リニアの目論見と逆襲 永田 獏
リニア工事差し止め訴訟を尻目に大鹿でリニア工事が着工された。総額9兆円というかってない大工事が始まった。最初にこの話しを聴いた時、一私企業で大丈夫かなという思いがあったが、でも、頭のいいエリートの考えることだ、それに融資をしている銀行や22%もいる外国株主だって見通しのない計画を承認するはずがないから、我々の知らない理由で大丈夫なんだなと思った。ところが、「リニアはペイしない。」(JR東海社長の発言、2013年)という。エー!何それは、利潤を追求する企業が赤字になることが分かっている事業を始めるとはどういうこと、、、、、、、。色々考えて、へそ曲がりが一つの妄想にたどり着いた。これはJR東海を使った国家戦略ではないかということだ。JR東海にやらせれば、面倒な国民的論議をしないで済む。では、その戦略とは何か。
リニアの特徴は何かと言えば、それはスピードだ。建設費、エネルギー効率、安全性、環境問題すべてにおいて在来型新幹線に比べて劣っている。唯一優れているのはその速さである。時速500キロのスピードで東京、名古屋、大阪を結び、一つの巨大都市圏を形成し、それによって人口の大半をこの都市圏に集中し、効率化を図り、経済成長をするという戦略ではないか。交通政策審議会中央新幹線小委員会答申(平成23年)の中に、リニアによって、「人口の約半数(6000万人)が含まれる世界にも類例のない巨大都市集積圏域が形成され、、、、、国土構造を変革するとともに、国際競争力を大きく向上させる好機をもたらす、、、、、」とあるのは、この地域に人口を集中させ企業の利益を最大化させるという経済効率優先の政策で、それは、とりもなおさず地方切り捨て政策である。「国土構造の変革」とはそのことを言っていると思われる。
日本はほとんどが山で、人々は山と山の間のわずかな平地にへばりつくようにして暮らしている。町や村をつなぐには橋を架け、トンネルを掘りと、膨大なインフラ費用を必要とする。ひとたび大雨や暴風、地震が襲えば各地で災害が発生し、一層の対策費が費やされる。本来、経済成長の為の人材育成や技術開発に向けられるべき費用が少なくなり、ヨーロッパやアメリカのような平坦な地と競争するにはきわめて不利である。そこで地方を切り捨て、人口を一ヶ所に集中して効率化を図ろうとするのである。目論みどおりに巨大都市圏が形成され、経済成長によって人々の往来が活発になれば、ペイするかもしれない。
しかし、今、ひそやかにそれに逆行する動きがみられる。ひとつは、若者の地方回帰である。以前はシニアの地方移住が主流であったが、東日本大震災以後、一極集中はやばいと肌で感じた20代、30代の若者が辺地へ移り住んでいるというのだ。3.11から4年間で3倍にもなるという。そういった流れの中で、林業が元気になっているという。34歳以下の林業従事者の比率は、6.3%(1990年)から17.9%(2010年)でいまや20%をこえそうである。杉から抽出されるリグニンやセルローズナノファイバーは「夢の新素材」としてその技術開発が注目されている。これが広く実用化されれば、地域経済の活性化が図れるかも知れない。これらの動向はまだ微々たるものであるが、将来的には、集中型経済システムに抗う可能性を秘めていると言っていいだろう。
さらに、グローバルな問題として、あくなき経済成長を追求する資本主義システムは、気候変動という自然の逆襲を受けている。今、世界的に反響を呼んでいるカナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインは「これが全てを変える」の著書の中で次のように述べている。
気候変動という自然の逆襲によって、ベーコン以来、自然は征服しうるものだという前提が幻想に過ぎないことを思い知らされている。ワットが蒸気機関を発明して3世紀、我々は地下から化石燃料を取り出して、CO?を地球に放散して、大量消費、便利で快適な生活を追求してきた。しかし、歯止めなき経済成長という資本主義システムは自然法則の限界を超えてしまっている。壊滅的な気候変動を回避するためには、化石燃料に基づいた中央集権的な経済から、地方分散型の再生可能エネルギーに基づく経済へと移行する意外にない。そのためには、我々の意識の変更、生活の変革が求められる。と
だとするならば、リニアは21世紀の戦艦大和になってしまうかもしれない。国は、昨年までに3兆円の資金をJR東海に融資した。それも30年据え置き、返済期間10年、無担保、低金利という好条件で。
もし、目論み通り行かなければ不良債権化してしまう。誰が責任を取るのか。30年後リニアに関与した人はほとんどいない。全ては我々の子孫が負うことになる。ならば、もっと国民的議論を尽くして決めるべきではなかったかと思う。(2018.1.6)
「ティファニーで朝食を」 永田獏
NHKのプレミアムシネマで、半世紀ぶりに「ティファニーで朝食を」という映画を観た。この映画は「ムーンリバー」という曲で有名であって、内容はオードリー・ヘップバーンのキュートな魅力が“うり”のありふれた恋の物語である。それをどうしてもう一度観てみようと思ったかと言えば、そこに出てくるネコの名演技と、恋する二人がティファニーを訪れたときの店の対応に感心したからである。男は彼女の誕生祝に贈り物をしたいが10ドルしかない。高級宝飾店に10ドルで買えるものなんてありゃあしない。そこでスナック菓子のおまけについていた指輪に名前を刻んでくれと頼む。店員は馬鹿にすることもなく、丁寧に応対する。さすが一流ブランド店は違うと思った。
ところが、歳をとってから見直してみるとその時に気づかなかった事がみえてくる。それは、物語の“つま”として出てくる彼女の上階に住む日本人の姿である。大きな丸い黒眼鏡をかけ、出っ歯でづんぐりむっくりの姿。これは戦前、日本人を軽蔑的に描く場合の典型である。階下で騒ぎが起きる度にうるさいとわめきちらす醜い日本人を、笑いのネタにしていたのである。そこで魯迅の「藤野先生」という作品に出てくる逸話が思い起こされた。魯迅は医学を勉強するために、仙台医学専門校で学んでいたとき、スライドで日ロ戦争時ロシアのスパイ容疑で日本人に銃殺される中国人を周りで見ていた同じ中国人が「万歳!」と拍手と歓声をあげている姿に失望し、体でなく、中国人の心を直さねばと、文学の道に進んだとい言う話である。自分もその時に笑っていた中国人と同じく自民族を笑っていたのだ。
アメリカは日本を占領するに当たり、日本人の魂を骨抜きにするために3S政策というものをとっとといわれる。それはscreen(スクリーン),sports(スポーツ),sex(セックス)である。私は当時なんの抵抗もなく笑っていた。恥ずかしながら私も洗脳されていたのである。そして、その洗脳は今も続いている。先頃日本を訪れたトランプ大統領、日本の玄関から入ってこず、横田基地から入り、そこから韓国へ向かった。これほどあからさまに属国あつかいをした大統領は初めてである。にもかかわらず、だれも疑問を呈しなかった。その後、沖縄ではヘリコプターの窓枠が小学校の校庭に墜ちて、児童の生命が危険にさらされたにもかかわらず、抗議のデモすら起きない。それどころか「自作自演」「なんでそんなところに学校を作ったのか」という非難の電話がきたという。一体誰に向かって言っているのか、それが日本のために四人に一人も犠牲になった沖縄の人達にいう言葉か。そこまで魂が腐ってしまったのか。アメリカでは住宅地の上を低空で飛ぶことは禁止されている。だから、沖縄でもアメリカ軍の住宅の上は飛ばない。原因究明のために警察は強制捜査も出来ず、アメリカ軍に協力を要請のみというていたらく。我々日本人は民族の誇りも捨て、自発的隷従どころか、盲目的隷従でヤンキー文化にどっぷりと浸かり、幸せな毎日を過ごしている。極めつきは、集団的自衛権を容認して、アメリカに自衛隊を捧げることにしたことである。ここに至ってアメリカの3S政策は完璧に成功したといえるだろう。(2018.1.18)
放置国家 永田 獏
安倍首相は積極的に価値観外交(普遍的価値―自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)を展開して、中国包囲網を形成しようとしている。
だが、国内では普遍的価値の実現に努力しているだろうか?むしろ、逆のように思える。
まず、集団的自衛権容認の変更は、民主主義のルールを無視したものだ。憲法を変えてから行うのが筋というものだ。安保法制騒動では、首相補佐官が「法的安定性などどうでもいい。」といった。これで価値観の共有ができるだろうか。森友・家計問題で、野党が臨時国会の召集を求めたのに対して、何時までと憲法に日付が書いてないからと、90日も放置。議員の四分の一で要求出来るということは、少数者の尊重という民主主義の原則に基づくものであり、できるだけ速やかに開くことが求められる。それは憲政の常識であり、日付がないからというのは字面だけで法の精神を理解していないことになる。やっと開かれたと思ったら、90秒で解散、総選挙。野党の求めた審議は何一つ行われなかった。その渦中の籠池夫妻、逃亡、証拠隠滅のおそれがないにもかかわらず、裁判所は保釈請求を却下、何ヶ月もの長期拘留が続いている。口封じと疑われるのも当然だ。審議でも官僚は「記憶にない。金額の話はしたが、価格交渉はしていない。」ととぼけたことを言って、それで済んでしまう。どのような忖度が働いたのか。
忖度といえば、外国のメディアでは結構取り上げられているセクハラ疑惑問題がある。「官邸の御用達ジャーナリスト」とも呼ばれる元TBSワシントン支局長の山口敬之氏が、ジャーナリストの伊藤詩織氏をレイプしたのではないかという事件。警察が逮捕状を持って帰国してくる山口氏を、空港で待ち受ける直前、中村警視庁刑事部長(菅官房長官の元秘書官)」の判断によって執行が止められた。国会では超党派の「準強姦事件逮捕状執行停止問題」を検証する会が結成されたが、なぜか与党議員は一人も参加していない。メディアも「週刊新潮」以外は大きく報道しない。
国会、裁判所、検察、そしてメディアと、官邸への忖度が働いているとしたら、ゆゆしき問題である。総理のお友達であれば、優遇されたり、もみ消してもらえるということになれば、法の支配を放置したことになる。官僚は法に基づいて、公平、公正に行政を行わねばならない。もちろん、人間活動は多面的であるから、全てを法の網に掛ける事はできないから、さじ加減、配慮は必要である。しかし、それは弱い人に対してすべきで、強い人、権力のある者にはすべきでない。そんなことをすれば、行政にたいする信頼が失われ、国家の危機を招く。作家の適菜収氏は「日本は完全に底が抜けた。」と、ある雑誌に書いている。
それでも、それでも、それでも。選挙をすれば五連勝。
適菜氏はまた、「バカがバカに投票するからバカな国になる。自業自得。」とも書いている。
一月の末、自死した保守の論客、西部邁氏は「massは卑劣、低劣、愚劣。」と喝破した。だが、「東京に青空を!」というスローガンで革新都政を実現した美濃部亮吉氏は「大衆は大愚で大賢である。」ともいっていた。いずれにせよ、我々は「あべちゃんだーい好き、もっと強く抱きしめて私を支配して!」といっているようだ。(2018.2.3)
「花びら供養」 永田 獏
*「きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。
それがあなた。死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げて出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜のはなびらば拾おうとしとりましたです。曲がった指で地面ににじり付けて、肘から血いだして、
『おかしゃん、はなば』ちゅうて、花びらば指すとですもんね。花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
何の恨みも言わじゃった 嫁入り前の娘が、たった一枚のはなびらば拾うのが、望みでした。それであなたにお願いですが、文ば、チッソの方々に書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに。拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に。」
*七つになったその子は口がきけなくなり、食べ物も喉を通らず、手足の指も曲がってゆくばかりで、先のない命であるのは誰に目にもあきらかであった。激しい痙攣の合間には静かになって臥せっていることもあった。
ある日、同じ病の出始めている母親に、しきりにものを言おうとし、曲がった指で何かを指すような仕草をする。
体重のなくなった子をおんぶして母親は庭に出た。しばらくその背にぴったりと頬をつけていた子は、首をもたげてこう言った。
「かかしゃん(かあさん)、かかしゃん
しゃくら(さくら)しゃくら
おら(ほら)、しゃくらのあな(花)の
しゃいた(咲いた)おらなあ」
母親は、「この世の名残に花の見えて」
と言いさして空を見上げ、うっすらと涙を浮かべて語ったが、その子の死後、五年も経たぬうちになくなった。
上の文は、石牟礼道子氏の表題の本の中に出てくる二組の胎児性水俣病母子の話である。この本を読んでいるときに、氏の訃報に接して49年ぶりに書庫から、カビと埃にまみれた「苦海浄土わが水俣病」を取り出して再読した。水俣病とは、チッソ水俣工場の排水に含まれる有機水銀が魚介類に蓄積され、それを食べることによって中枢神経が犯され、廃人あるいは死に至る病である。氏は病気の発生以来、患者に寄り添い高度成長がどのよな犠牲の上になされたか、土語をもってこの不条理を告発し続けた。
苦海とは何か、それは中毒症状による激しい苦しみと貧困。奇病としておそれられ差別された事。また、政府による工場排液が原因との認定後は、地域経済の要のチッソをつぶすのかという迫害受けたことである。
ある患者は死の一年くらい前、「道子さん、私はもう、許します。チッソも許す。病気になった私たちを迫害したひとたちも全部許す。許すと思うて、祈るごつなりました。毎日が苦しゅうて、祈らずにおれん、、、、。何ば祈るかといえば、人間の罪ばなあ。自分の罪に対して祈りよっと。人間の罪ちゅうは、自分の罪のことじゃった。
あんまり苦しかもんで、人間の罪ば背負うとるからじゃと思うようになった。こういうむごか病気が、二度とこの世に残らんごつ、全部背負い取って、あの世に持って行く。」
あまりの辛さに国や行政、裁判所に一部でも荷つてほしいと訴えたが、それはもうやめた。責任を取る者がいないなら、どっちみち癒えないなら、皆が放棄した「人間の罪」を自分達が全部引き受け直そう。絶望の底に見た光、祈りの世界、極限状態になって死んでいった患者達が見たもう一つの世、苦海に落ちた人にしか夢見ることのできない世界、それこそが浄土であると道子氏は書いている。だが、死んでいった患者達の祈りもむなしく、我々は水俣病の教訓を生かすことができなかった。薬害エイズ事件やアスベスト被害などを起こしてしまった。
1956年水俣病の届け出から60余年、治療法はまだ見つからず、水俣病特措法に基づく救済対象者は36,361人(2012年)、水俣病はまだおわっていない。
厳しかった寒さも終わり、花の季節がやってきた。人々は満開の桜を愛で、その下で宴を催すことだろう。だが、今の豊かさはこれらの患者達の犠牲の上にあることを忘れないでほしい。母親を通して近代の毒を一身に受け、ただ苦しみだけを背負って生まれ、そしてはかなく逝った児のために、せめて一片の花びらを拾って供養することは、近代化を謳歌する我々のつとめではないだろうか。
「かかしゃん、かかしゃん
しゃくら、しゃくら
おら、しゃくらのあなの
しゃいた、おらなあ」 (2018.4.3)
国民の敵 永田 獏
防衛省統合幕僚監部に勤務する3等空佐が、民進党の小西議員に「国民の敵」(本人は否定)と暴言を吐いたことが問題となっている。防衛省の調査でも「国民の敵」はともかくとして、暴言を吐いたことは確かなようだ。勿論、個人が政治家にたいしてどのような意見を持ち、発言しようと、それは憲法に保障された自由である。では、なにが問題なのか、自衛隊員であることを名乗り、自衛隊という組織をバックに国権の最高機関の議員に圧力を掛けようとしたことだ。これは重大な文民統制逸脱である。しかも、彼は防大出身のエリートで将来の幹部候補である。一自衛官とはわけが違う。以前から、小西議員について、政府や自衛隊の進めようとしている方向と違う方向での対応が多いというイメージを持っていたという。自衛隊が進めようとする方向とは何なのか、そもそも自衛隊が政策的意図を持ってはいけない。小西議員は安倍政権追求の急先鋒であったことから、穿った見方をすれば、偶然と言うより狙い撃ちして圧力を掛けたと推測される。
自衛隊創設時に首相であった吉田茂氏は「平時にあっては、自衛隊は日陰者に甘んじてほしい。」と言っていたが、自衛隊もついにここまで来たかという思いである。今から48年前、作家の三島由紀夫が自衛隊のバルコニーから「檄」を飛ばして決起を促し、割腹自殺した時は、隊員は誰も追随しなかったが、今ならどうだろうと危惧してしまう。その要因の一つに、世論の動向があると思う。東日本大震災で国民の信頼を増したのは天皇と自衛隊であるといわれる。一日に最大十万余の隊員が献身的に活動する姿は、国民に大きな感銘を与えた。それによって今や国民の九割近い人が容認している。しかし、へそ曲がり的にいえば、災害救助は消防や警察の補助的役割であって本来の任務ではない。自衛隊の任務の中には国民の生命、財産を守るという言葉は一言もない。昔、特車(戦車)を導入するときに「狭い日本、人家が密集していてどこで使うんだ。」という議論があったとき、「そんなもの踏みつぶしてしまえ。」と言ったという逸話が象徴的である。では任務は何かと言えば、「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。」(自衛隊法第3条自衛隊の任務)である。
