第十九章 東澤山にてうはばみとたゝかひつゐに退治たる事


 かくして山入見分もやゝ果ぬれば、都方の役司は、大木いづれも遠州の同行いひしに違ぬゆ

へ、ことごとく帳にしるし、懐中して都へ帰られ
しと也。それより都方にて御沙汰終り、冬の

初つかた、又山入のことを
はかる。今度は大木を伐出すことと成ぬれば、是により、國々所々

へ人
をもつて杣日雇(そまひよう)を駈催(かりもよふ)すに、早々人もそろひぬ。

杣方日雇を六組にわけ、十五人づゝ都合して九十人也。

日雇を四組になし、一組に廿五人づゝ都合百人なり。元會所といふもの、中會所といふものを

たてゝ、詰役人は
(かわるがわる)人數(にんじゅ)あり。

 杣日雇の頭たるものは、七蔵、勘三郎。人數二百十余人。霜月四日に青崩山、西澤、丸畑、

東澤、詰り澤と、山々へ斧立
(よきたて)せんと、谷々に小屋をしつらひ、明れば根伐(ねう

ち)
せんとて、手にでに匁廣の斧砥立(よきとぎたて)て、夜は山中の小屋々々にはじめて宿り

ける。

しかるに東澤山上の小屋、杣頭小左衛門組下十六人宿りふしたる三四更のころ、高いびきする

に互にねぐるし
く有しが、炊(かしき)の若もの、夜中の便事に小屋口へ出けるに、何やらん行

あたりころばぬ斗のさま、しかもなまぐさし。おどろきいそぎ立帰り、小
左衛門に密に告ぐ。

物なれたる小左衛門ゆゑ驚くけしきなく、小庄屋勇
蔵をおこし、それよりいひつぎて皆々密に

起あがり、小左衛門いふに
は、是は蟒(うはばみ)なるべしとさとり、皆々へこれをつげ、此小

屋を
取まくうへは絶體絶命といふべし。しかはあれども、手合(てあはし)をしてはからば仕損

ことはあらじ。

必こゝろせくべからず、此十六人有合す斧
(よき)にて、一度に聲を合して切て出ん。

我と勇蔵とは頭の方へ斬て出べしといひ合せしかども、危きこと限なし。

皆々装束してかけ聲一同に斬たてければ、さしも
の蝮蛇(うはばみ)もたまりかね、身もだへし

けるに、小屋はいづくへかはねちらしぬ。

首の方の二人は命限に働しが、つゐにうちとめたり。さて夜中なる
ゆゑ人數を改めけるほど

に、少しの怪我あれども厭ふほどのことにあらず。

はじめ首をふりあげていかりし像(すがた)、八尺斗にも見えたり、目は日月のごとく光り、口

をひらきむかへる勢ひ、誠に一呑みにもすべきさまにて
おそろしかりけれど、我命にはかへが

たくして斬てかゝるせつなさ、い
かなる小左衛門勇蔵もくたびれたりとて、焼火をつよくして

木蔭をしつ
らひ休みしほどに、たゞちに夜も明たり。

此事詰役中へ告しらするに、其黨のものわれもわれもとはせ来り、あやまちなきを悦び、小

左衛門組の十六人に力をそへていたわれり。

時に此小屋造は 二間に、八間それをとりまくものゆへ、凡廿間も有べしととりどりいひあへ

り。いかさま首の大きさを見れば何にもせよ大物也。

首は 四尺に五尺斗 首(かしら)の骨は 江戸何某の家にかくす

 此後はさせるあやしきこともなく、日々に山中は人まして賑やかなれば近山のごとくにて、

萬事自由になれり。伐いだす材木は川さげにして、瞼岨幽谷いく所も過、谷川をながすに至り

ては、十三里の行程天龍川へいづる也。

此川筋を筏として流こと三十里の間をうかめて、掛塚湊に木は着ぬ。八とせの星霜障りなく、

微志此時にみちて、都の大堂再びなることぞ、
いとありがたしと歡喜かぎりなし。

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