火事を止めた愛宕さま

        奉納された旗


 下新町の松野屋さんの裏に『愛宕さま』がまつられています。祭日は十二月十一日で、

かつては下新町全戸でまつっていましたが、現在は松野屋さん
とその親戚数軒だけでま

つっています。

 愛宕さまはほんらい火の神様ですが、病気回復、仕事の無事など多くの人がいろんな願

いをかけ、その願いがかなうと三尺のサラシで旗をつくり奉納
しました。

松野屋さんにはその旗がたくさん保存されており、信仰のあつかっ
たことがわかります。

和田では大正八年と十一年に二度も大火がありましたが、愛宕さまのおかげでこの地区

は二度とも延焼をまぬがれたとあがめられています。

このほか、梶谷、此田、夜川瀬、本町役場裏にもあり、おもに火伏せの神(鎮火神)とし

てまつられています。

 愛宕の名前は、『その祭神迦具土(さいしんかぐつち)が生まれるにあたって、

母神伊弉冉尊
(ぼしんいざなみのみこと)を焼き死なしめた仇子(あだこ)であったことにちなむ

(古事記伝)と俗説されていますが、
むしろもとは側面、背面を意味するアテに由来し、

その神は境を守る神であっ
たのではないか』(柳田国男『地名の研究』)とも考えられて

います。

 祭神のひとつが勝軍地蔵と名付けられ、戦国時代に武将の間でその信仰が広まり、

徳川家康は、関ケ原の戦後に愛宕権現を勧請して、芝桜田山(東京都
港区芝公園内)に

社殿を営みました。

 近世になり、一般庶民の間ではかまどの神様として、台所にまつり、講を組織して火災

からまぬがれることに願いを込め信仰したのが、全国各地にひ
ろまったといわれています。

 夜川瀬(よがわせ)の愛宕神社には樹齢四百年以上といわれるご神木の欅の大木があり、

毎年十二月十一日に霜月祭りが行われていました。和田近辺では一番最初に行われたため、

たくさんの露店が並びたいへん賑わいました。

 しかし、昭和三十三年四月、直径約三メートルのご神木が三カ月かかって伐採されるとと

もに、その長い歴史に幕を下ろしました。

火事を止めた愛宕様

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