水防組合 絵図干し

04,09,09

天竜川に堤防が無かった頃、洪水のたびに川の流れが変わり、上郷と伊久間の境界が不明瞭で河川敷の耕地をめぐって、争いが絶えなかった。明治のはじめ 大水害の後に出来た広大な中州に、伊久間の住人が上郷の境界を大きく超えて田畑を耕作するようになった。上郷側はこれを問題視し伊久間側と幾度となく境界線について談判して来たが決着がつかず、県議の仲裁で大正の初めようやく境界線が明確になった。そのときに書かれた絵図を毎年一回広げて、水防組合長が先人が苦労をした歴史をふりかえって解説して、絵図干しを行った。