雨乞いとからねこさま
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いまは姿を消した行事の一つに、雨乞いというのがあります。
これは毎日天気が続き、畑の作物が枯れはじめるころになると、かならず行われたものです。
雨乞いはところによって、やりかたはいくつかあったと思いますが、たいていは神社に集ま
って行われました。
ねぎさまを中心に、むらのしゅうが、たいこを打ちながら、トウボーカミ、へービータマエ、
ハーライタマエ、キヨメテタマエ、トウボーカミと、くり返しくり返しとなえます。
そしておいのりがおわると、むらのしゅうは、「雨くださいよ」と大声で天の神さまにお願い
をしました。
いくらお願いしても、雨がふらないときは、中郷にある、「お池」というところにお水を迎え
にゆきました。
「お池」はめったに人が行かない、山の奥ですので、お水を迎えにゆく人は、足のたっしゃな
若者たちでした。
若者たちは一日がかりで、「お池」にのぼり持っていった竹の筒に、お水をいただいてむらに
かえってきました。
ところが、迎えてきたお水は、きめられた日までに「お池」にお返しに行かねばならないので、
たいへんなことでした。
それでも、せにはらはかえられず、むらのしゅうはお水をお迎えに行ったのです。
また珍しい雨乞いとしては、須沢には雨乞いおどり、木沢には、「からねこさま」を遠山川の
流れで洗う風習がありました。
この「からねこさま」は、木沢の八幡神社神殿の両がわにおかれていましたが、ぬすまれる
おそれがあるため、いまはお祭の日だけしか、おがむことは出来ません。
「からねこさま」が、八幡神社におさめられた日は、元禄十四年(一七〇一)十月吉日で、
奉納者は水野藤吉と記されております。
元禄十四年というと、思い浮かぶのは、あの有名な赤穂浪士のことです。
あの事件は十二月十四日ですから、ほんの少し前に奉納されたことになります。
雨乞いのとき、「からねこさま」を若いしゅうがだいて、水にくぐる風習がいつからはじまった
のか、わかりませんが、そのために片方の「からねこさま」の手と足がかけています。