そもそも軍隊は侵入者と闘う側面と時の権力に対して立ち上がった民衆に銃口を向け、時には自ら政治的意思を持って権力を奪取する(クーデター)という二面性をもった実力組織である。このことは多くの世界の歴史が示している。だから、憲法では日本の歴史の教訓から文民統制の文言が入っているのである。文民統制を逸脱するような兆候には、過剰なほど敏感に反応してその芽をつみとっていかなければならない。そう考えると、今回の事件に対する政府の処置は非常に軽く、事の重大性にたいする認識が甘いといわざるをえない。今、ネット上では「小西は国民の敵」という言葉が飛び交っている。同じ国に住む意見の違う仲間というのでなく、「敵」として排除しようという状況は恐ろしい事態だと思う。自衛隊には陰で支えて欲しいと願っていたので、制服を着た隊員が街中を闊歩する姿は見たくないと思っていたが、そういう時代がそこまで来ているかも知れない。(2018.5.20)
オウムと民主主義 永田 獏
7月6日メディアは一斉に麻原彰晃以下7名のオウム事件死刑囚の死刑執行を報じた。この報に接して、日本はまた曖昧な仕方で事を終わらせようとしているなと思った。それは、犯罪史上最悪と言われた地下鉄サリン事件、一審のみで死刑が確定するという異例もさることながら、その動機について麻原死刑囚に一言も語らせずに吊してしまった。なぜあんな無差別殺人事件を起こしてしまったのか、われわれは永久にそれを知る手立てを失ってしまった。こういうかたちで、オウム事件の恐怖と不安を閉じ込めたら、そこから教訓をひきだして次に役立てることはできない。さきの敗戦時もなぜあんな無謀な戦争をしてしまったのか、その原因と責任を明らかにせず、曖昧なままにすましてきた。原発事故も、津波なのかそれとも他の原因なのか究明することなく、また責任の所在も明らかにせず、ずるずると再稼働してしまった
。
「A」や「A3」というオウムを扱ったドキュメンタリー映画や著作を著わした映画監督の森達也氏は、オウム後の社会の変化を、監視社会化と集団化が進んだことをあげているが、私は日本の民主主義の底の浅さ、しょせん借り物のエセ民主主義であることを露呈した事件であると思った。
オウムは紛れもなく、われわれの社会が生み出したものだ。人々は恐怖と不安を解消するために、自ら生み出したものを絶対悪として徹底的に排除しようとした。「オウムに人権はない。」として、各地でオウム排斥の住民運動が起こり、その世論におされて行政は信者の住民票不受理を決めた。住民票がなければ、運転免許証や保険証が取得できない。この二つが無ければ、この社会で生きていくことがむつかしくなる。千葉県の我孫子市では「人権は、皆が持つもの、守るもの」という立て看板と共に、「当市はオウム信者の転入、転居届けは受け付けない」といった旨の貼り紙が張り出されたと森氏は書いている。彼はそれを見て質の悪いブラックジョークかと思ったそうだ。
埼玉県都幾川村は信者の子女の就学は認めない方針を打ち出し、入学通知書を送付しない決定をした。理由は村民感情を考えると超法規的処置を執らざるをえないと言うことであった。同県の春日部共栄中学は麻原の次男の入学を拒否した。憲法では「すべて国民は、、、その能力に応じてひとしく教育をうける権利を有する。」(憲法第26条)また出自によって差別されないことも規定している。子供は親を選べない。親のせいで教育を受けられないなんて不条理なことはない。日本は法治国家のはずである。何人も法を犯さない限り、その権利は制限されない。もし、住民に危害がおよぶおそれがある事態になれば、国が法的処置を執るだろうし、法によって警察が取り締まる。行政はその事を説明し、説得して安心させるのがつとめであるにもかかわらず、住民感情に屈してしまった。和光大学と文教大学が麻原彰晃の三女の入学を拒否した時、この国の学問の府は世論に敗北したことを示した。
このような世論を背景に警察も普通では考えられないような対応をした。よそのマンションの敷地内を歩いていたから不法侵入、カッターナイフを持っていて銃刀類不法所持、「転び公妨」(警察が勝手に転んで公務執行妨害)等で逮捕。これらに対して強い非難の声はどこからもあがらなかった。人権団体も沈黙を守った。オウムだから、オウムなら何でもありだった。それだけ異論を許さない同調圧力がすさましかったということか。われわれはカルト、オウムを恐れるあまり、我々自身がカルト化(集団熱狂)してしまったのだ。
具体的危険状況があるわけでも無いのに、ただ怖ろしい、不安だと言う感情論だけで簡単に憲法違反の行為をしてしまう。そして我々にはその自覚すら無い。これが戦後半世紀以上の繁栄を経て、たどりついた民主国家日本の実相である。(2018.8.1)
拉致異論 永田 獏
2002年9月、日朝両首脳は初めて平壌で会談し、国交正常化へのピョンヤン宣言に調印した。その際、北朝鮮の金総書記は拉致を認めて謝罪をした。むごたらしい悲劇が事実として提示されるや、救う会や家族会を中心に北朝鮮を「絶対悪」として、北朝鮮バッシングが展開された。マスコミがこれを煽り、さながら日本人すべてが被害者のごとく集団熱狂の渦に巻き込まれた。これはオウムの時の再現であった。救う会、家族会の意向に反する意見は排除、異論にたいしてカミソリの刃が送られて来るような状況が生まれた。ピョンヤン宣言の交渉に当たった外務省の田中均大洋州局長の自宅には爆弾が仕掛けられた。ジャーナリストの田原総一朗氏は、有本恵子さんと横田めぐみさんは死亡しているという発言をしたために、被害者家族から損害賠償請求訴訟を起こされた。「そこのけそこのけ家族会が通る。」という様相で、家族会が聖域化し、言論界は萎縮してしまった。本来、民主社会は多様性な意見を許す社会であったはずだ。
朝鮮学校生の制服切り裂き、「在特会」による京都朝鮮学校襲撃事件など在日朝鮮人へのいわれなき嫌がらせが横行した。北朝鮮を「ならず者国家」としたブッシュ政権ですら、10万トンの食糧支援をしたのに、家族会は日本の人道食糧支援に反対し、これを中止させた。拉致を人権問題として追求した人々が、救えたであろう飢えた無辜の命が失われた事に痛みを感じなかったであろうか。行政レベルでは朝鮮学校の高校無償化適用除外、朝鮮学校生の北朝鮮からの土産物没収、自治体の補助金カット、これらは政策の名にあたいしない子供のいじめのレベルで、日本の品格をおとしめる以外なんの効果もなかった。そろそろわれわれは感情論を排して、冷静になって様々な意見を論ずる時機に来ているのではないだろうか。
拉致問題がここまで長引いたのには、はじめに見込み違いがあったと思う。一つは日朝両政府が日本の国民感情の動向を甘く見たことである。拉致を認め、将軍様が謝罪をして生存者を帰せば、10月からの正常化交渉が軌道に乗ると思ったが、逆に国民の北朝鮮への悪感情が局限にまでたっしてしまった。
もう一つは我々の北朝鮮への上から目線の認識のである。「北朝鮮は困っていて金がほしいから、制裁をすればすぐ頭を下げてくる。あせる必要はない。金政権はまもなく崩壊する。」という認識が日本中に定着した。あれから16年、一向に頭を下げる様子もなく、崩壊のきざしも見えない。歴史的に見れば、強大な中国の王朝の圧迫を受けて屈辱に耐えて国の存立を維持してきた。それ故にことさら自尊心が強い。プーチンロシア首相もいっているように「草を食ってでも耐える。」とりわけ日本に対しては植民地化されたという歴史があるから、小国としてあなどるなという感が強い。
そもそも拉致問題はどうして起こったのだろう。当時の福田官房長官は、事件が国交正常化以前の「戦争状態」下で起きた事を強調した。朝鮮戦争に際して、日本はアメリカに全面的に協力し、後方基地としての役割を果たした。日本なくしてアメリカは朝鮮戦争を戦えなかった。北朝鮮からすれば、日本はアメリカと同じ敵である。日本も北朝鮮の国家としての存在を公式には認知していない。日韓基本条約で韓国を“朝鮮半島における唯一の合法政府”としてきた。従って、拉致問題の解決には、この戦争状態の解消、つまり、北朝鮮を正式な国家として遇するための国交正常化が何よりも必要である。
現政権は「拉致問題の解決なくして国交正常化なし。」といってきた。拉致問題の解決とはなにか。全員の帰国である。全員とは何人か。われわれはその情報をもっていない。日本には特定失踪者だけでも900人近くいる。それらの家族を納得させるために、独立国の竈のふたを開けて調べるようなことはできない。従って、全員といっている限り解決は永遠に不可能だ。拉致問題は核ミサイル、戦後補償の問題を含めて包括的に進めるべきだと思う。それらを進めるにあたって必要なのは、コミュニケーションとネゴシエーション(交渉)である。すぐに国交正常化が難しいなら、文化やスポーツの交流から始めて両国民の相互理解を深める。そういう中で、様々な情報が手に入るだろう。それは交渉の重要な材料になる。
拉致問題は安倍内閣の最重要課題、安倍内閣で解決すると述べた割には、やったことといえば、ピョンヤン宣言をほごにし、交渉のいらない制裁のハードルをあげることと、他国に依頼するという恥ずかしい外交無策であった。北朝鮮は日本に4回の裏切りを受けたと思っているといわれている。北朝鮮の日本に対する不信感は増すばかり、拉致は1oも進展しなかった。ここに至って、安倍首相もついに平壌宣言への回帰と信頼関係の構築を口にした。非難と憎悪の応酬からは何も生まれない。誠意ある交渉による信頼関係の再構築こそが解決への第一歩である。国民もこれを支援し、たとえ厳しい現実が示されても、冷静に受け止める覚悟が必要であろう。首相は、常日頃政治家は結果が全てであると言っている。小泉元首相は、北朝鮮に乗り込んで5人の被害者とその家族を連れ帰った。憲政史上最長となる安倍政権、これで結果が出せなければ無能無策のそしりを免れない。頑張ってもらいたい。(2019.1.8)
北方領土問題 永田 獏
2018年9月、ウラジオストクでの東方経済フォーラムで、プーチンロシア大統領は「一切の前提条件抜きで年内に平和条約を結ぼう」と発言して、安倍首相をどぎまぎさせた。その後、11月14日、シンガポールでプーチン大統領と会談した安倍首相は「1956年の日ソ共同宣言を基礎とした平和条約交渉を加速させる事で合意した」と記者団に語った。共同宣言では、領土について平和条約締結後に歯舞、色丹島を引き渡すというものである。今まで、日本政府は、国後、択捉を含めた四島は日本固有の領土として、これらの返還を主張してきた事を考えると、大きな転換といえる。私としてはやっとまともな考えになったという感が強い。そもそも固有の領土なんてものはない。近代国家の領土は国家間の様々な力関係(軍事、外交、経済、文化など)によって決まる。例えば、アラスカはアメリカがロシアから購入したものだし、ルイジアナ地域はナポレオンから買ったものだ。北海道もアイヌの居住地を力で開拓したものだ。
では、現在の日本の領土はどのような力関係によって決まったか。いうまでもなく、先の大戦の敗北によってである。ポツダム宣言では、「日本の主権は本州、北海道、九州、四国ならびに我々の決定する諸島に限られなければならない」とある。では千島はどのように決定されたか。それはヤルタ秘密協定によってである。1945年2月、米(ルーズベルト)ソ連(ロシア、スターリン)英(チャーチル)は黒海の保養地ヤルタで戦後処理構想に関する会談を開いた。制海空権を失った日本の敗北は時間の問題であったが、本土決戦を豪語する陸軍にたいして、掃討戦をするならば、アメリカ軍は50万の犠牲が見込まれた。それを避けたいアメリカは、満州にいる関東軍の背後からの攻撃を強くソ連に要望することとなる。独ソ戦で疲弊したソ連にさらなる戦闘を求めるには、見返りとして千島の帰属を含む極東におけるソ連の要求を認めざるを得なかった。かくして、ドイツ敗戦後3ヶ月以内にソ連は日ソ中立条約を破棄して対日参戦をする密約がなされた。5月7日ドイツ降伏、その3ヶ月後8月8日ソ連は極東全域で日本を攻撃。14日、日本はポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦は終わった。
ソ連は連合国の密約どうり千島を占領した。1951年、日本が「独立」するサンフランシスコ会議において、吉田首相は千島の放棄を世界に向かって宣言した。そのころの国会における領土問題に関する決議(1952.7.31)をみると、沖縄、奄美大島、小笠原、歯舞、色丹という名前は出てくるが、国後、択捉という名前はない。したがって、当時の日本では国後、択捉には領土問題はないという認識であった事がわかる。それがなぜ四島返還に変わったのか。
ソ連は自国の安全保障にきわめて敏感である。何度も他国に侵入された。古くはナポレオンによって、日本もシベリア出兵した。独ソ戦では二千万人という歴史上最大の被害を受けた。一度も侵入された事のないアメリカとはレベルが違う。国後、択捉は太平洋への出口として、きわめて重要な戦略的位置にある。ここにアメリカの基地が出来る事を容認するわけがない。そんなことは外務官僚や政治家がわからないはずはない。これには冷戦下、日ソ間に友好関係が生まれると戦略上大きな狂いが生じるとするアメリカの意図が働いたのではないかといわれている。いわゆる「ダレスの恫喝」というもので、当時の国務長官ダレスは二島で平和条約を結ぶなら、沖縄は返還しない、対日援助の停止もありうる。と言ったというものである。あわてた日本政府は、様々な理屈づけをして四島返還を称え、中立条約破棄とからめて反ソキャンペーンを張った。
1991年ソ連崩壊、冷戦は終わった。アメリカの対象はロシアから中国に変わったにもかかわらず、二島返還論は出てこなかった。これは皮肉なことに、教科書に載せるほど徹底した四島論が国民の間に浸透して、二島論を言えば国民の反発を招き、国賊扱いをされるから政治家は怖ろしくて口に出来なかったのだ。以前、鈴木宗男氏が二島先行論を言っただけで国賊呼ばわりされ、果ては犯罪者として政治生命を失った。だが、なにがあっても支持率の下がらない安倍首相なら国民の反発をなだめることが出来るかも知れない。四島返還に固執して、力関係の変換を待つか、二島と豊かな漁場を得るか。我々は決断すべき時だと思う。それにロシアにおいて、強権的なプーチン大統領の影響力がいつまで続くかもわからない。チャンスは逃すべきでない。「外交の安倍」に 期待したい。(2019.1.24)
B層に依拠せよ 永田 獏
3月の末、かねてから望んでいた九州の開門岳と天孫降臨の地、高千穂の峰に登りに行った。暖かいと思って行ったのに、高千穂峰に登る頃には異常な寒さにおそわれた。これはかなわん、最後に九州最高峰の久住山に登って早々に引き上げようと 、登山口のある峠まで来たら、雪が舞ってきた。ノーマルタイヤだったので、これは大変と諦めて、湯布院へ下った。ここで由布岳に登ることにした。さいわい、天気も回復し陽もさすようになった。チラホラと雪があって寒かったが、順調に歩を進めた。8合目あたりで、私と同年配の男性とその孫らしき少年が、ラジオを耳に当てて聞いているのに出くわした。尋ねてみると元号の発表を聞いているのだと言った。ああ、今日は発表の日だったんだ。すっかり失念していた。山にまで来ても聞こうとする元号への関心の高さに気づかされた。帰飯してメディアにあたってみると 、号外が発行され、それを人々が奪い合い、ちぎれてしまうような映像が流されていて、大変な騒ぎであったことがわかった。さらに驚いたことは、平成の時と違って、首相がメディアに出まくっていて、そのせいか、支持率が10%近くもあがったということである。国政において成果を上げたわけでもなく、だれがやっても同じなのに、野党第一党の支持率を超える数字をあっというまに上乗せしてしまった。我々の民度に唖然とせざるを得なかった。
そもそも中国で始まった元号は皇帝が土地や人民を支配し、時間をも皇帝のものとして定めたものである。だが、象徴天皇制の下にあっては、時は主権者たる国民のもので、その中身は天皇と共にこれから国民が埋めていくもので、空のものとして提示されなければならない。その事を理解しておれば、権力者は慎みを持って対処すべきであるが、安倍首相は早々と中身を埋めてしまった。これは元号の私物化であろう。例えば、なんで5月1日かといえば、首相の嫌いな朝日新聞が、4月1日をスクープしたためと言われている。これが本当なら、国民の都合よりも本人の嗜好を優先したということだ。
即位式典やトランプ大統領訪日などもためらいもなく政治利用し、さながら安倍幕府による安倍幕府のための改元であった。そして国民も楽しんでいいじゃないかとばかり、改元狂騒曲に踊った。それには、未来の見えない閉塞感のただよう中、新しい時代が始まるかも知れないという幻想があったのではないか。4月30日にカウントダウンイベントに集まった人達は、時代をリセットしてそこに希望を見いだそうとしたのではないか。森友、加計問題も公文書の改竄、統計の不正、およそ国の存立に重大な影響のある問題も忘れられて、すべてチャラになってしまった。
メディアも批判精神をかなぐり捨て、お祭り騒ぎをあおった。トランプ大統領をむかえての宮中晩餐会が生中継(おそらく初めてではないか。)されたが、ネット上では食事の内容や、女性のファッションでもちきりだった。大統領訪日に関する一連の報道は、安倍首相との蜜月ぶりをアピールし、強固な日米同盟を印象づけた。しかし、何回ゴルフをしようが、外交は国益と国益にぶつかりあいである。たいして役には立たない。日本はアメリカにとって属国であり、収奪の対象であることには変わりはない。両首脳がそろって空母化が決まっている護衛艦「かが」を視察したことは”アメリカの戦争に一緒に出かけて行くぞ”という忠実なポチ振りを表明したものと外国から取られかねないし、日米貿易交渉も厳しいものになるだろう。せいぜい、武器を爆買い(F35戦闘機105機購入)してくれた見返りに、合意の発表を選挙後の8月に延してくれたにすぎない。とても選挙前には明らかに出来ないものに違いない。すでにトランプ大統領は自国民に対して、「大きな数字を期待していると。」とツイートしている。アメリカが日本に売る物は兵器か農産物しかない。だから、農産物に対して厳しい内容になることは予想が付く。自動車のために農産物を犠牲にするというディール(取引)がなされたのではないか。トヨタは助けても、JAは助けませんよということだ。
