こんにゃく物語
![]() |
かつて、タンザニアの駐日大使、ルキンドさんが南信濃を訪れました。
大使は山の村の農業を見たいといって、ほうぼうをみてまわりました。
八重河内の『此田』へ行ったときのことですが、大使はこんにゃくを見て、たいへん
興味をおぼえたようです。こんにゃくは日本語ですが、英語ではゾウの足また製品は、
アクマノシタとよぶそうです。
ですから通訳の先生も、その説明には困ったようです。ところで、こんにゃくの自生
は中国や東南アジア・アフリカ大陸に広く分布しているとされています。
日本へ渡ってきたのは、縄文時代という説がありますから、大昔から作られていた作物です。
わが国で出た、いちばん古い百科辞典に、こんにゃくのことが書かれておりますが、それは
いまから一、〇四九年も前のことです。
そのころは、こんにゃくのことを、こにやくと呼んでいたと言います。こんな古い時代から
こんにゃくは、人間のなじみの多い食品でした。
ところが太平洋戦争のとき、風船ばくだんを張り合わすという、とんだ大役をおわされたことがあります。
風船ばくだんというのはアメリカ大陸を攻撃するために、日本が考えだしたものですが、これは
こんにゃくの主成分であるマンナンが、球皮材料としてすぐれていたからだとされます。
もうその頃は、日本の敗戦が色こくなった頃でした。
いま考えると思わずふき出すようなはなしですが日本としては、わらにもすがる思いだったと思います。
これがじっさいに使用されたのは、昭和十九年の十一月のことだったそうです。
まだ暗い午前四時、この風船ばくだんは、十二カ所の発射地から、アメリカ大陸に向けて発射されました。
さて、その結果ですが、中国の新聞に、米国モンタナ州に多くの風船ばくだんが落ちて、
山火事や人間が死んだと報じられたそうですが、ほんとのことはわかっておりません。
あれから四十余年、こんにゃくが、そんな目的に使われた事実を知る人も少ないと思います。
それはそれとして、食用のこんにゃくが兵器に、もうそんなみじめな時代は、二度とこないでほしいものです。