成15年8月、遠山川から引き上げられた埋もれ木。 
展示場所 飯田市南信濃 梨本停車場
左の写真は、南信濃村(現在 長野県飯田市南信濃木沢)
小道木橋下の埋もれ木。(遠山川流域)
檜の巨木は、水面上に約3メートル突き出している。
今から約1,300年前、地震により埋没したものだが、
長い風雪に耐えて、いまも当時の姿をとどめている。

   
 埋もれ木




 2002/6/8撮影

 最近の調査によって、年代が測定され、714年(奈良時代)に発生した大地震(遠江)
 によって埋没したものと判明した。なお、遠山川流域には、こうした埋もれ木が点在
 しており、歴史的遺産価値が大きい。
 1300年の古の万葉にさかのぼり、しばし、その壮大なロマンへ思いを馳せてみたい。

前後の年譜

622年 聖徳太子没
645年 大化の改新
708年 和銅開珎 和銅元年
712年 古事記編纂
714年 遠江地震 (埋もれ木)
720年 日本書紀 選上
752年 奈良東大寺大仏開眼供養

南信濃村「埋没林は714年に水没」     平成15年11月28日 南信州新聞記事から

遠江地震と一致 国内最古の災害記録

 南信濃村教育委員会は26日、「遠山川で見つかった埋没林が水没したのは714年と
 特定できた」と発表した。奈良文化財研究所(奈良市)の光谷拓実・埋蔵文化財
 センター古環境研究室長の調査で判明。埋没の時期と、「続日本紀」などの史書
 に記された地震の記録が一致するのは国内で
4例あるが、今回が最も古いという。
 村では、村の特別天然記念物に指定する方針だ。

 遠山川にある埋没林に注目した、埋没木の研究家で伊那谷自然友の会の寺岡義治
 さん=飯田市上郷黒田=が埋没木の年代を確定しようと光谷室長に年代鑑
定を
 依頼。
 
3年前から埋没木を輪切りにした試料を研究室に送り続けた。

 7例目までは樹皮が残っていなかったため、正確な年までは割り出せなかった。
 だが、今年
5月、護岸工事中に堀り出された8例目の埋没木(ヒノキ)に付着して
 いた樹皮を「年輪年代法」で測定。その結果、
714年に枯れたことが分かった。

 奈良時代の歴史書「続日本紀」には715年、平安末期の歴史書「扶桑略記」には
  714
年に、それぞれ遠江(現在の静岡県西部)で大地震があったと記されている。
 寺岡さんは「大地震による土砂崩落で遠山川がせき止められて天然のダムが出現
 し、森林がそのまま水没して埋没林になった」とみる。

 光谷室長によると、埋没林形成の原因とされる地震記録と埋没時代が一致したの
 は、全国で山形県真室川町、長野県の八ケ岳、清内路村に続いて
4例目だが、今回
 が最も古いという。「歴史書の記述とぴったり一致した。
 おそらく日本最古の災害記録といえる」と話す。

 埋没林は同村西島地区から木沢地区にかけての遠山川の約1キロ間で、約30本の
 立木が確認できる。大きいもので高さ約
4b、直径約1メートルほど。
 近藤高明村長は「貴重な文化財。村の特別天然記念物に指定するなど、遺産とし
 て大切に保存していきたい」と話している。