それにもかかわらず、メディアは政権を忖度して、突っ込んだ解説をしない。NHKの政治記者などは”ねらいどうり”と評価する発言をしている。外国メディアの冷ややかな報道とは対照的に、日本のほとんどのテレビは「日米同盟がより盤石に」「これほどトランプと親密なのは安倍首相だけ」と持ち上げている。これによって、支持率は上がりっぱなし、同じ国賓でもイギリスでは大規模な反対デモが起こっているのに、日本ではその報道はほとんどされない。かくて「自分を殴りつける者を喜んで支持する阿呆どもに依拠すればよい。」(白井聡「国体論」の著者)という戦略は大成功のように思われる。そして、この戦略と影響はオリンピック騒ぎまで続くだろう。(2019.6.28)
シラネアオイ(白根葵) 永田 獏
昨年の6月末、越後の浅草岳へヒメサユリ(姫小百合)を見に行った。それは、TVの山番組で「花の百名山」を書いた田中澄江が、どうしても見たいと梅雨の雨の中を登ったという説明があったので、どんな花だろうと興味が湧いたからだ。下山の途中、上がってきた女性グループの一人が「シラネアオイは咲いていませんでしたか?」と尋ねた。「エー、ここにもあるんですか。あったら是非見たいです。前から憧れていたんです。」というと「日光白根山のロープウエイの終点のロックガーデンにいっぱい咲いていますよ。」と教えてくれた。
なぜ見たいかというと、この花はキンポウゲ科シラネアオイ属1属1種の日本固有種であるからだ。名前の由来は、日光白根山で発見され、花がタチアオイに似ており、葉がフユアオイに少し似ているからだといわれている。また、この花の発見についても興味ある逸話がある。それはこの花を発見した大学の植物研究室で、そこに出入りしていた研究者の一人が、いち早くそれを発表してしまい、激怒した教授が破門、出入り禁止にしたという話しである。すぐに行きたかったが、この二つの花は、梅雨の時期に咲く。この年になると、田中澄江のように雨をおして登る気になれない。梅雨空の晴れないうちに花期が過ぎてしまったので、次年を期すことにした。そして、ロープウエイを使って、楽をして見るには花にすまないような気がして、頂上直下の火口池(弥陀ケ池)の自生地まで歩くことにした。
現状について調べてみると、弥陀ケ池の西側斜面にはシラネアオイの見事な群落があったが、1995年ころより盗掘や鹿の害により、群落は壊滅状態に陥った。群馬県のレッドリストでは準絶滅危惧種に指定されており、現在、「シラネアオイを守る会」を中心に保護、復元活動が行われている。これには地元の尾瀬高校自然環境科も加わっているということだ。
この辺の事情を田中澄江は「新花の百名山」で「池の右手の山腹はまったくシラネアオイ以外の花は何にも見えず、ため息の出るような美しさで、野性の花がこんな典雅な風情をあらわすということに感動した。、、、、、、、、、、、、、、、、、、シラネアオイが激減しているのを知って、胸をつかれる思いであった。たった十数年の間に、花盗人たちに持ち去られたのではないだろうか。、、、、、、弥陀ケ池の右手の山腹をうす紫で埋めたあのシラネアオイたちはどこへいったかと暗然たる思いになり、」と書いている。
今年こそはと梅雨の晴れ間をねらっていたら、6月末、やっと2日間の晴れ間の予報が出た。すべての用事を放って出かけた。夕方、車中泊をするとて登山口の草地で歯を磨いていると、左右からそれぞれ十数頭の鹿の群が表れた。始めこそ警戒音を発していたが、そのうち平然と草を食みだした。これだけの鹿がおしかけたら花もひとたまりもあるまいと思った。次の日、予報に違わず快晴。3時間近くかけて自生地に登った。池のほとりのそこは電気柵に囲われていた。バイカオウレンの可愛い白い花の一面に咲く中に、シラネアオイはまばらに咲いていて、群落にはほど遠かった。憧れの花に出合った感動よりも痛々しさを感じた。これもすべて人間のエゴのなせる業というべきであろう。
登山者の一人から男体山にも咲いているという情報を得た。男体山は白根山の頂上から指呼の間にある。次の日も半日は天気がもちそうだったので行ってみた。しかし、自生地の標高が低く花期はすでに終わっていた。でも眼下の中禅寺湖、まわりの山々の眺望を楽しめたので、大満足であった。それにここは60余年前、中学の修学旅行で訪れた地である。友の多くはすでに鬼籍に入っており、感慨ひとしおであった。再びトンネルを越えて群馬県側へ下る頃、細かい雨がフロントガラスを濡らした。高齢者運転が問題になっている折、気をひきしめて帰路についた。(2019.7.25)
極めて無礼である 永田 獏
反知性主義がいわれて久しいが、最近、保守の論客古谷常衡氏は国会議員の発言をうけて、日本の知性の底が抜けたとネットでいっていた。丸山議員は一度ならず二度まで領土問題の解決は戦争しかないじゃないかと言った。N国党首の「あほみたいに子供を産む民族は虐殺しよう。」発言に至っては論外である。戦後の国際体制は戦勝国による国連体制である。ソ連(ロシア)は曲がりなりにも戦勝国である。これと戦争をすることは国連体制への挑戦である。それにアメリカの長期戦略は日本に核武装と自主防衛をさせないということであるから、隷従している日本としては出来ない相談だ。第一、ロシアと対抗するためにどれだけの軍備がいると思うのか、人口の三分の一が高齢者、その内500万人が認知症になるというのに、どこにそんなお金があるのだ。軍備のためには医療、介護の福祉予算を割かなければならない。その事によって失われる命の方が戦争によって失われるよりも多いだろう。かれは東大の経済学部で何を学んだのだろう。
前外務大臣河野太郎氏は徴用工問題で、駐日韓国大使を呼んで、大使の話の腰を折って、「極めて無礼でございます。」と言った。これには驚いた。先進国の外務大臣の発言とは思えない。反論するにしても、もっとスマートにするべきだ。安全保障の要諦は軍備ではなく、できるだけ敵を作らないようにすることだ。外交はそのためでもある。「無礼者、誰のおかげで経済発展したと思っているんだ。」と言わんばかりの上から目線で、喧嘩をふっかけるような発言は、相手の心にどのように響いたことだろう。国民の嫌韓感情に油を注ぐようなもので、こんな人が防衛大臣になって大丈夫かなと思う。
安倍政権の側近といわれる萩生田氏が文科大臣になってやった事は、愛知トリエンナーレへの補助金不支給である。内定していたものを止められたんでは地方行政は成り立たない。民主党政権末期、田中真紀子文部科学大臣が、審議会で認可した大学の新設を不許可にしようとして、世論、マスコミの猛反発をうけて撤回に追い込まれたが、今回はそういう動きがないのは何故だろう。
これは「表現の不自由展」にたいするいじめ以外のなにものでもない。政府と違うスタンスのものは認めない。金で締め上げてやるという低レベルの対応である。そもそも政治は多数決原理を基本としているのに対して、文化や芸術はそれになじまないものである。したがって、政治が文化、芸術に関わるときは自制的でなければならない。西欧民主主義国での文化行政は「金は出すが口は出さない。」が原則になっている。昔(1962年)ソ連(ロシア)のフルシチョフ書記長が抽象画を観て「まるでロバのしっぽで描いたような絵だ。」といって非難し、以後、前衛芸術は公式には認められなくなった事を思い出した。ついに日本も社会主義国のように息苦しい国になってしまったのか。寛容である事が保守の大きな要素であったはずだ。安倍首相は臨時国会の所信表明演説で、異例の多様性「みんなちがって、みんないい。」(金子みすゞ)発言をしたが、あれはリップサービス(口先だけ)だったのか。萩生田氏は事務所に教育勅語を掲げているという。このような人物が文科行政をして、多様で創造力豊かな人材が育つはずがない。
実行委員長の大村愛知県知事は「公権力は市民の思想、信条に関与する事はできない。表現の自由は戦後民主主義の根幹だ。」として、覚悟を決めて再開に踏み切った。自民党にもまだまともな保守が残っていたのは救いであった。しかし、再開に反対する名古屋市長が会場前で座り込みをしている姿は世界に恥をさらすことになった。外国から尊敬されるのは、軍事や経済でなく、知性と文化である。(2019.10.29)
野党頑張れ 永田 獏
政治の劣化が止らない。日本の未来にとってゆゆしきことである。これはひとえに野党がだらしなくて、政権の慢心を許している事にあると思う。
先の参議院選挙、自民党は議席を減らしたが、これは改選議席が大勝をしたときのものだから、勝利といえる。実際、公共工事をばらまくことによって地方の支持を回復し、2012年40%以上の得票を得たのが1県であったのが、今回は21県になった。公明党は過去最高の議席を得たが、問題なのが得票数である。小泉政権時の898万票を最高に安倍政権になってから、減り続けて前の衆議院選挙ではついに基礎票と言われる700万票を割り、今回はさらに減少して最低となった。これは政権にいることによって、「平和と福祉の党」というスローガンが色あせて「下駄の雪」(ふまれても踏まれてもついて行く。)から、「下駄の石」(雪は溶けるが、石はくっついたらとけない。)と揶揄されるような状態に対する支持者の戸惑いの表れではないか。
一方、野党はどうか。改憲勢力が3分の2を割ったとはしゃいでいるが、こんなものは大して意味がない。昔読んだ本に、忍者の秘伝書に「地位と金と女の三つで動かない人間はいない。」というのがあったが、最後のものは時代にそぐわないとしても、前の二つで4議席くらいどうにでもなる。3分の1で満足しているようでは、55年体制の社会党と同じではないか。政権に対する貪欲さがみられない。野党第一党の立憲民主党、「枝野立て!」と言われた時よりも比例で300万票減らしている。完敗である。
増税を控えて、選挙に勝つなんて、本来あり得ない。なぜこうなったかといえば、たくみな政権運営と選挙戦略もさることながら、なによりも政権交代にたいする国民の失望である。参議院選挙中、安倍総裁は「同じ党名で頑張ってもらいたい。」と言ったが、意図するところはちがえ私もそう思う。民主党政権はなぜ国民の期待にこたえられず失敗したのか。今や失敗を検証すべき主体がどこにあるか分からないような状態である。何処に行けば、自分の議席に有利かと右往左往し、野党内の主導権争いに明け暮れているようでは、いくら名前を変えてみたところで、国民に見透かされて支持を得ようはずがない。そもそも政権交代がなぜ起こったかと言えば、長く続いた自民党政治は限界をむかえ、このままでは経済も財政も立ちゆかなくなるという危機感から、政治の転換を国民が求めたからだ。それは成長を前提としたものから「負の遺産」(水道管、堤防、橋梁の補修など)「負の分配」(経済が拡大しなければ、一方を増やせば他方を減らす)政治への転換であり、アメリカを始めとした政、財、官、マスコミの既得権益者への挑戦であった。かれらはあらゆる手段を使って改革を妨害しにかかる。いってみれば、これは血を流さない静かなる革命であった。民主党にはその認識と覚悟がなかった。経験も実力も無いのに、国民の過剰な期待にこたえるべく急ぎすぎ、すべての勢力を一度に敵に回した。稚拙な政権運営に終始し、分割して統治せよという術中にはまり、党内ガバナンスに失敗し、ついに分裂して第二自民党になり下がって瓦解した。
政権復帰した自民党は再生したわけではない。依然として古い政治のままである。日銀の独立性を犯し、借金をかさねてお金をジャブジャブに供給しても経済成長はおぼつかない。3党合意はほごにされ、消費増税は法人税と所得税の減税に廻された。企業は最高益を記録しても実質賃金は増えない。格差は拡大するばかりである。それでも安倍政権は支持されている。民意はどのように変わってしまったのか。
内閣府や新聞の世論調査によれば、安倍一強はよくない(80%)民意は政治に反映されていない(69%)老後の生活設計に不安がある(57%)そして、安倍政治に対する期待値(41%)や信頼度(38%)は決して高くはない。一方、生活の満足度、充実感(74%)安定した政治(60%)そして、政権交代への否定的傾向(53%)。ここから、多少の不満はあるが、変化を望まない、老後2000万円不足や消費増税も、“まあこんなもんか、代わりがないからしょうがない。”という諦めの現状肯定が読み取れる。低投票率は変えなくてよいという意思表示でもある。
野党はどうすべきか。民主党政権に参加するとき、福島瑞穂氏は国民新党の亀井静香氏に対して「貴方とは死刑廃止をふくめて、一致する政策が三つしかない。」といったら、亀井氏は「三つもありゃあいいじゃないか。」といったという。これが社民党と元自民党とのちがいである。しかともの違いは大きい。この「も」を基本にして野党が結集する。そして、政権担当能力をみがき、低成長下どうしたら皆が不安なく幸せに暮らせるか、理念、政権構想を語り、オルタナティブ(もう一つの選択肢)を示すべきである。カナダでは政権を失って、2議席から復帰した例もある。頑張ってもらいたい。(2019.12.4)
徴用工問題 その1 永田 獏
先頃私の書いた「極めて無礼である。」について中村氏が反論をよせられました。私の書いものに始めて反応があったので、大変嬉しく思いました。ただ、私は外務大臣の大使に対する接し方を批判したのに、氏は徴用工問題の内容から反論しておられた。こちらの意図を正確に伝えられず、文章力のなさを痛感しました。そこで、あらためて徴用工問題について調べてみようと思い、南信州新聞社にお願いして、貴重な紙面をさいていただきました。私がこの問題に関心を持ったのは、巷では韓国はとんでもない国だという言説があふれている。果たしてそうなのか、日本の民主主義はアメリカから与えられたもので、いまだ定着しているとはいえないのにたいして、韓国は独裁者と戦って血を流して勝ち取ったものだ。そこの大法院(最高裁)の下した判断にはそれなりの理屈があるはずだと考えたからである。以下の文は研究論文でも記事でもありません。認知機能の衰えた田舎の年寄の雑文にすぎません。従って、判決文の誤読や不正確な部分があることは否めない。
日韓会談はサンフランシスコ平和条約締結直後1951年冷戦下、日韓の連携の重要性からアメリカの斡旋で始まったといわれる。それから1964年の日韓条約締結まで14年もかかった。紛糾した主な原因は日本の植民地支配と行為に対する評価であった。結局経済支援を欲した韓国朴独裁政権と安全保障上、正常化を急ぐ日米双方の思惑が一致して朴政権は国内の反対をおさえて、この点を曖昧にしたまま合意した。日韓基本条約とともに結ばれたのが、問題の請求権協定である。第一条で、無償3億ドル、有償2億ドルを10年間に渡って供与する。第二条で、日韓の請求権は相互放棄し、完全かつ最終的に解決されたとしている。その時、日本政府は一条と二条は無関係であると主張する。つまり、植民地支配の正当性を主張する日本は、植民地支配に対する補償というものではなく、経済協力金、あるいは独立祝い金であるとし、わざわざ大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならないという文言を挿入した。実際、韓国はベトナム戦争特需10億2200万ドルと相まって「漢江の奇跡」といわれる経済発展を遂げる。
そして、請求権の放棄について、始め政府はこれは国の外交保護権(個人にかわって相手国に請求する権利)を放棄したのであって、個人の請求権は残っているといっていた。何故かと言えば、サンフランシスコ平和条約や日ソ共同宣言においても請求権を放棄しているので、原爆被害者やシベリア抑留被害者が国に補償をもとめた。また、韓国に残してきた個人の財産についても国に補償を求められる可能性があるのを防ぐためと思われる。だから、韓国人から訴訟が起こされても、請求権協定を理由にしてこれを排除していない。国家無答責、時効、別会社という理由で退けている。ところが、2000年代になると請求権協定で解決済みと主張するようになり、最高裁でも請求権はあるが、裁判上訴求する権能はないとして退けた。ただし、裁判は受けられないが債務者側において任意の自発的対応をする事は妨げられないとして、被害者らの精神的肉体的苦痛がきわめて大きかったから、被害者らの救済に向けた努力をする事が期待されるところである。(西松建設強制労働事件上告審判決)としている。実際、これにもとづいて西松建設は、謝罪と補償を行っている。これの利点は最高裁のお墨付きがあるので、株主からの追求をまぬがれることである。
韓国ではどうか。日本とは逆に、最初は、個人の請求権も消滅したとの見解に立っていた。実際、限定的ではあるが、被害者に3億ドルの中から補償金が支払われた。これは経済の発展に役立つものという日本側の主張に反するものだが、朴政権としては国内向けに賠償金を取ったという形にしたかったからではないかと思う。ところが、朴軍事独裁政権が倒れ、民主政権が出来ると、日韓会談の情報公開が実現したり、日本の外交保護権放棄説がもたらされると、個人の請求権は消滅していないというように転換する事になる。だが、韓国で起こされた裁判でも、日本の裁判所の確定判決に拘束され、これと矛盾する判決はできない(既判力)として棄却されることになる。これで被害者の訴えを実現する道は日韓両国の司法で閉ざされてしまった。それを開いたのが大法院の判決である。それは「植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれていない」というものである。理由として、今回の事案は日本の国家権力が関与した植民地支配に直結した反人道的不法行為である。しかるに、日本政府は請求権協定交渉過程において、植民地支配の不法性を認めず被害者の法的賠償を根本的に否認した。このような状況で、被害者の慰謝料請求権が請求権協定の適用範囲に含まれているとはいいがたい。という新判断を下した。(2020.1.7)
徴用工問題 その2 永田 獏
ここで、日韓両国の政府および司法の主張の変遷を整理してみよう。
日本政府はずっと個人の請求権は残っているとした。最高裁も限定的ではあるが、これを認めた。ただ、安倍政権では全て解決ずみとしている。植民地支配については植民地化は合法、支配も正当(よいことをした。禿げ山を高ノかえた--久保山発言)としたが、のち村山談話を受けて日韓パートナーシップ宣言において小渕首相は「植民地支配により多大の損害と苦痛を与えた。これに対し、痛切な反省とお詫びを述べた。」これは政府の公式声明として歴代の首相に引き継がれた。だが、安倍政権になると植民地支配の文言が消え、合法、不当から合法、正当にもどった。
