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長野県飯田市で落語好きが集まって、こだわりの落語会「伊賀良寄席」を開催しています。
そうです。ここがかつて居眠り裁判で世間を大変お騒がした落語会です。
いまだに誤解しておられる方が多いようですが、当方は被告側(訴えられた方)でした。
会員が手弁当で参加し、演者にはチケット売り上げから必要経費を除いた全額を支払っています。数回は赤字になりますが、地域の皆さんに本物の話芸を提供したく、自腹を切って運営しています。 |
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志の輔師匠を囲んで(2002年) |
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きっかけ |
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昭和63年(1988)「しなの路」3周年を記念して落語会を催しました。
当時は立川流で「キュッキュッパ」(99,800円)の“出前寄席”を始めた頃で、終了後
「このくらいの予算で済むなら定期的にできるじゃないか」という話になり、近所の落語好きが集まり、伊賀良落語愛好会が発足しました。
http://www.city.iida.nagano.jp/furusato/029/f2901.htm
初期の主なメンバーは、談志師匠の「現代落語論」を読んで落語に目覚めたというコアな談志ファンが中心でした。
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花火鑑賞中、サインに応じる談志師匠 |
目的
「伝統を現代に」をスローガンに掲げる立川談志に共鳴し、本物の芸を生で見る機会を作りつづけたい。
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「しなの路」店内に飾ってある昔の写真
左から木下氏、高田文夫先生、志の輔師匠、昇太師匠 |
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内容
立川談志とその弟子達にある程度はこだわりつつ、他流派の落語家も招き今まで続けてきました。
利益を上げることはまったく度外視していますので、落語そのものの力量の高い方に絞って招聘しています。
「テレビでレギュラー番組持ってて有名だから呼ぼう」というスタンスとは相容れません。 |
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・「伊賀良」とは?!
長野県飯田市の一地区の名称。かつては「伊賀良村」という独立した自治体だったが、飯田市と合併。
現在は飯田市北方、大瀬木、中村、三日市場、上殿岡、下殿岡の総称として「伊賀良地区」という呼び名が
残っているのみで、住所に「伊賀良」は付かない。
「伊賀良落語愛好会」の会員は伊賀良地区住民に限らない。飯田市・下伊那郡の他地域をはじめ、遠くは長野市にも!
★当然お客様も伊賀良地区に限ったわけでなく、どなたでもご参加いただけるわけだが、「伊賀良地区住民のためだけの落語会」
と勝手に思い込んでる方も多いとか。 |
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グループ紹介
立川談志の弟子達が「全国どこでも九万九千八百円で四人出向きます」という キャッチフレーズで始めた出前寄席を、平成元年に食事処「しなの路」の開店三周年 記念イベントとして伊賀良公民館で開いた。これがことの発端。店主の木下浩志さん と意気投合した観客の数人が「この程度の予算なら毎年開ける」と、同公民館を会場
とした定期的な寄席が始まった。
当初から代表者を選ばず、事務局として木下さんが会の窓口を務めるという独自の 運営スタイルをとってきた。出前寄席のパンフレットには「弟子の落語会を開いてい れば、いつか家元(談志)が出向くかもしれない」との思わせぶりな一文が載ってい
たが、原功さんら初期の会員には「夢のような話」でしかなかった。
「そろそろ家元を行かせましょうか」。スタートから五年目、ついに立川企画から 朗報が入った。会員の多くは「恐れ多い」「ギャラも高い」としり込みしたが、新会
員・常盤正志さんの「やってみよう」の一声で全員が意を決した。
東京の下町が失った風情を伊賀良に感じた談志は、「金のために来てるんじゃな い。条件もけっしていいとは言えない会場だが、ここは文化的レベルが高い」と言っ た初回から、“眠事裁判”の翌年まで通算八回出演。大入りの会場を満足げに見渡す と、「俺(の落語)を聞きたいなんてよっぽどだよ」と照れ笑いを浮かべながら、毎
回客席に真剣勝負を挑んできた。
後を引き受けた志の輔も「師匠がなぜここを大事にしてきたのか分かった」と、三
年連続で自発的に出演している。
「馬鹿を承知で続けてきた。今までの積み重ねが、一流の落語家を驚かせるほどの 雰囲気を作り上げている」と木下さん。いまだに「原告側」と誤認している人もいる
が、もう弁明はしない。
初めのうちこそ観客の大半は伊賀良地区住民だったが、今では飯伊全域のほか、県
の内外から落語ファンが参集してくる「全国で一番知名度の高い地方寄席」(志の輔)に
なった。
南信州新聞より |