字へッタレ橋

押出橋下にあるヘッタレ岩の橋脚跡の穴


 押出橋(おしでばし)たもとに「字へッタレ橋」と、奇妙な名を刻まれた石碑があります。

 碑文には、「明治三十五年落橋につき、村に請願し明治三十七年着工、三十八年完成した」

とあります。

 ふるさとへの伝言に『橋の国道側の下に大きな岩があるがこれがへッタレ岩』とあり、

この付近の字名を土地台帳で調べましたが、へッタレという字
名は見つけることはできませ

んでした。

 押出沢尻は、秋葉街道の和田と押出を短距離で結ぶ重要なルートとして利用されてきまし

た。冬季の水の少ないときは川を渡ることもできましたが、
土橋をかけるなど古くから遠山

川の渡河に苦闘してきました。

 伐採が進み山が荒れた明治後期以降、橋は毎年のように襲う洪水に流され、幾度となく掛

け替えをしてきました。村の財源と寄附により明治三十八年に
架けられた字へッタレ橋も、

四十五年の大雨で流されてしまいました。

 このころ、押出と和田を結ぶルートは二通りありました。

一つは夜川瀬を通り山原に登り兵沢を下り松島橋を渡るルート。もう一つは小道木橋を渡り

大島、小池を経て和田に至るルートですが、いずれもかな
りの大回りとなりました。

 そこで、上ノ島(押出橋たもと)から左岸を遡り瀬戸経由で大島に至る「瀬戸線」が多く

の人に期待されましたが、地形が悪く開通したのは昭和に入っ
てからのことでした。

 その発起人の代表者二名の氏名が、この碑の背面に彫られています。

 ところでへッタレとは、どういう意味なのでしょうか。

 群馬県の方言では、垂れ下がった眉毛のことを「へったれまみげ」といいますが、北海道

などでは平べったいことを「へったらこい」、また千葉県因幡
郡や静岡県田方郡あたりでは

空豆のことを「へッタレ豆」というそうです。

 遠山川に寝そべるへッタレ岩は『空豆のような平べったい岩』ということなのでしょうか。

へッタレ岩には、今でも二カ所に三十センチ角の、橋脚跡
の穴が残っています。

 和田近辺には、へッタレ以外にもめずらしい名前があります。

カイモト、クスマキ、ヨキノハナ、かキノクボ、チクジン、シンビラなどですが、前九郎

作り、徳弥作りなど開墾した人の名を付けたことがはっきりわ
かる地名や、出山、ヲチ、水

口、小池など特徴を捉えた地名等と違い、どのよ
うなことで呼ばれるようになったのでしょ

うか。

 平成十三年十一月飯田市美術博物館で伊那谷地名研究会が発足されました。

その記念講演で遠山の谷へ幾度も訪れたことのある民俗学者の谷川健一氏は、「地名は日本人

全体の代々守りついできた文化遺産」と語り、誰でもできる地
名の研究の重要性を説いていま

した。

 何気なく、自然に使っている地名でも歴史があり、それぞれに深い意味があります。

一度、近辺の地名が持つ意味を考えてみてください。

きっと新しい
発見があると思います。

         字ヘッタレ橋の碑
 
   「字ヘッタレ橋の碑の碑の拓本取り

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