韓国は始め個人の請求権は消滅したとしていた。のち、日本の見解に同調して、国家の請求権のみ消滅とし、文政権もこれを踏襲した。司法も日本の司法判断を受け入れた。だが、大法院は請求協定の対象外として、全ての請求権があるとした。植民地支配については不法、不当であるとすることは政府も司法も変わらない。
三権分立政をとる民主主義国において、政府と司法判断がことなる場合は、司法の判断に従わねばならない。この点で、日本よりも韓国政府の方が大変だ。日本政府は、韓国は国家間の約束をまもらない、国際法を無視していると非難している。協定の対象外に置く事によって、国家間の約束はクリアーするとしても、国際法常識の面ではむつかしい。
たしかに、「植民地独立付与宣言」(1960年)や「条約法にかんするウイーン条約」(1969年、当事国が同意した場合でも、脅迫や強制を伴っていれば違法)さらに「戦争犯罪および人道に対する罪に対する法令上の時効不適用に関する条約」(1969年)が存在するが、現在国際政治や国際司法裁判所を主導している国々はかって膨大な植民地を所有していた国々である。これらの国が過去の責任を認めるとはいいがたい。国際世論の支持を得るには植民地にされた国々の発言権が増すのを待たねばならないだろう。そうすると大法院の判決を実行するのはきわめてむつかしいと言わねばならない。手詰まり状態である。
いまや両国の対立は司法を離れて、経済、安全保障にまで及び日韓関係は最悪の状態と言われている。ちまたでは「韓国は法治国家ではない」とか「韓国はもういらない」(断交論)がとびかっている。これらは暴論である。日韓パートナーシップ宣言にあるとおり、日韓は経済、安全保障など緊密な相互依存関係にあり、これからもそうあるべきだと思う。もっとも近い隣国であり、ここを切り捨てて日本がこの地域で安定を得られるとは思えない。
からみあった対立を解きほぐすには、違いでなく一致している事柄に依拠して考える事である。それは両国の司法は個人の請求権は消滅していない。過酷な労働環境であった。被害者は救済されるべきである。ということである。さらに、対立の背景にある国民感情も考慮に入れる必要がある。それは我々に根強く残っている韓国の人々に対する偏見と差別意識と韓国の日本の不当な仕打ちに対する怒り、鬱憤。これを産経新聞の論説委員黒田勝弘氏は文藝春秋誌で「恨」であるとした。私にも苦い体験がある。子供の頃、朝鮮人のおばあさんがリヤカ−で重そうな荷物を引っ張って居るのを、数人で後から棒をもって「朝鮮人、朝鮮人!」とはやしたてたら、おばあさんは「朝鮮、朝鮮とばかにするな!」といって、追っかけてきた。また、街頭インタビューで植民地時代のことを聞かれて、「ヘドが出る」と吐き捨てるようにいって歩き去った老婆のテレビ画面がいつまでも心に残っている。実家に帰って、兄弟が集まると「あいつは朝鮮だからな」というあからさまな差別発言が飛びかう。差別意識の根深さを感じる。ヘイトスピーチも朝鮮人を対象にしたものばかりだし、外務大臣の「無礼」発言もこのような国民感情が根にあるのだろう。アメリカにたいしては決して言えない言葉である。
20年間変わらず企業に対して謝罪と補償を求めてきた人達は、人間の尊厳を傷つけるような仕打ちにたいして、このままでは死んでも死にきれないという「恨」があったのだろう。我々はこの気持ちに、どう答えるのか。お互いつっぱりあっていてもしょうがない。
私はこの対立は長年連れ添ってきてた夫婦の喧嘩のようだと思う。こういう場合、夫の方声をかけて、プレゼントの一つも贈れば案外もとの鞘におさまるものである。その意味で、日本政府が、日韓請求協定第三条の規定に基づいて会談を申し入れたのはいい事だと思う。韓国はこの提案を受け入れ、差し押さえられた資産の売却がされないよう時間を稼ぐべきである。この文を書いているとき、年末に日韓会談を調整しているというニューウスがもたらされた。この文が掲載される頃には良い結果になっていてほしい。ふたたび「外交の安倍」に期待したい。(2020.1.8)
アメリカ民主主義の影 永田 獏
アメリカは自由で平等な民主主義の国として、今でも多くの移民を引きつけている憧れの国である。しかし、かの独立宣言に謳われた「人間はすべて平等につくられ、造物主によって一定に奪うことのできない権利を与えられ、その中には生命、自由および幸福の追求が含まれる。」という人の中に、先住民(インディアン)や黒人は含まれていなかった。
17世紀はじめ、アメリカ東海岸に到達したイギリス人植民者は、最初の冬、猛烈な飢餓におそわれ、ついには家族の墓をあばき死体をむさぼり食った。春を迎える頃には600人が60人になっていた。それを救ったのはインディアンである。彼らはトウモロコシ、たばこ、野菜の栽培を教えた。生活が安定すると、入植者達は土地の拡張をめざした。もともと土地は水や空気と同じとして、土地所有の観念を持たなかったインディアンの生活圏へ進入することになる。やがて、それは二つの文化、価値観の衝突となって表面化する。
ヨーロッパで食い詰めた人達がどんどん入ってくると、土地への欲求はとどまることを知らなかった。文字を持たないインディアンに×印で契約書にサインさせたり、アルコールを知らないインディアンをウイスキーで誘惑したり、さらには天然痘病棟の毛布を送って病気を蔓延させたりとありとあらゆる方法で土地を奪っていった。イギリスは5万人の犯罪者を流刑地として送り込んだりもした。そうなると当然、インディアンの側も生活圏を守るために闘わざるをえない。それに対して、植民者側は虐殺でもってこたえた。「よいインディアンは死んだインディアン」「シラミの卵はシラミになるからな、スカルプ(頭皮をはぐ)せよ。」と女子供も見境もなく虐殺した。村々を焼き払い、圧倒的武力でたたきのめし、抵抗できなくなった相手に土地割譲を迫る。このようにしてアメリカという国は銃によって出来た。アメリカが銃社会として未だに銃を手放せないのは、それが彼らのアイデンティティであるからだ。合衆国は1871年までにインディアンとの間に371の条約を締結した。「合衆国は将来決して諸君の土地を求めないだろ。私はこれを偉大なる大統領の名において諸君に約束する。」と宣言したが、破られなかった条約は一つもない。インディアンは「緑野」から「荒野」へと次々に追いやられた。1873年インディアン局はインディアンとの間で締結された条約全てを廃棄すると宣言した。
このようなインディアンへの迫害を正当化するものとして、ピューリタンの考えが用いられた。イギリスの宗教的迫害を逃れて来たピューリタン達は新大陸に神の恩寵を見、この地を開拓し「丘の上の町」を築くのが「荒野への使命」(旧約聖書)とした。そこは荒野ではなく、インディアンの生活圏であるとは認めなかった。異教徒たるインディアンは野蛮とし、人とは認めなかった。野蛮世界との境界(フロンティア)を拡大することが神の意志であるとした。後にこれをマニフェストデスティニィ(明白なる天命)といってフロンティアを西へ西へと拡大してインディアンを駆逐していった。1890年代、ついに太平洋岸へ達してフロンティアが消滅したとき、1000万人いたといわれるインディアンはわずか25万人になっていた。
インディアンを不毛の土地に強制移住させたあと、豊穣な土地で植民者はプランテーション(大規模農業)を始めた。イギリスで産業革命が始まると、綿花の栽培が盛んとなり、労働力の不足をきたした。はじめ、彼らはインディアンの奴隷化をはかったが、インディアンは誇り高く反抗的で、しかも土地に明るく容易に逃亡された。そこで、アフリカからの黒人奴隷の導入が図られた。奴隷狩りによって連れてこられた人々は、土地や家族から切り離され孤立無援であったため支配が容易であった。19世紀までに最大1400万人のアフリカ人が連れてこられた。新大陸に到達するまでの数か月間、極限の栄養状態と自らの糞尿の悪臭、疾病で一人がアメリカに着く迄に5人が失われたという。従って、アフリカは8000万人もの社会の中心的人材を失ったことになる。
生きながらえる事の出来た奴隷は、オークションにかけられ、男女とも裸同然で品定めされ、農園に引き取られていった。そこではムチによる過酷な労働が待っていた。特に女性は農園主の性的搾取に甘んじねばならなかった。独立宣言を起草した建国の父、ジェファーソンも200人の奴隷を所有し、奴隷に6人の子供を産ませていた。最近のDNA鑑定でそれが証明された。「黒人は我々白人とは違い、神が黒人を罰するために彼らを白人とは違う姿におつくりになったのだ。」としてこれらの非人道的行為を正当化した。1857年、自由州に逃れたドレッド・スコットが自由を求める訴訟を起こしたとき、最高裁判所は、彼は人間ではなく財産であるから訴訟を起こすことは出来ないとした。
このように自由と平等はインディアンと黒人の差別と格差の上になりたった白人による白人の為の民主主義であった。WASP(White白人、Anglo-Saxonアングロサクソン、Protestantプロテスタント)と呼ばれる人達に主導されたアメリカの豊かさは、先住民と黒人の不幸によって贖われたといってよい。ただ、アメリカのすぐれているところは、過ちを自ら修正する事が出来ることである。「アメリカの民主主義」を著わしたトクヴィルは「アメリカ人の重大な特典は、他の諸国民よりも文化的に啓蒙されていることではなく、欠点を自ら矯正する能力を持っていることである。」と述べている。アフリカ系の大統領の出現はその証であろう。
そして、いま、アメリカは大きく変わろうとしている。米国勢調査局の予測によれば、2020年代に青少年の過半数は非白人となり、2040年頃には人口の過半数が非白人になるという「白人の少数民族化」が起こるという。現在のトランプ現象は、これにたいする白人の危機意識のあらわれかもしれない。果たしてアメリカはこれをどのように矯正していくのだろう。(2020.1.9)
かんにんしとくんなはれ 永田 獏
今年も8月15日、敗戦の日がやってくる。メディアでは様々な記事や番組が流されるが、ほとんどは我々がどんなに大変であったかということで、アジアの人々に何をしたかという課外問題が取り上げることは少ない。評論家の寺島実朗氏がドイツの会議でシュミット首相から、「日本にはアジアに真の友人がいないね」と言われたと書いているが、経済的利害だけで向き合う姿勢で、先の戦争における加害責任についてきちっと向き合ってこなかったからではないか。拉致問題が、アジアを巻き込んだ運動に今一つ盛り上がらないのもそれが一因ではないかと思う。
日本の侵略で最も大きな被害を受けたのは、言うまでもなく中国である。満州事変に始まる15年戦争で日本は最大200万の軍隊を派遣し、1000万人の中国人が殺されたという。軍人が始めた戦争。緻密な計画も展望もなく、すぐ中国は屈服すると思ったが、国民党と共産党が手を組み頑強に抵抗した。特に共産党のゲリラ戦には悩まされた。そこで日本軍はジン滅掃討作戦いわゆる三光作戦(焼きつくし、殺しつくし、奪いつくす)を展開する。作戦をになった兵士たちは、上官や古兵たちによるビンタや精神棒によって理不尽な制裁を受け、人格を否定され、理性と思考力をうばわれ命令に絶対服従する軍隊奴隷に帰られていった。さらに新兵には、「これをやらんことには強い兵隊、安心して前線に連れて行ける兵隊ができへんのもな」として柱に縛り付けられた無抵抗な捕虜や民間人を刺殺させた。勿論これは戦時国際法違反である。経験者によると、初めは恐ろしくて銃剣を握る手が震えていたが、ツケ、ヌケ、ツケ、ヌケという号令の下何度もやっているうちに恐怖感は薄れ、むしろ殺すことに快感をおぼえるようになった。「ああ、俺もついに人を殺して一人前の兵隊になったんだ」という達成感が湧き上がってきたという。その中で一人だけ「かんにんしとくんなはれ」と言って、殴り倒されても、どうしても刺殺できなかった兵士がいたということだ。集団狂気のなかでかろうじて人間性を維持していた兵士がいたということは、驚きである。自分だったらその状況の中で、消極的にしろ命令にあらがうことができただろうか?
兵士の多くは田舎にあっては、地主の土間にはいつくばる小作人であり、都市では商家の奉公人、下層労働者であった。このような内地にあって圧迫された人々が一たび大日本帝国陸軍の軍服を身に着けると、外地の人々に対して、圧倒的優位の地位に立つことができる。人間性を否定された者がこのような地位に立つ時、どのような残虐な行為に出るか想像に難くない。さらに中国人に対する民族的偏見と蔑視がこれを増幅する。戦線が拡大すると補給もままならず、多くは現地調達(略奪)であった。食料調達や討伐作戦で村落の周辺で宿営することになると。古参兵たちは必ず姑娘(クーニャン、娘)探しに出かけた。強姦、輪姦するためである。陸軍刑法では婦女凌辱は禁止されていたが、上官は不満のはけ口として黙認した。凌辱にあと証拠隠滅のため多くは殺害された。戦時強姦という言葉が残っているように、ほとんどの兵士は婦女を犯し、それが常態化していた。中国では日本軍に15分休憩されると回復に3年かかり、一泊されると回復不能と言われた。人々は日本軍を「日本鬼子」といって恐れた。
日本兵には自分たちが戦争犯罪行為をしているという自覚がなかったので、日本に帰還した後、自分たちの不法残虐行為に悩み葛藤することもなく、善良な日本人として過ごし、加害の事実を語らずに鬼籍に入ってしまった。そのため、「私の父や祖父のような優しい日本人が、残虐なことをするはずがない」という素朴な心情から、やがてそもそも虐殺や強姦はなっかった。反日、自虐史観者の捏造であるという論が起こってくるが、少ないけれども元日本兵の証言(私たちは中国で何をしたかー中国帰還者連絡会編)や検閲を免れた従軍日記、B・C級戦犯裁判における被害者の証言などから、残虐行為は明らかである。
この戦犯裁判において、共産党政権は、寛大な判断をした。国共内戦に敗れ台湾に逃れた国民党政権が死刑149、無期83にたいして、死刑、無期ゼロ、最高は禁固20年であった。なぜかといえば、当時の共産党指導部は日本との関係改善を進めようとしていた。悪いのは日本軍国主義で、日本人民もその犠牲者であるとして、極刑を求める世論にたいして、周恩来首相は「今は戦犯だが、20年たったら友人になる。中日友好を考える友人になる」といってなだめた。1972年に田中角栄首相の努力により、日中国交がなった時、周首相は「本当の友好はこれからでありましょう。中国人民と日本人民がお互いにもっともっと理解を深め、その相互理解の上に信頼の念が深まってこそ初めて子々孫々に至る変わることのない友好関係が結ばれることでしょう。これにはまだ長い時間がかかることでしょう。」といった。それから半世紀、いま日本では嫌中ムードにあふれ、周首相の願いには程遠い。また、「前のことを忘れず、後の戒めとする」とも発言した。前の事を忘れないためには前に何があったかを知らなければならない。我々はほとんどそれを知らない。(2020.8.12)
命にかわりはない −大川常吉のことー 永田 獏
大きな災害や病気の蔓延が起こると、人々は不安と恐怖にかられて様々なデマが乱れ飛ぶ。今回のコロナウイルスでもトイレットペーパーがなくなるなんて流言が流布した。流言飛語といえば、90年前の関東大震災時にデマによって朝鮮人が虐殺されるという大惨事が起こったことを忘れてはならない。1923年(大正12年)9月1日相模原を震源とする震度7.9の地震が発生した。昼食時、折からの強風にあおられて各地に発生した火災は、瞬く間に広がり、3日朝まで続いた。これにより、東京市の44%横浜市の80%が焼失、被災者は340万人、死者は10万5000人と言われる。こういう時、常日頃差別と虐待をしてきた朝鮮人が何かするのではないかという不安と恐怖にかられて、「朝鮮人が暴動を起こしている」「朝鮮人が強盗、強姦をし、井戸に毒を投げ入れた」というデマが広がり、警察やマスコミもこれを拡散した。各地で自警団が組織され、朝鮮人というだけで刀や竹槍で殺害した。軍隊も虐殺に手を染めた。
しかし、警察がいくら調べてもテロや重大犯罪の痕跡は見当たらなかった。「爆弾ナリトセルモノハ、パイナップルノ缶詰ニシテ毒薬ナリトセルモノハ砂糖ノ袋ナリキ」(警視庁大正大震火災誌)であった。当時、滞在朝鮮人の多くは工事現場やこうじょうの労働者で「無学文盲の者多数を占め」(特高警察関係資料集成)というありさまで、爆弾や毒薬を作ることなどできようもない。通信手段のない彼らに徒党をくむなんて不可能である。独立運動組織の者がいくらかいたとしても、それらの動向を特高の世界最高水準の監視体制が見逃すはずがない。ちょっと冷静に考えれば馬鹿げた話しであることがすぐにわかる。3日ころになると警察や軍隊も暴動や犯罪を否定し始め、4日には政府は虐殺を防ぐ方策を取り始めた。警察は検束から保護へと転換した。
これから述べる話は、そういう流れの中で起こったことである。当時大川常吉は横浜市鶴見警察署長であった。彼は総持寺境内に一時保護中の朝鮮人301人を、保護の万全をはかるため警察署に移した。このことを知った千人をこえる群衆は「朝鮮人を出せ」「朝鮮人に味方する警察などたたきつぶせ」と叫び、武器を携えて警察に押し掛けた。暴徒化しそうな人々にたいして覚悟を決めた署長は「この大川を信頼せず、言うことを聞かないのなら、もはや是非もない。朝鮮人を殺す前にまず、この大川を殺せ」と大喝して、大手を広げて立ちふさがった。命を懸けた署長のこの態度に猛り立った群衆も圧倒されて、ようやく鳴りを潜めた。(神奈川県警察史)さらに、当時そこにいあわせた門司亮氏(後に衆議院議員)によると、こうも言ったそうだ。「朝鮮人が毒を投入した井戸の水を持ってこい。私が先に諸君の前で飲むから。そして異常があれば朝鮮人は諸君に引き渡す。異常がなければ私にあずけよ」そして、群衆が集めてきた一升くらいの水をその場で飲んだそうだ。それを見た群衆はおとなしく引き上げ、署長は朝鮮人全員を「崋山丸」に移し、横浜や神戸に送って事なきを得たということである。
