った私は、この噂にはある程度の説得力を感じます。

     それでは次の水引工芸と虫へ

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