門司氏がなぜ命を懸けてまで朝鮮人を守ろうとしたのかという問いに対して、「日本人だろうと朝鮮人だろうと人の命にかわりはない。人の命を守るのがオレの仕事、任務だ」と言ったそうだ。植民地下の朝鮮人は人間以下の扱いであった時代に、殺される側に立って尊厳なる存在として守ろうとしたのだ。
助けられた朝鮮人たちは、朝鮮が植民地支配から解放されて7年後、1953年横浜市鶴見区東漸寺にある大川氏の墓前に感謝の碑を建てた。
これらの話は朴慶南氏(在日コリアン)の著書や談話をもとにしたものである。韓国でも彼女の著書を読んで、こんな素晴らしい日本人がいたのかということで、彼女に講演の依頼が来た。つでに大川氏の遺族も招待したいということで、お孫さんが行かれて大歓迎を受けたそうだ。その方は最後に挨拶の中で、「私の祖父がしたことはそんなに立派なこと、褒められることでしょうか。私は違うと思います。祖父はごく普通のことをしただけです。それが美談になったのは、当時日本が朝鮮人にたいしてあまりにもひどいことをしたからです」と言って頭を下げたそうだ。そこには人の痛みを感じる想像力と深い歴史認識があると思う。先人がアジアの人々に行ったことは、割れ話我には関係がないというのじゃなく、すべて今の我々が引き受けなければならない。そして、我々の行いも子孫に引き継がれていくものであるということだと思う。(2020.8.29)
「つぎつぎになりゆくいきほひ」(丸山真男) 永田 獏
「政治の世界は一寸先は闇」といわれるが、安倍首相は2007年と同じく突然持病悪化を理由に政権を放り出した。その後の党幹部の権力をめぐる対応の巧みさには舌を巻く。彼らが何よりも恐れたのは、石破政権の誕生である。石破氏は前から森友、家計、桜を見る会などの疑惑の再調査をほのめかしていた。これは避けなければならない。さらに、重大なのは裁判中の河合夫妻の件である。1.5億円という他候補の10倍の選挙資金が本部から投入され、それが買収に使われたのではないかという疑惑がある。権力が変われば、検察が党本部にまで捜査の手を伸ばす可能性がある。総裁や幹事長にとってこれはやばい。そこで地方に人気のある石破はずしのために、コロナで緊急事態の時に時間を費やしている場合ではないという理由で。議員選挙にしてしまい、談合で無派閥の菅氏に白羽の矢を立てた。菅氏への流れができると、アット言う間に勝ち馬に乗ろうと我も我もと支持を表明し、もうこれでほとんど決まり。白けた総裁選挙になってしまった。蓋を開けてみれば、地方票も冷や飯を食わされるのを恐れたのか菅氏の圧勝であった。
さらに驚いたのは、世論の動向である。誰が次の首相にふさわしいかという調査で、6月には石破31%、菅3%であったのが、総裁選直前では石破25%、菅38%になっていた。国民も勝ち馬に乗ったのだろうか。安倍氏が辞任を表明した途端に支持率が20%も跳ね上がったのにも驚かされる。病気で辞めざるを得ないといったことに対する同情かもしれないが、安倍首相が常日頃言っているように政治家は結果がすべてである。なにをなしたかで判断すべきだ。
外交の安倍といわれ外遊は80回延べ176の国や地域を訪問したが、安倍内閣の最重要課題とした拉致問題は一ミリも進まなかった。北方領土問題もしかり、プーチンと28回もあったが軽くあしらわれて終わり。日韓関係は最悪。習近平を国賓待遇で招く計画もコロナで頓挫。唯一アメリカのトランプとはシンゾウ呼ばわりされるような親密な関係を築いたが、兵器を爆買いさせられ従属を深めただけじゃないかとおもう。デフレ脱却をめざしたアベノミクス、2年で物価2パーセント上昇はいまだ達成せず。成長戦略はおぼつかず、国際競争力は34位になってしまった。雇用が400万人増え、株価は2.3倍になった。学生の内定率は上がり、若者の自民党支持を増やした。しかし、これも団塊の世代の大量退職という運の良さもある。内実はほとんど非正規で全労働者の38%になった。株を買っている人はわずか12パーセントにすぎず、88%の人は株とは無縁である。1億円以上の金融資産を持つ比率は世界一といわれているが、実質賃金は減り続けているので、平均賃金と賃金の中央値も下がり続けている。年間収入200万円未満(生活保護水準)で働く雇用者は1972万人で全雇用者の実に32%に当たるという。これでは結婚もままならず、少子化に歯止めはかからない。
また、民主主義が傷ついたことも忘れてはならない。数による度重なる強行採決、重要事項を法改正によらず閣議決定ですましてしまう。国会軽視もはなはだしい。さらに公文書の改ざん、統計のごまかし、黒塗りの情報公開などあげればきりがない。ところが国民の71%が安倍政治を評価しているという。これはすごい数字である。これを見た菅氏は早々と安倍政治の継承を述べた。総裁選直後にこれを書いているが、もう永田町では解散風が吹いているという。“コロナで党員選挙どころでない”といった舌の根の乾かぬ内にそれはないでしょう。メディアも「叩き上げ、苦労人」と菅氏を“よいしょ”している。今なら勝てる。ボロの出ないうちにやってしまおうというのか。「国民のために働く」というのは嘘で、政権維持が第一というのだろうか。これでうまくいけば、自民党の戦略、戦術に脱帽である。(2020.10 選挙があるかもしれないということで掲載されませんでした。)
ふる里の山 永田 獏
「ふる里の山に向かいていふことなし、ふる里の山はありがたきかな。」(啄木)啄木にとって渋谷村から仰ぎ見る山は岩手山だったろうか。
下伊那の地にあっていつも仰ぎ見る山は風越山であろう。登山家の伊部高夫氏は著書「長野県の日帰りの山」で風越山について「よい山をもった市民は幸せだなと思いながら、一方風越山のあまりの人気におされ、近郊の他の里山が忘れ去られるのでは、などの思いも消えない。」と記している。確かに風越山は名山である。だからといって身近の山を忘れ去ることはない。伊賀良の里に住み着いて半世紀。日々あおぎ愛着を感じるのは自宅の真上にそびえる笠松山である。小学校の校歌にも歌われ、この地で最も親しまれている山である。この山は笠松峠ともいわれるように、大平街道の脇道として地域物流にとって大切な役割を担っていたという。多くの人々が行き交ったことから、道にはいくつかの悲しい伝承も語られている。山頂には山の神が祀られ、道筋には江戸から明治初期に地域の篤志家によって4種類の三十三観音が安置されている。このあたりで三十三観音がすべて揃っているのは珍しいことである。観音様を拝しながら、これは聖観音か馬頭かあるいは千手かと判じながら歩くのも登山の楽しみである。笠松神社の社務所には、日露戦争以後の戦役で亡くなったこの地の戦死者の名を記した扁額があり、愛馬の碑というものもある。これは日中戦争の拡大とともに不足する軍馬を補充するため農耕馬が徴用され、一頭もかえってこなかった。その愛馬を供養するため建てられたものである。以後、牛を飼う家が多くなったという。このように、山は戦地に散った人や馬の霊の帰るところでもあったのである。
さらに、地質時代的にみると、この山は荒ぶる山でもあった。山麓に広がる果樹園は、何万年にもわたって繰り返されて形成された土石流扇状地である。梅ケ窪は埋ケ窪で、びんだら石や三尋石(一尋は両手を広げた長さ)は土石流の凄まじさを物語っている。三六災害時のこの地の被害は記憶に新しい。
このように、笠松山は様々な側面を持った魅力あふれるふる里の山である。滝沢の笠松神社と丸山の佐倉神社の登山口には駐車場とトイレが整備されており、頂上には避難小屋も建てられている。頂上からの眺望は風越山の展望所よりは、はるかに素晴らしい。山麓にはササユリ、カタクリの自生地があり、地元の愛好家によって保護されている。頂上ではマツムシソウの花がみられる時もある。わずか2時間足らずで登れるので多くの人に登ってもらいたい。勿論、里山とてあなどってはならない。私には悲しい記憶がある。私が受け持っていたクラスの卒業生が年末にこの山で遭難したのである。葬儀の時、何も知らずに母親にまとわりついていた幼子の姿が哀れであった。
コロナ禍で遠くの山に行けないので、久しぶりに彼を偲びながら登ってみようと、初冬の小春日和の日に出かけた。この時期は木々の葉が落ちて空が広くなり、ひんやりとした空気が頬に心地よい。柔らかな日差しを浴びながら落ち葉をカサコソと踏み、いろいろと思いを巡らせて歩くのはとても趣がある。ところが、歩き始めてすぐ登山道の荒れように驚いた。深くえぐられ溝のようになったところ、石がゴロゴロして基盤岩が露出しているところなど、とても落ち葉を踏みしめてなんていう趣はない。気候変動による大雨のせいかと思った。しかし、しばらく登っているとオートバイの音がして三台もの車がエンジンをふかして上って行った。原因はこれだ。落ち葉をけ散らし、木の細根を切断し、真砂土をはねて行く、そこへ大雨が降って土砂を流出させていったのだ。この繰り返しで道があれてしまったのだ。途中で行き会ったいつも登っているという年配の人の話によると、何度注意しても「勝手だろう」といって聞く耳を持たなかったそうだ。祖先からえいえいとして守られてきた道を彼らの浅薄な冒険心で荒廃させていいはずはない。ぜひやめてもらいたい。せっかく故人を偲びながら、初冬の笠松山を楽しもうと思ったのに、ぶち壊しになってしまった。(2020.12.9)
日本再生へ道 永田 獏
評論家の寺島実朗氏は「日本再生の基軸」という本の中で、日本人は日本の経済について健全な危機感がないと書いている。これを「うまくいっているんじゃないか症候群」と表現した。国際会議などに行くと、「日本は終わったね」という目線を感じることがあると述べている。どういうことか。まず、GDPで見てみよう。敗戦から5年の1950年、世界における日本のGDPの比率は3%、ジャパンアズナンバーワンとはやしたてられた高度経済成長後の1988年で16%、2000年で14%、それが2018年には6%なっていた。アジアにおける日本の位置についてはどうか。1989年(平成元年)中国のGDPは日本の1/8であったが、2018年には3倍になっていた。日本を除くアジアの世界にしめるGDPの比率は1988年で6%であったが、2018年には23%になっていた。
平成元年世界企業の株式時価総額トップ50社のうち32社が日本企業であったが、2018年にはトヨタ1社だけである。研究開発投資ランキングトップ20社にはトヨタとホンダの2社しかない。かってトップを走っていたコンピュター、半導体、液晶、太陽光パネル、携帯、音楽プレイヤー、カーナビ産業は軒並み世界での競争力を失った。その唯一のトヨタでさえ、衝撃的なニュースがもたらされた。アメリカ電気自動車会社テスラの株式時価総額がトヨタを上回ったのである。年間30万台生産の会社が、1000万台生産のトヨタより価値があるとみなされたのである。ものつくり日本として、技能五輪では常にトップであり続けたが、ここにきて9位、7位というありさまである。ついに日本の国際競争力は34位になってしまった。
なぜこうなってしまったのか。ひとつにはアメリカの経済戦略があるのではないかと推測される。アメリカの地位を脅かすものは許さない。経済的属国化を維持、継続しようとする意図、これは日米構造協議などを通じて推し進められた経済的武装解除である。日本を叩き潰したアメリカは今その矛先が中国に向いていることは自明のことである。もう一つは、高度経済成長の成功体験が枷となってデジタルインフォメーション(情報技術)におけるイノベーション(技術革新)に後れをとってしまったことだ。工業生産モデルにこだわった重厚長大を主とする産業界は、円安とコストカットによってグローバル競争を乗り切ろうとした。大企業が過去最高益を更新する中、実感なき経済成長と言われたのは、労働者の犠牲においてなされたものだからである。このことは先進国の中で唯一日本だけが実質賃金が減り続けていることからもわかる。その結果、一人あたりのGDPは2000年には世界第2位であったものが、2018年には26位になった。
日本の経済政策は情報通信、バイオ医療、エネルギー関連など先端分野に向かわず既存産業の救済に向かってしまった。もし、政府の圧倒的産業支援や税制優遇を通して蓄電池や半導体、太陽光パネルに関する薄幕技術、EV用のモーター電磁石などの技術開発に向かっていれば、世界のトップランナーになれたといわれている。例えば、電気自動車に搭載する大型リチュウム電池の量産化に成功した会社は、政府の優遇政策が不十分なためEVの普及がふるわなくて国内の需要がみこめず、2019年中国企業に売却されてしまった。
長期衰退を止めるにはどうしたらよいか。それは世界で進む技術進歩の方向性を見極め、産業戦略を打ち立てることが求められる。今、最も重要な産業誠意略はなにか。それはエネルギー転換である。石炭と蒸気機関、電気と電化、石油とエンジンというようにエネルギー転換は波及範囲が大きく、膨大な需要と投資をもたらす可能性を秘めている。日本の原発事故以後、世界は自然エネルギーに目を向け、地球温暖化防止へ脱炭素化をうたう国際合意「パリ協定」は自然エネルギーへの転換を促した。10年前には、自然エネルギーは理想でしかなかったが、今や現実のものとなった。技術進歩とコスト低下はめざましく、蓄電池は1/4、太陽光は2円/1khwをきる地域もあらわれた。2030年には、すべての自然エネルギーが化石エネルギーの価格を下回ると推測される。全発電量に占める比率はまだ10%以下だが、2050年には86%になるという(国際再生可能エネルギー機関)
原発事故を起こした日本はエネルギー転換の先頭に立たねばならないのに、原発再稼働と石炭火力という後ろ向きの政策に向かってしまった。そのため、太陽光、風力発電は世界でいち早く開発したのにもかかわらず、後れをとってしまった。再生可能エネルギーの特徴は、太陽や風、水のある所なら何処でもできることであり、原発や火力発電のように大規模集中型である必要はない。従って、地域の資本、経営、融資によって小規模発電が可能である。全国的優目を集めている飯田の「おひさま進歩エネルギー」などはそのよい例である。気候に左右されるというマイナスもそれを解決するためのイノベーション、アイデアの余地が大きい。例えば、蓄電池の性能向上、小規模水力発電、余剰電力のガス化、ITを使った地域電力のネットワーク化など。
再生可能エネルギーを通して世界の経済、産業構造は大規模集中から小規模分散へ変化を遂げつつあり、今、最も成長している分野である。マリア・マッカートは「企業家としての国家」でイノベーションは国家が企業をリードすべきとして、国家の経済政策の重要性を指摘している。
衰退を食い止め、成長をめざすのであれば、今こそ国はエネルギー政策の転換に踏み切らなければならない。(2021.1.21)
性的マイノリティ(少数派)の権利 永田 獏
2021年3月17日、性的マイノリティ(少数者)LGBT(L、レズビアン女同士、G、ゲイ男同士、B、バイセクシャル両性、T、トランスジェンダー心と体の性的不一致)にとって画期的な判断が札幌地裁においてなされた。それは同性愛者にたいして、婚姻によって生じる法的効果(相続、借家権の継承、配偶者の居住権、税の配偶者控除、遺族年金など)を認めない民法及び戸籍法の規定は憲法14条1項(法の下の平等)に違反するというものである。
この判決理由を読んで最も関心を持ったのは、同成婚と憲法24条との折り合いをどうするのかということであった。24条は「婚姻は両性の合意のみにもとづいて」とあり、文裡解釈からすれば両性とは当然、男女と言わなければならない。これにたいし、判決では目的論的解釈をとる。明治憲法では、家を中心とする家族主義観念から、戸主権が非常に強く婚姻には戸主や親の同意が必要とされ、また夫の妻にたいする優位が認められていた。当時女性にたいする差別はすざましいものがあった。これは個人の尊厳を重んじる新憲法の基本原則に抵触するものとして、婚姻は当事者の合意と平等の原則によってなされなければならないことを規定したものであって、異性か同姓かを主たる問題にしたものではないこと、したがって同成婚を否定したものではないとした。
もう一つは性的マイノリティにたいする知見の変化から説明する。同性愛者は人口の7〜8%に及ぶという調査があるように、古来より民族や階級に関係なく存在していた。例えばソクラテスやプラトン、レオナルド・ダヴィンチはゲイ、アレクサンドロス大王やローマ帝国のハドリアヌス帝はバイセクシャルであったといわれている。権力者や著名人以外は差別や迫害に苦しんできた。同性愛者は性欲の質的異常とされ、正常な社会生活ができないものとして、治療の対象となり精神病院に入れられた。キリスト教社会では聖書に反する罪として裁かれた。童話「黄金の王子」で有名なオスカーワイルドは、同性愛の罪で2年間の禁固と重労働に科せられた。
現代になって、LGBTの人たちは、殺害されるかもしれないというリスクの中、カミングアウト(告白)して組織を作り、自らの存在の正当性を訴える活動をするようになる。やがてそれは精神科医や心理学者を動かし、それらの人々の研究によって同性愛は、性的志向(恋愛、性愛の対象が異性、同性どちらに向かうか)の違いであって異常でも病気でもないという知見が確定することになる。そして、その性的志向は、人種や性別と同じく生前に決定され、意思によって選ぶものでも変えるものでもないとされた。世界保健機関(WHO)は、1992年同性愛を疾病分類から削除し、同性愛はいかなる意味でも治療の対象にならないとした。アメリカ連邦最高裁判所は2015年、同性婚を認めない州法の規定は合衆国憲法修正第14条違反であるという判決を下した。
同性愛は病気でも異常でもないという知見は憲法の制定時には存在しなかった。従って同性愛者間においては社会通念に合致した正常な婚姻関係を営むことができないとされ、同成婚にふれる必要がなかった。憲法24条が古い知見に基づいて規定されたものとするならば、あらためて同性婚について判断しなければならない。異性婚と同性婚はどう違うのか、勿論、同性婚は子供を産むことはできない。(養育することはできる)婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにある。(1962年最高裁判決)だが、子供は重要ではあるが婚姻制度の主たる目的ではない。明治民法も現行民法も子供にかかわることで夫婦の法的地位の区別をしていないことから、共同生活の保護を主たる目的にしていることがわかる。したがって、婚姻の本質を伴った生活を営んでいる場合、性的志向のみの違いによって同成婚者に一切の法的保護を与えないのは、合理的根拠を欠く差別的取り扱いであって、法の下の平等を定めた憲法に違反するとしたのである。
この判断は全国五地裁(東京、大阪、名古屋、札幌、福岡)で提起された「結婚の自由をすべてのひとに」訴訟における最初の判断である。今後、他の地裁でどのような判断がなされるか興味のあるところであるが、最終的には最高裁の判断を待たなければならない。世界的な趨勢、また、国内世論においても60歳未満の国民は同成婚の保護に好意的であることからして、多少の曲折はあるにしても、選択的夫婦別姓と同様にマイノリティの権利を認める方向に進むのではないかと思われる。なぜなら、マイノリティに優しい社会は、マジョリティ(多数派)にとっても生きやすいからである。(2021.5.23)
規制緩和という悪夢 永田 獏
経済評論家の内橋克人氏が9月亡くなった。私はNHKラジオの早朝番組「ビジネス展望」や国谷裕子氏の「クローズアップ現代」で彼の説を視聴した。また、来飯された時の講演会で話を聞いたが、その社会的弱者への目線に深い感銘を受けた。
NHKの追悼番組の中で、国谷氏は、内橋氏がアメリカのレーガノミクスやイギリスのサッチャリズムの影響をうけて、日本に新自由主義の潮流が生まれたばかりのころ、この主義がアメリカの社会や雇用にどんな変化をもたらしたかを調査し、「規制緩和という悪夢」(内橋克人とグループ2001)を上梓して、その危険性に警鐘を鳴らしたと述べている。私はそのことを知らなかった。改めて読んでみると、その先見性に敬服せざるをえなかった。
新自由主義とは、市場(経済活動)への国の介入は最小限にすべきで、そうすれば最高の資源配分、最高の成長がなされるというもの。したがって、市場はできるだけ自由にしなければならない。これを妨げる規制は一切あってはならない。官から民へ、小さな政府をめざすものである。中曾根行革などもその一角をなすものであるが、バブル崩壊後の日本経済を救うものとして登場したのが、小泉政権である。政治的には「自民党をぶっ壊す」経済的には「改革なくして成長なし」「例外なき規制緩和」「官から民へ」をとなえ、閉塞感を払拭してくれるという期待感から80%を超える支持を得た。続く安倍内閣は岩盤規制を打ち破ると言って登場した。アベノミクスの三本の矢に喝采し、選挙で7連勝、長期政権を与えた。
新自由主義経済を推進すれば、市場原理のもと民間活動は底力を発揮して、経済は活性化する。一時的に痛みを伴うが、新しい産業が生まれ、雇用は増大する。成長の成果はトリクルダウン(雨だれのように上から滴り落ちる)して、消費者の実質所得は上昇する。物価も下がり、国民は豊かになるとしたが、ではそのようになったのか。我々は改革、規制緩和という言葉に幻惑されて、誰のための、なんの為のものか、その中身を吟味しなかった。内橋氏によれば、それは生活者のためのものでなく生産者、大企業のためのものであった。大も小も、強も弱も同じ市場に放り込めば、弱肉強食の世界で勝負は明らかである。
中曽根内閣の国鉄分割民営化、小泉内閣の郵政民営化によって赤字路線は廃止され、村の郵便局は姿を消した。大型店舗の規制緩和で集落の商店は消え、買い物難民が増えて、車なくして生活できなくなり、過疎化が進行した。労働規制緩和によって、雇用は増えたが、それは一人の正規の賃金で2人の非正規を雇用することにほかならず、今や4割が非正規である。働き方改革どころか働かせ方改革であり、労働者のジャストインタイム(トヨタの看板方式、必要な時に必要なだけ部品を下請けから供給させ在庫を持たない。)必要な時に必要なだけ雇われて、不必要になればクビになり寮を追い出され露頭に迷う。これによって企業は不必要な時の継続雇用の負担をまぬがれる。内橋氏のいう労働者の尊厳のかけらもないやり方ある。大企業は過去最高益を更新すれども、トリクルダウンは起きず、格差と貧困が拡大している。保健所や、公立病院のスリム化がはかられ、コロナ禍で医療崩壊の危機にひんした。ウイルスの基礎研究はおろそかになり、コロナのワクチン一つできない国になってしまった。成長産業はいまだ見えず、失われた10年が20年になり、ついに30年になろうとしている。この間、先進国(OECD諸国)で唯一日本だけが一人当たりのGDPも賃金ものびず、ついに両方とも韓国の後塵を拝することになった。また、男女の賃金格差も先進国中、三番目に高い。母子家庭の生活困窮がうかがわれる。国民は将来不安におびえて、ひたすら節約と貯蓄に向かい消費は増えない。
最近、日本産業の衰退を象徴するような話が伝わった。それは台湾の半導体企業が熊本に進出するという話である。半導体は産業のコメといわれ、かっては日本企業は世界の先端を行っていた。それが今や5000億円も提供してやっと来てもらうと状況である。それも、最先端の一桁ナノ(1ナノは10億分の1m)でなく20ナノの工場である。日本ではそれすら作れなくなっているのである。「国民を大事にしない国家に繁栄はない。」といった内橋氏の言葉が現実になってしまった。このようなことを20年以上も前に見通せたのは、彼が神戸新聞記者時代に、先輩の「常に現場を重視しろ、銃口を向ける側でなく、向けられる側に立って見ろ。」という教えを「経済」をとらえる視座として守ってきたからだろう。
岸田首相が新しい資本主義を口にしているが、新自由主義経済の弊害をどのように修正するか、その中身が問われるだろう。(2011.11.6)
墨子よみがえる 永田 獏
年のせいなのか、このところ朝まで熟睡するということがない。時々目覚めてまた眠るということの繰り返し、昨年の8月31日、たまたま4時ころ目が覚めた。退屈しのぎにNHKのラジオ深夜便をつけたら、「わが心の人」というテーマで、昨年の1月に亡くなった「日本のいちばん長い日」の作者半藤一利氏の妻、半藤末利子さんが出て、なくなる直前「墨子を読みなさい。あの時代に戦争はいけないと言っている。」と話したそうだ。
墨子という名は、高校時代に歴史で習った。約2500年前、中国の戦国時代に乱世を治めるにはどうしたらいいかと様々な説をとなえる遊説の士が輩出した。これを諸子百家といった。墨子はそのうちの一人で、兼愛、非攻説が主な主張である。乱世を統一した秦は法治主義の法家の考えを採用した。次の漢は主従関係と徳治を重視する孔子の儒家の思想を用い、以後清代まで続いた。日本では徳川幕府が官学とした。武士道はこの儒家の思想と結びついたものである。
墨子の説く兼愛は、当時にあっては極めて特異な思想であった。兼愛とはだれかれの区別なく、人を愛すること。「乱がどうして起こるかを考えてみるに、それは相(あい)愛さないから起こるのである。天下が兼(ひろ)く相愛すれば治まり、互いに憎みあうと乱れる。」「他人の国をみること、自国をみるようにする。他家をみること、自家をみるようにする。他人をみること、自分をみるようにする。」「こうして諸侯が相愛すれば、野に戦うことはない。」この博愛主義をおしすすめれば、非戦、非攻論になる。戦争をなくすなんて夢物語とバカにされようと、戦争はお互いの国、国民にとって無益で、福をもたらさないとして、戦争のない平和な時代にしようと弟子たちと天下を駆け回った。勿論、戦国時代ゆえ非武装論ではなかった。侵略に対する防衛戦は否定せず、絶対に攻め込まれないように技術や戦術を磨き、防衛に特化した武装集団でもあった。(墨守という言葉はここから生まれたといわれる。)
ジャーナリストの青木理氏をして「良質の保守」といわしめた半藤氏が何故に「墨子を読め」といったのか、亡くなる一年前の著書「墨子よみがえる」を読んでみた。それによると、戦後のある体験が関係していることがうかがえる。「戦後日本で新憲法が施行され、戦争を永遠に放棄すると宣言した第9条に、武者震いのでるほど感動した時の事が思い出される。新しい平和な日本を作ろうと理想に燃えていたし、東京の焼け跡で見た数限りない無残な焼死者の死を無にしないためにも、戦争放棄とはこよなく有意義なことと、若き日のわたくしは心から信じられたからである。そして、それを言葉に出して言ったとき、わが父はゲラゲラと笑い、いともバカにした口調で、『お前はあの凄まじい東京大空襲のとき、川に落ちて溺れそうになったため、まだ頭に水が溜まっているのと違うか。戦争がこの世から全くなくなるなんてことが金輪際あるものか。』といわれて、えらく憤慨した。その時、墨子のことを知っていたら敢然と反論して、ああまで嘲笑されることはなかったと、口惜しさを覚えずにはいられない。」と書いて、そして最後に「今こそ「墨子」を読もうという意味は、いまの日本の事、人類の明日のことを思うゆえになのである。大小の戦乱の絶えることのない現代世界にあって、非戦を説き続けることは、夢みたいな理想をただ語っているに過ぎないのか?と、あえて疑問を呈したいからである。」と結んでいる。彼の問いにたいして、国民は昨年の総選挙で答えを出した。自民党は防衛費GDPの2%、倍増を公約に掲げて国民の支持を得た。これが達成されれば、アメリカ、中国に続いて防衛費世界第3位の軍事大国になる。増額された防衛費は、おそらく空母の保有、ミサイル開発など敵地攻撃能力の整備に使われるだろう。それは憲法第9条の理想と現実とを首の皮一枚でつなげていた専守防衛からの逸脱であり、9条は文字づらだけの死に体となる。我々は9条のむくろの上にどのような世を子供たちに残そうというのだろう。(2022.1.7)
共生社会が日本を救う 永田 獏
劇作家の平田オリザ氏が「三つの寂しさと向き合う」という小論を書いている。その三つの寂しさとは、「1,もはや日本は工業立国ではないということ。2,もはやこの国は成長せず、長い後退戦を戦っていかなければならないということ。3,日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。」である。それは、我々の認識とは違って、世界における日本経済の存在感が過去30年間で劇的に低下してしまっているこということである。
どういうことか、具体的に見てみよう。世界GDPにおける日本の比率は1994年には18%であったが、2021年には5.8%、一人当たりではアメリカを抜いて第2位になったが、2020年では23位である。国際競争力は1990年一位であったが、2020年34位である。粗鋼生産、自動車などの基幹産業はこの20年間で20%縮減し、企業の時価総額トップ50社中日本は34社(1989年)が今は一社のみ。東京証券取引所上場外国企業は1990年125社であったが、2020年4社に激減している。外国企業は日本から脱出して、中国、インドへと向かい日本を除外した四大市場を形成しつつある。日米欧が世界経済の中心の三極だった時代は終わったのである。
日本がこのような寂しい状況になってしまったことについて様々な理由や対策が論議されているが、ここではグローバル人材の不足について述べたい。外国人研究者の比率でみると米国38%、日本5%、女性研究者米国33.6%、日本14.4%(2013年)つまり外国人と女性を排除した男性中心の閉鎖的集団内の競争であったため、先進国中最低レベルになってしまったのだ。コンピューターサイエンス学科の順位ではアジアの7つの大学が10以内に入っているのに、最高の東大で134位である。151研究領域におけるトップ10論文数は日本ゼロ、中国70、米国80(2015〜2017平均)である。優秀な外国人や女性を含めた多様性のある集団で切磋琢磨しなければ、新しい着想は生まれないのは自明のことである。ところが、国際的な人材にとって魅力的な国のランキングをみると日本は35位、アジアの国、地域よりも低い。さらにジェンダーギャップ(男女平等ランキング)は121位(2019年)、アメリカに25年いた研究者によると、女性研究者はほとんど日本には絶対帰りたくないと言うそうだ。理由は差別が厳しいから、セクハラ、パワハラの日本へは帰らないと必死で業績をあげて大学、企業の国際競争力に貢献しているそうだ。海外に働く自然科学研究者24000人のうち女性は60%ということは、優秀な女性研究者を日本は失っていると言えるだろう。アメリカ国籍の真鍋淑郎氏がノーベル物理学賞を受賞して大はしゃぎしているさまは悲劇を通り越して喜劇でさえある。
日本経済を下支えする科学技術の進展には、すぐれた外国人や、女性研究者の増加が急務である。それには、待遇の改善はもちろんのこと性、人種、民族の差別のない共生社会の醸成が不可決である。ところが、最近これとは真逆のことが起こった。武蔵野市が「多様性を認め合う支えあいのまちつくり」を掲げた外国人にも投票権を認める住民投票条例案が否決されてしまった。10年以上前に他所で同じような条例が定められた時には問題にならなかったのに、今回は反対する人たちが市外から押し寄せ、連日街宣車で走り回り、市庁舎前で横断幕を張って「このままでは外国人に、この町が乗っ取られてしまう」とがなり立て、これに大学教授や国会議員まで同調する騒ぎになった。この10年で空気がかわってしまった。アジアの周辺諸国が日本を追い抜いていく中、縮みゆく日本に耐えられず、内向きになって閉鎖的、非寛容になってしまったのだろか。このような空気が拡散すれば、共生社会をめざそうとする自治体も足踏みしてしまうだろう。少子高齢化の進む中、様々なレベルの外国人の人材が必要になってくる。また、アジア諸国でも日本を追いかけるように少子高齢化が進む。優秀な外国人労働者、研究者をめぐっての競争相手となろう。このような国民感情の国を外国人が選んでくれるだろうか?何よりも私が危惧するのは、日本の社会に直接責任を持つ政権党所属の議員が中心になって反対したことだ。保守は本来寛容を重んずるはずなのに、これでは長期低落傾向に歯止めはかからない。共生社会のために早急に考えを改めてもらわねばならない。ひるがえって、わがまちで同じような事態になった時、議員たちはどのような態度をとるだろう。(2022.1.27)
アメリカの失敗 永田 獏
昨年8月、9.11の同時多発テロから20年、アフガニスタンで戦争をしつづけてきた米軍が完全撤退した。そしてアフガニスタンを支配することになったタリバンを恐れた人々は、国外へ脱出しようとして空港に殺到して混乱を極めた。その光景は47年前、あのベトナム戦争でサイゴン(現ホーチミン市)から逃げる人達の姿と二重写しになった。米大使館員がヘリコプターで脱出するシーンは、アメリカの敗北を象徴するものであった。
アメリカはベトナムに54万の軍隊を投入し、「石器時代に戻してやる」(カーチス・ルメイ=東京大空襲の指揮官)とばかり、枯葉剤、ナパーム弾、ボール爆弾など核兵器以外のあらゆる残虐兵器を使用し、第二次大戦の2倍、太平洋戦争の45倍の爆弾を投下した。ベトナムの国土は荒廃し、ベトナム人380万人、アメリカ軍5万8000人の死者の山を作った。当時、国防長官であったマクナマラはなぜアメリカは世界最強の軍事力、経済力をもってして小国ベトナムに勝てなかったのか。その疑問を解くべく20年後、ベトナムのハノイに両国の当事者を集めて6回の討議のうえ、「果てしなき論争(ベトナムの悲劇を繰り返さないために)」にまとめた。そこでマクナマラは21世紀へのアメリカの教訓として、次のようなことを述べている。
総じて、アメリカはベトナムの歴史、言語、文化、心情に対して無知であった。どういうことかというと、
1. 北ベトナムは東アジア全域で、ソ連、中国の指示によって共産主義化しようとしていると思った。ベトナムは歴史上幾度も中国王朝の圧迫を受けた。その歴史を知っていれば、中国の走狗になることは考えられない。彼らはただ民族の独立と国家の統一を望んだだけだった。
2. 北ベトナムの軍事資材に比して、圧倒的優位にあるから、一ひねりで負かせると思い、北ベトナムが莫大な被害をこうむりながらアメリカとの戦争を継続することなど想像もできなかった。祖国の独立と統一にたいするベトナム人の熱意をあまくみた。
3. 国造りの仕事は、軍事力の行使と経済援助があれば可能だと誤解した。西欧式民主主義国家建設のため、ベトナム人の心情を踏みにじってこともあろうに、独裁者を支援した。結果、腐敗がはびこり、軍の士気は低下し、民心は離れた。
このマクナマラの教訓はアフガニスタンで行かされたのか。残念ながらアメリカはアフガンでもその歴史、言語、文化、心情に無知であった。アフガニスタンはシルクロードの要衝として、古来多くの民族の侵入をうけ、これと戦ってきた。近代ではイギリスの支配を脱し、ソ連を撃退した。アフガニスタンで30年の長きにわたって医療、灌漑施設の建設に携わってきた中村哲氏によると、近代化されているのは都市と主要幹線沿いのみで、それを外れると自給自足に近い封建社会のようなものであった。22の民族と多数の部族社会でなりたっていて、それぞれがかなり独立性をもっていて、サンゴのように一つがつぶれても他は生きているので、ビクともしない社会であると述べている。これらの民族や部族を結びつけているのが強固なイスラム教への信仰である。モスク(寺院)とマドラサ(学院)は人々の心のよりどころである。タリバンとは神学生を意味し、学院の学生であり、指導者オマルは学院の指導者であった。中村氏によるとアメリカはこともあろうに、イスラム教の聖典コーランを標的に実弾訓練をしたり、タリバンが集合しているとてモスクやマドラサを空爆した。また、タリバンの中心であるパシュトゥン人にはパシュトゥンワリ(掟)という伝統的行動規範がある。それは保護を求めてきたものは命を賭けて守る(客は神の贈り物)メルマスティアとバタル(復讐)である。
アメリカは9.11の首謀者とされるビンラディンの引き渡しを要求した。タリバンは掟に反して、証拠を示せば応じるとしたが、ブッシュは「無罪であろうが有罪であろうが関係ない」として攻撃した。ライフルと戦車砲くらいしかないタリバンなどアメリカの軍事力でひとひねりと思ったのだろう。追撃されたタリバンは民衆の中に潜入した。民衆と区別がつかなくなり、多くの誤爆による犠牲者を出した。子供を殺された母親は掟どおり自爆テロで復讐した。多額の経済援助は政府と軍が私することによって、腐敗が進み民心は離れた。イスラム教を冒涜された男たちは反米のための聖戦(ジバート)にたちあがった。
20年後、アフガン人14万人、外国兵3600人(米兵2400人)の犠牲者をだしてアメリカは撤退し、振り出しに戻った。アメリカはもう一度マクナマラ元国防長官の遺訓をかみしめる必要があるだろう。「どの国も複数政党制を樹立し、アメリカの道徳観を受け入れるべきだという自分たちの信念を抑制するように努めるべきである。もしアメリカがこれを怠ればベトナムが再び起こることは避けられないだろう。」(果てしなき論争)(2022.2.13)
脂肪のかたまり 永田 獏
前法政大学総長田中優子氏がある雑誌に、昨年度の開高健ノンフィクション賞受賞作品「ソ連兵へ差し出された娘たち」(平井美帆)のことを書いていた。それは岐阜県黒川村の分村として吉林省扶余県の陶頼昭に渡った黒川開拓団の事である。そこは第二松花江の流域のため肥沃な土地であった。ということは、もともとそこには現地民が居たのを追い出して作ったのだ。
昭和20年8月ソ連はヤルタ秘密協定にもとづき日本に宣戦布告し、満州になだれ込んだ。頼みの関東軍は全面撤退し、開拓団は何の保護も受けられず、何の連絡も与えられず突如第一線に放置せられた。軍が引き上げると現地民が暴徒化して襲い、日本人から奪えるものをはぎ取って行った。隣の来民開拓団は逃げ場を失い、ついに集団自決した。黒川開拓団の人たちはどうしたか。残りの物資を奪い取られたら、まもなく訪れる零下の世界を生き延びることはできない。最後の砦を守るには、進駐しているソ連兵に助けを求めるしかない。ソ連兵が現れると暴徒は四散し、襲撃は収束に向かった。ところが、今度は下っ端のソ連兵が物取りにやってくるようになり、同時に手当たり次第に強姦が始まった。団の幹部たちはこの状況を乗り切るためには、娘を出せばソ連司令官に守ってもらえるのではないかと考えた。そこで、団員の命を救うためにということで、泣き叫ぶ娘たちを説得して数えの18歳以上の未婚の娘をソ連兵に差し出すことを決めた。これを「接待」といった。「接待」させられた女性によると、大きなソ連兵のいる空間でブルブル震えていた記憶しかないという。90歳を過ぎても、ガチャツ……鈍い金属音を耳にすると鼓動が速くなり、あの時の恐怖がよみがえるという。銃を身に着けたままのソ連兵が太いベルトを外す際、必ず「あの音」がした。「あの音」はそれに続く強姦を告げるものだった。「接待」が始まってから、ソ連兵が女探しに来ることはなくなった。
1946年の春になると、ようやくソ連軍は撤退を開始した。9月初旬、開拓団は多くの犠牲を払ってやっと祖国の土を踏むことができた。
村に帰ってみると、あれほど笑顔と励ましで送り出した村人たちは一変していた。引揚者はお荷物扱いされ、身なりのみすぼらしい者を見れば、「引揚者みたい」とさげすまれた。一層厳しい扱いを受けたのは、女性たちである。阿智村の満蒙開拓平和記念館で体験を話した女性は「一年ほどして『私は人間じゃなくなった』と情けない思いをして日本に帰って来たんですけど、帰ってみれば、『引揚者』『満州でけがれた女』と問題にもしてくれないし、村そのものでもね『満州から帰ってきた女はあれだから汚い』。それこそ私たちは皆お嫁に行くところもなかった。」と語っている。
私は田中氏がこの作品を紹介した文を読んだ時、学生時代に読んだモーパッサンの「脂肪の塊」という短編が頭に浮かんだ。それは1870年、普仏戦争でフランスがプロイセン(ドイツ)に破れた時の事である。フランス北部の町から3日ほどの町へ馬車に10人の乗客を乗せていくことになったが、その中に脂肪の塊とあだ名された小太りの魅惑的な娼婦も乗り合わせていた。第一日目の宿に着くと、そこにプロイセンの士官が占領していて、彼女を見て一夜を伴にすることを要求する。愛国心の強い彼女は敵に身を任せることを拒否する。それを聞いた他の乗客も憤慨して、一致団結して抵抗すべきということになった。ところが、一日たっても二日たっても士官は出発を許可しない。しびれを切らした乗客たちは、みんなのために士官の要求にこたえるよう説得にかかる。乗り合わせた修道女までが意図さえ立派なら神はお許しになるといった。彼女はついに折れた。
翌朝、馬車は出発した。最後に乗った女は皆に挨拶したが、誰も答えず、嫌悪感をあらわにし、不潔なもののようにさげすんだ目を送った。犠牲となることを強いておいて、いざ用がすむと無用な汚らしい品物のように打ち捨てたのだ。女は乗客の態度に憤りをおぼえ、うっかり口車にのせられて願いを聞き入れたことを後悔した。彼女は悔しさでずっと泣き続けた。
小説では一人の女性の事であったが、開拓団で「接待」させられた娘たちは団から、村からさらに男を中心とした社会から侮蔑、差別された。「ロスケにやらせたくらいなら、俺にもやらせろ」「ソ連兵のケツをさんざん追ってたじゃないか」と男たちは気楽に心無い言葉をぶつけた。何よりも許せないと思ったのは、「減るもんじゃない」という言葉だった。性と人間の尊厳とが結びついていることを理解しない、性を単なる物として消費する文化的土壌が寝深く日本社会に存在することを意味している。世の男たちは無意識的に女性を深く傷つける言葉を使ってしまう。この男の心の奥底に潜む女性観を克服しない限り、男女平等における国際社会での遅れを取り戻すことはできないだろう。(2022.3.25)
誰が得をするのか 永田 獏
ロシアのまさかのウクライナ侵攻が始まって2ヶ月が過ぎようとしている。日々のニュースに見る惨状は目をそむけたくなる。欧米の国々はプーチンを悪魔の如く非難しているのは当然だろう。だが、忘れてならないのはプーチンを悪魔にしたのは、アメリアであり、NATOであり、ゼレンスキーであることだ。そのことについては長くなるので、ここでは触れない。ここでは、この戦争で誰が一番得をするかを考えてみたい。その事によって戦争の本当の姿が見えてくるかもしれない。
一番得をするのはアメリカだと思う。ヨーロッパの「パンかご」と言われていたウクライナが戦場になり、当然穀物価格は上昇する。アメリカは世界の食糧庫と言われるように、食料品輸出額は世界一である。穀物価格の上昇によって、アメリカの農家は潤う。また、エネルギー価格も上昇した。EUはガスの1/3をロシアに依存していた。制裁によってこれをアメリカへ転換しなければならない。アメリカは最大の石油、ガスの産出国である。コロナ禍で一時石油先物市場はマイナスになるほど下落したが、この戦争によって石油産業は持ち直し、ヨーロッパ向けの液化天然ガスは4倍以上に増えた。こうしてアメリカは食料、エネルギーの国際市場からロシアの締め出しをねらう。
そして、なによりも好都合なことは、ヨーロッパだけでなく台湾や日本などのアジアでも軍事予算を増額する動きが出て、アメリカの武器を買ってくれることだ。一基6000万円もする対戦車砲が売れに売れているという。アメリカは軍産複合体といわれ、世界一の軍需産業国であって、この産業の動向が景気や雇用を左右する。武器は使用しなければ需要は生まれない。従ってアメリカは戦争を欲する構造になっている。第二次世界大戦後アメリカは19回も戦争をしてきた。ところが今回は、戦争に参加することなくアメリカの武器だけ消費される。さながら、アメリカ兵器の実験場となっている。有効性が実証されれば、益々売れるということになる。つまり、ウクライナの荒廃と国民の犠牲によって、アメリカが儲かり、ロシアの衰退と武器市場からの排除がもくろまれることになる。
政治的には、ぶざまなアフガニスタン撤退で失墜した国際社会の信頼を回復したことだ。イラクやアフガニスタンでの非道をたなにあげて、正義の味方のように振舞っている。プーチンを叩けば叩くほどアメリカの存在感は増し、政治、経済両面において中国との覇権争いで優位に立てる。また、バイデンの民主党は中間選挙での敗北が言われていたが、勝てるかもしれない。このように見てくると、アメリカはこの戦争が大戦にならない程度に長く続いてゆっくりとロシアが衰退していくのを望んでいるのではないか。勿論、ウクライナの人々のことを思えば一日も早く終わらせなければならない。
戦争当事国以外で、戦争が長引いて困る国の一つが日本である。日本の食糧自給率は37%、エネルギー自給率は12%、産業原材料のほとんどを輸入に頼っている。戦争が長引いて原材料価格がさらに上昇すれば、われわれの生活が立ち行かなくなる。日本は世界が平和であってこそ存立できる。従って、アメリカの意図に反して戦争を早く終わらせるための外交努力をすべきである。安倍元首相はプーチンと27回も会って、「ウラジミール」「シンゾウ」と呼び合うほど親密であることを誇示していた。今こそ、政府特使としてモスクワに飛び
プーチンを説得してほしいものだ。(2022.4.21)
国民はブランドがお好き 永田 獏
参議院議員選挙は予想通り自民党の大勝に終わった。2012年政権を奪取してから負けなしである。なぜこんなに勝ち続けることができるのか。勿論、国民が支持したからである。ではその間の政治はそんなに素晴らしいものであったのか。失われた20年が30年になった。こんな停滞を続けている国は内戦で疲弊している国以外にない。挽回のために放った三本の矢は効果なく、失敗は明らかである。拉致問題、領土問題は停滞したまま。その間、国民の生活は一向に楽にならず、従来なら政権が吹っ飛ぶようなスキャンダルに枚挙にいとまがない。それでも国民は自民党を支持つづけている。
そのことについて、政治学者の白井聡氏はアメリカのダートマス大学の堀内勇作氏らの行った興味深い調査の事を述べている。(マーケティングの政治学―なぜ自民党は勝ち続けるのか-日経ビジネス2021.12.27)調査の概要はこうだ。昨年の総選挙の各党の政策を「外交、安全保障」「経済背策」など五つの分野に分け、それを無作為に振り分けて政策一覧表を作り、支持、不支持を問うものだった。この調査で明らかになったのは、自民党の政策はあまり支持されていない。とりわけ、原発、エネルギー政策や多様性、共生社会などの分野では最低であった。ところが、自民党の政策として提示されると、どの分野の政策でも大幅に支持が増えた。共産党の安全保障政策さえも自民党の政策とされると、過半数の肯定的評価を得た。ここからわかることは、多くの国民は政策とは関係なく、自民党というブランドで投票しているということだ。「今でも自民党」「これからも自民党」と自民党なら何でもいいと思考停止している国民が多数いるということだ。なぜ自民党かといえば、それは自民党が強いからである。勝ちそうな側、勝ち馬に乗ることによって自分があたかも権力者の一部になったような多幸感に浸ることができる。また、民主制は多数決原理で成り立っているから、多数をえたものが正しいという幻想を有権者に与える。従って、それにくみしない無党派層は正しくない選択をしたという敗北感を味わいたくないから棄権をする。投票率は上がらないわけである。このような傾向は自民党が勝利するたびにますます強固になっているように思われる。2012年民主党から政権を奪取して以来、政官財メディアを力と忖度で支配し、国民の思考停止を促してきた。自由で平和、安全で物は豊か、こんないい国はないと現状肯定の幻想を植え付けて国民を満足させてきた。もっとも、その幻想のつけが元首相の銃撃とは皮肉なことではある。
上智大学の中野晃一氏はこの自民党による確立した支配体制を2021年体制と呼んだ。体制であるから、長期政権とちがって共産主義体制、徳川幕藩体制のようにトップが変わろうと権力構造は変わらず固定化される。民主党政権の成立は年金のずさんな管理に国民の怒りの爆発からおこったが、コロナ対策の不手際や国民の意思を無視したオリンピックの強行も、トップが変わっただけで、権力構造はびくともしなかった。もし、体制が崩れるとすればそれは外圧、災害、経済危機のような大異変であろう。幕藩体制はペリーの黒船によって、ソ連はアメリカとの軍拡競争による経済破綻で崩壊した。したがって、この自民党一党支配体制は戦争とか、ハイパーインフレによる国民生活の破壊のようなことが無い限り続くだろう。その結果心配されるのは権力の不遜、横暴と腐敗である。もうすでにその兆しは現れている。山際経済再生担当相は、青森での選挙応援演説で「野党の人から来る話は、われわれ政府はなにひとつ聞かない。」と本音を漏らした。どんなに素晴らしい意見でも身内の意見以外は一切聞かないとすれば国会はいらない。これは議会政治の否定、民主政治の原理、原則の否定である。彼はいまだその発言を撤回すらしていない。おごり、高ぶりの自民党には自浄作用が失われてしまったのか。これから3年間は選挙がない。大勝した自民党にとって何でもできる黄金の3年間と言われている。野党を無視した政治は、党内抗争にエネルギーが費やされるだろう。これでは衰退に歯止めはかからない。自民党は謙虚に政策を磨き、国民は政治的リテラシー(判断力)を身に着けることが必要であろう。(2022.8.2)
さだやん 永田 獏
「サザエさん」の作者長谷川町子をモデルにした「マー姉ちゃん」の再放送をBSで見ていたら、敗戦後しばらくして、諦めていた炭屋の丁稚だった若者が、ヒョッコリ玄関に現れて、驚くやら、喜ぶやらで大騒ぎの場面があった。このシーンを見て、私は子供の時のある体験を思い出した。当時は子供が多く、舗装もされていない道路に一杯群れて遊んでいた。そこへ、薄汚れた軍服を着て大きなリュックを背負った男が歩いてきた。子供たちは物珍しさで、ゾロゾロとその人についていった。その人は、とある藁葺屋根の家の戸口にたった。中から髭づらのおじいさんが現れ、一瞬何事かと驚きの表情を見せたが、次の瞬間満面の笑みを浮かべ、抱きかかれるようにして敷居をまたいで土間に引き入れ、障子戸を閉めた。顔だけでなく、からだ全体から慈愛に満ちたオーラが漂っていた。子供ながら強い印象を受けたので、70年以上経っても、驚きと喜びが混ぜ合ったような表情が鮮明に浮かんでくる。
復員といえば、もう一つ忘れられない想いがある。私の従兄に「さだやん」という人がいた。その人は母の実家の長男で、私が物心ついたころには、招集されていて、会ったこともないし、本当の名前も知らない。親戚の者たちが「さだやん」と言っているのを覚えているだけである。戦争が終わっても消息は知れず、母親である叔母はさだやんを待ち続けた。私に会うたびに「さだはなあ、お前が小学校へ上がるまでにはかえってくる、きっと帰ってくる。」と言い続けていた。その叔母のわが子を待ち続ける気持ちを思うと、今でもこみあげてくるものをおさえることが出来ない。結局、さだやんは私が小学校へ入学しても帰ってこなかった。帰ってきたのはコトコトと音のする白木の箱だけだった。
また、このような母親の哀しみについて、若いころに観た映画の事が思い起される。それは「誓いの休暇」というソ連映画で、当時は成人式のイベントでよく上映された。第二次大戦のドイツとの戦闘でソ連は2000万人以上もの犠牲を出し、兵員が枯渇して幼さの抜けない若者まで招集された。その新兵として招集された一人の若者が大きな手柄をたてた褒美として、一週間の休暇を与えられる。彼は母親の待つ故郷へ急ぐのであるが、途中戦友たちに色々頼まれる。それを果たしているうちに日にちはどんどん過ぎていった。その頼みごとを果たしている中で、彼は人間のやさしさ、醜さなど人生の縮図を体験する。やっと村はずれについた時には、約束の日になっていた。母親は畑に出ていて、いなかった。村人の知らせを聞いて、母は走った、はしった。かけた、駆けた。迎えの車が来て、出発しようとする時ようやく間に合って、親子はしっかと抱き合う。やがて、若者を乗せたジープは広大な麦畑の中の道を砂塵を上げて戦地へ向けて去っていった。母親は遠ざかっていく車をいつまでも見つめていた。そこへ「若者は再び母親のもとへ帰ることはなかった。」というナレーションが入って映画は終わる。
今、かってドイツとの戦いの場であったウクライナで再び多くの兵士が命を落とし、ウクライナとロシアの母親を悲しませている。2014年に亡くなった菅原文太は選挙の応援演説でこう言った。「政治の役割は二つある。一つは国民を飢えさせないこと。安全な食物をたべさせること。もう一つ、これは最も大事なことであるが、絶対に戦争をしない事。」と。戦争を終わらせるのは戦闘でなく、政治である。戦争は一度始めると終わらせるのは至難のことである。太平洋戦争時、サイパンが陥落した時敗北は明らかであったが、その後一年以上も続き、犠牲者300万人の9割は陥落以後であり、ここでやめられれば民間人80万人のほとんどを救うことが出来た。だから、戦争は決して初めてはならない。命より大事なものはないとするなら、政治の最大の使命は、戦争を防止することでなければならないし、政治家の役割の第一のものであると思う。(2022.8.14)
国葬異論 永田 獏
多くの国民の反対を押し切って安倍元首相の国葬が行われた。当日、安倍氏を慕う人々の献花の長蛇の列の一方、国会周辺や各地で国葬反対のデモが行われた。デモ隊に対して献花に訪れた人々の間から、「それでも日本人か」という罵声が浴びせられたという。国民を分断してしまった。弔問外交もG7の首長がだれも参列しないというぶざまな結果に終わった。
今回の国葬について、あまり触れられていない二つの事柄について感想を述べてみたい。
佐藤元首相は吉田茂元首相の国葬について「超法規的措置でやれ」と指示し、麻生副総裁は「これは理屈じゃねんだよ」と岸田首相に国葬を強く迫ったというように、国葬に法的根拠はない。国葬令は1947年に廃止されている。それは戦前、山本五十六国葬のように戦意高揚など政治的に利用された反省にもとづくものであり、以後法制定がなされなかったのは、民主的新憲法の下ではふさわしくないとしたためであると思われる。
民主的国家に於いては、権力者は多数決原理によって決まる。そこで決められた法は少数者も従わなければならない。切り捨てられた少数者には不満が残る。従って権力者への評価も多様にならざるを得ない。多様な評価のある人物を国葬だから「国を挙げて」黙?せよ、弔意を示せというのは、憲法の保障する内心の自由の侵害になる。内心の自由は多数決になじまない。また、特定の個人の死を特別扱いするのは「法の下の平等」に反する。あえてそれをするには、国民を納得させる卓越した業績が必要であるが、先に見たように業績に対する評価も多様であるから、国論を統一することは不可能である。それ故、民主制国家では政治家の国葬はあってはならない。もし、国葬というものをするとすれば、憲法の中の特別な存在である天皇のみであると思う。吉田元首相も「新憲法下では、国葬は天皇の場合だけに限られる」と考えていたという。それは天皇だけが、民主主義の適用を受けない唯一の権威だからである。権力(政治家)と権威(天皇)とを峻別してきたのが、日本の伝統的政治の在り方であった。従って、特定の権力者を国葬という形で、英雄化、象徴化することは、権力と権威の一体化を目指すもので、天皇の権威の侵害に他ならない。それは全体主義への危険性をはらんでいると思う。
もう一つは、安倍政治についてである。安倍政治の根幹は、戦後レジーム(政治体制)からの脱却、美しい国日本の誇りを取り戻すことにあったのではなかったかと思う。戦後レジームとは、占領期における猥褻な謎々「マッカーサー(占領軍最高司令官)はなぜ日本のヘソなのか?」「チンの上にあるからだ」(ジョンダワー「敗北を抱きしめて」)に示されているように、天皇制の上に覆いかぶさっているアメリカの存在がずっと続いていることだ。アメリカは日本の好きなところに日本の金で基地を置くことが出来る。そこでは警察も手を出せない治外法権になっている。首都の空は横田空域として、日本の飛行機が自由に飛べない。こんな国は世界でも日本だけではないだろうか。アメリカの高官の中には日本をプロテクトレイト(保護領)と言う者もあるという。アメリカにたいして、おかしいことはおかしいと言える国にすることが戦後レジームからの脱却だと思うが、どうだったろう。
今回の国葬でそれを見せつけられる事があった。テレビニュースを見ていたら、アメリカ代表のハリス副大統領が大型ヘリから降り立った映像が流された。あれ、彼女はどこから来たのだろうかと思った。そしたら、羽田や成田で入国手続きをせず横田基地に来て、そこから東京23区唯一の米軍基地赤坂プレスセンターのヘリポートに降り立ったのだった。まさしく属国扱いである。このことについて右翼はもとより、メディアも政治家も問題にしなかった。右翼団体「一水会」の木村三浩氏だけが声をあげていた。政治学者の白井聡氏が「永続敗戦論」で戦後レジームの深化と喝破したように、われわれは独立国の気概をうしなって属国根性が染みつき、自発的隷従に埋没しているのではないかと思う。こんなことでは台湾有事の際、アメリカの下請けとして戦わされウクライナの二の舞にならないかと心配になってしまう。(2022.10.28)
二つのジレンマ 永田 獏
2023年度の予算案で防衛費の増加が盛り込まれた。いよいよ世界第三位の軍事大国への歩みが始まった。その目的は勿論、外国からの攻撃に対して自国の安全を保つための抑止力を高めることにある。しかし、抑止力の増加については、安全保障のジレンマということが言われている。どういうことかというと、他国に対する脅威を感じた結果として行われる軍拡が当該他国の軍拡を促す。そうするとまた不安になってこちらも軍備を増強する。お互いの軍拡競争はとどまるところをしらず、安全の為がかえって危機を深めてしまうというものである。軍拡のイタチごっこの結果は、双方の技術と経済力に依存する。ちなみに、我が国が危機を抱く近隣諸国のGDP,ロシアは日本の1/3弱、北朝鮮は茨城県くらい、中国は四倍に迫ろうとしている。ただ経済力がなくても抑止力をつける方法が一つだけある。それは、核武装である。北朝鮮がミサイルと核を手放さないのは、それが唯一の現体制維持のための手段であるからである。しかし、日本にそれはできない。国連の敵国条項国である日本の核武装を国際社会が許すはずがない。そこで、先の安倍内閣では、それまで違憲とされていた集団的自衛権容認を閣議決定して、地球の裏側までいってアメリカと共に戦うから、日本が攻撃された時には、ちゃんと一緒に戦ってくださいねと、アメリカを引き込んで中国に対する抑止力を高めようとしたのである。
ここで二つ目のジレンマに直面することになる。それは台湾問題である。日本は1972年の日中共同声明で、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認し、台湾が中華人民共和国の不可分の一部であるという立場を充分理解し、尊重するとした。であるならば、これは中国の内政問題ということになる。内政問題に軍事介入することは、国連憲章で禁止していることである。一方、アメリカのバイデン大統領は台湾有事の場合、介入するかという記者の質問に数回にわたって「イエス」と答えている。そうなると集団的自衛権行使を容認した日本としては、アメリカの要請にこたえて参加しなければならない。日中共同声明は国際的な約束事である。声明を守るか、アメリカとともに戦うか選択を迫られることになるが、アメリカに半ば従属している日本としては、中国の立場は尊重しませんよとして、アメリカの要請に応えざるを得ないだろう。安倍元首相が「台湾有事は日本有事」と言ったのは、このことだと思う。
では、台湾有事はあるのだろうか。アメリカの軍人たちは、近いうちに中国の武力侵攻があると発言しているが、これは予算獲得のために危機をあおっているもので、割引いて考えるべきで、有事があるとすれば、それは台湾が独立の動きを示した時だと思う。中国には中華思想というものがある。これは自分たちは世界の中心だという尊大な考えであるが、実際中国は四大文明の発祥地の一つであり、縄文人が裸足で野山を駆け巡っている時に、壮麗な宮殿を持った都市があり、文字や金属器も使用していた。中世には、西のバクダットと東の長安は世界の二大中心地であった。東アジアにあっては、ずっと政治、経済、文化の中心であり続けた。そのような輝かしい歴史の故に、ルネサンス以降、イスラム文化を吸収して発達した近代ヨーロッパ文化の摂取に後れをとっとしまった。麻薬の密輸を取り締まった事に難癖をつけられて始まったアヘン戦争で香港をイギリスに盗られ、東夷(東の野蛮国)として、下に観ていた日本にも日清戦争で敗北して、台湾を植民地にされてしまった。誇り高き中国にとって、近代はまさに屈辱の歴史であった。この屈辱は晴らさねばならない。習近平主席が「祖国の完全な統一は必ず実現しなければならない歴史的任務」と言ったのは、このことである。だから、台湾が独立しようとすれば、いかなる犠牲をはらってもこれを阻止しようとするだろう。br>
アメリカは台湾に軍事基地を持たない。台湾有事に介入する場合、日本の基地を使用することになる。従って、中国とすれば、沖縄をはじめとして佐世保、横田などの米軍基地をミサイル攻撃するだろうし、政治の中枢である東京も目標になる。日本海側に多数ある原発は無防備である。そして、一旦始まれば中国は非常に粘り強い。日中戦争で、陸相は天皇に「事変は一か月で片付く」としていたが、9年かかって日本の敗北で終わった。長期戦になれば、多くの国民の犠牲と国土の荒廃はまぬかれない。国民の命を守る最善の方策は戦争をしない事である。そのためには台湾有事を作り出すような動きをしない事である。
台湾における世論調査によれば、いますぐ独立を求める人は5%、多くの人は現状維持を望んでいる。とすれば、中国も台湾もそれに米国の思惑はそんなに大きく異なっていない。緊張が高まっているのは、相互の不信感があるのであって、それを払拭するためには外交の出番である。外交だけで戦争を防げないが、外交なくして戦争を防ぐことはできないことも明らかである。台湾有事で最も影響を受ける日本こそがその役割を担うべきであろう。(2023.1.8)
食の安全保障 永田 獏
私は健康のために毎日散歩をしている。歩くコースは2.3あって、その時の気分で選んでいる。季節の移り変わりや、農家の人々との会話はいい刺激になっている。最近気になるのは、今まであった果樹園が切り倒され、昨年まで田であった所が草地になっているという所が増えている事である。いわゆる耕作放棄地の増大である。ちょっと調べてみたら、1975年に131,000haの放棄地が2015年には420,300ha(放棄率11%)で、2026年には46万ha(東京ドーム9万8千個)になるという。農業人口も65歳以上が60%、販売農家戸数は20年前に比して半分以下に減っている。こんなに減ったのは農業では暮らしがなり立たないからである。農家の平均年収は450万円、内訳は農業所得113万円(25%)農外所得203万円(45%)年金135万円(30%)で4割は300万円以下である。こんなことでこの国の将来は大丈夫かと思っていたら、ある雑誌に東京大学の鈴木宜弘教授が、実質自給率は10%に届かないくらいだと書いていた。どういうことかというと、日本の自給率38%の中には飼料以外の生産資材の自給率が考慮されていない。野菜の自給率は80%であるが、種の90%は輸入である。そういえば、100円ショップで二袋100円の表示を見ると生産地はすべて外国であった。また、自給率の高いコメについても、新自由主義政策で「種子法」が廃止されて外国の巨大種子企業の参入が始まれば、2035年には11%になるという試算も示されている。さらに、化学肥料原料のリン、カリュウム、尿素はほぼ100%輸入である。化学肥料がないと収量はほぼ半減する。
なぜこんなことになったかと言えば、それは日本の産業政策のせいである。日本は工業製品を輸出した金で、食料を輸入する。「金さえ出せば食料はいくらでも買える。」として、非効率な農業を見捨てて自給率の向上のための農業保護政策をないがしろにしてきたためである。「金をだせば・・・」といっても、その金はどうやって稼ぐのか、ここのところ貿易収支は赤字続きで、アベノミクスの成長産業は一向に育たなく、先端を走っていた姿はもうない。国際競争力は34位にまで落ちた。企業はひたすら低賃金で労働者をいじめてしのいでいる。さらに、もし金を稼げたとしても、世界的に食料がひっ迫する中、買い負けることはないのか。例えば、中国が買い付ける大豆は1億トン、日本は300万トン、どちらがいい顧客か明らかだろう。さらに、やっと買い付けた食料、島国である日本はすべて海運に頼らなければならない。日本商船隊の比率は68%,その船員のほとんどはフィリピンを中心とした東南アジアの人々で、日本人船員は3.5%程度である。有事に危険業務を拒否して下船されたらアウト。
欧米諸国は、食料を安全保障の要として手厚い保護をしている。農業所得に占める補助金の割合を見ると、フランス92%,ドイツ70%、イギリス91%、アメリカ35%(2013年),
これに比して日本は30%(2016年)であり、それぞれの自給率はフランス131%,ドイツ84%,イギリス70%、アメリカ121%である。これでわかるように、世界的な不作や戦争等の有事の際、先進国の中で日本が最も飢餓に陥りやすいだろう。今、台湾有事を想定して抑止力増強のために、膨大な予算が組まれたが武器を増やしても食料が無ければ、万事休すである。あの太平洋戦争の失敗から何も学んでいない。補給を考えずに戦線を拡大してどうなったか。国民の生活を切り詰めて作った武器弾薬や食料は、アメリカ軍の潜水艦や飛行機の餌食となり、海の藻屑となった。太平洋の島々に取り残された兵士たちは、ジャングルを逃げ回り、飢餓とマラリアで倒れ、野ブタに食われて果てた。
どんなに優れた武器を購入しても、食がなければ国民の命を守れない。鈴木教授も「いざ食料がなくなっても、F35やオスプレイをかじることはできないのだ。不測の事態に国民の命を守ることが『国防』というなら、国内の食料、農業を守る事こそが防衛の要、それこそが安全保障だ。」と書いている。食をまかなえない国は独立国とは言えない。脆弱な日本の食糧事情を改善するための処置を早急に講ずるべきだと思う。(2023.4.10)
逆転無罪 永田 獏
さる3月24日最高裁第二小法廷は、死体遺棄罪に問われていたベトナム元技能実習生に対して、一、二審有罪判決を破棄して無罪を言い渡した。彼女はベトナムから技能実習生として来日し、熊本の蜜柑農家で働いていた。年収の5年分にあたる150万円の借金のある彼女は妊娠がわかると帰国させられることがあることを知っていたので、誰にも知らせず働き続けた。従って医師の診察も受けず、母子手帳もないので予定日すらわからなかった。
令和4年11月15日、昨夜からの激しい痛みの後、双子の赤ちやんを出産した。死産だった。心身ともに極限状態だったが、死体をタオルでくるみ名前と生年月日の外、お詫びや、ゆっくり休んでくださいと言う趣旨の言葉を書いた手紙と共に段ボール箱に入れ、接着テープで封をし、棚の上に置いた。翌日医師に死産を明かした。通報を受けた警察は死体遺棄容疑で逮捕した。最高裁は、彼女の一連の行為に対して、死体の発見が困難な状況を作ったが死体への尊厳を損なうものではないとして、罪に問わなかった。
この事件に対して、私は三つの事を述べたいと思う。一つは一、二審に至る経過は男目線によるものである。出産がどんなに大変な事か、産後のひだち三ヶ月といわれるように、肉体的負担はもとより、孤立出産による精神的ダメージは相当なものであったろう。彼女は頭が真っ白になって、どうしてよいかわからなかったと言っている。どんなに寂しく不安であったろう。このようなことに想像力が及べば罪に問うべきでなく、むしろ保護すべきであったろう。担当弁護士は無罪判決の要因の一つに、妊娠、出産の大変さを訴えた127通の女性からの意見書が、裁判官の心証に大きな影響を与えたのではないかと述べている。
二つ目は技能実習制度の問題である。この制度は日本の技術移転によって途上国の発展に資するという目的で30年前に始まったが、実態は人手不足を補う安価で取り換え可能な労働力の確保の手段だった。技能実習の建前から、原則転職ができない。その為労働基準法を無視した長時間労働、低賃金、劣悪な住環境に甘んじなければならなかった。さらにパワハラ、暴力、セクハラが重なる。不満を言えば強制帰国で脅される。強制帰国という事になれば、送り出し機関に預けた保証金を没収される恐れがあるし、多額の借金を返せなくなる。実習生は沈黙せざるを得ない。また、逃亡を防ぐために賃金を強制的に貯金させ、通帳、印鑑、パスポートを経営者が預かる。男女交際禁止、携帯、パソコンの所持を禁止している所もある。情報を遮断して労組や実習生支援のNGOの介入を防ぐためと思われる。
このような実態について、米国務省は「世界各国の人身売買に関する2022年版報告書」で、日本の外国人技能実習制度が外国人の「人身売買」であると指摘している。また、国連人種差別撤廃委員会は2020年「技能実習生が劣悪な労働条件、虐待的で搾取的な慣行そして債務奴隷型の状況のもとにある」と指摘している。もちろんすべてがこのようであるというわけではない。
最期は非白人に対する差別と偏見の問題である。彼女が日本人であったら、医師は警察に通報しなかっただろうし、罪に問われることもなかっただろう。外国人とみれば何か悪いことをするのではないかと、疑惑と不安を持ってしまう。外国人は日本人と対等である必要はないという上から目線が、劣悪で非人道的な労働環境を押し付けてしまった。また、「日本から出ていけ」「国へ帰れ」という外国人排斥の動きも活発化している。少し古いが1997年、小牧市でブラジル人の若者が、ブラジル人というだけの理由で地元の不良達になぶり殺しにされた。
現在、外国人労働者は182万人(2022年)いる。これらの人々は建設業はもとより、今治のタオル、瀬戸の焼き物などの伝統産業、広島のカキの加工、川上村のレタス生産などの農水産業、さらに日本を代表する自動車産業の末端で働いている。外国人労働者を排斥したら、日本の産業は立ち行かなくなる。
既に人権無視と低賃金の状況にたいして、最も多く実習生を送り出しているベトナムでは、オーストラリアやドイツへ向かう傾向が表れているという。だったら、より貧しいネパールやミャンマーからというような本末転倒の論もある。2030年には1000万人の労働者が不足するかもしれないという時、人権を認めきちんとした労働環境を整えますから、来てくださいという、共生社会をめざさないと大変なことになる。政府もやっと実習制度の見直しのための有識者会議を立ちあげた。看板の付け替えだけの見直しにならないよう期待したい。(2023.5.7)
広島サミット 永田 獏
広島サミットが終わった。例によって、バイデン大統領は岩国基地からヘリコプターで裏口入国した。これでは属国扱いだ。いやしくも日本は議長国だ、主権国家としての敬意を示してほしかった。そんなことは日本の大手メディアは一言も触れず、成果なるものを大絶賛して喧伝した。そのために政権の支持率は急上昇、この機に乗じて総選挙に打って出ようという機運が生じたが、息子の不祥事と公明党との確執で一気にしぼんで先行き不透明になった。
今回のG7の特徴の一つは、サミット(頂上)として国際社会をリードしていく影響力が低下したことである。経済力で見ると以前は世界のGDPの70%だったが、今は40%である。そこでグローバルサウスと言われる国々を取り込んで影響力を強めようとしたが、うまくいかなかった。それはG7のいう正義なるものが嘘っぽく見えたからである。かって欧米諸国はこれらの国々を植民地としてひどい扱いをした。力による国境の変更は認められないと言うが、中近東の直線的な国境線は、欧米が力によって勝手に引いたものである。民主主義と法の支配というが、ラテンアメリカでは民主的に選ばれた政権を、軍部にクーデター起こさせて転覆した。キューバ危機では、公海上でキューバを海上封鎖してソ連の船の進行を阻止しようとした。そんな古い話を言われてもと云うなら、最近ではアメリカとNATO諸国はイラク、アフガニスタンに侵攻して数十万人を殺害してそれらの国をぐちゃぐちゃにしたではないか。それでも何処も制裁を受けなかった。ロシアの暴挙に対する制裁に消極的であるのは、このようなダブルスタンダード(二重基準)に対してうさん臭さを感じているからだろう。
二つ目は、議長国日本には三つの唯一があるという事である。まず唯一の被爆国であるという事、次に唯一のNATO非加盟国であるという事、そして唯一アジアの国であるという事である。議長国としてこれらの特徴にふさわしいリーダーシップを発揮できただろうか。
岸田首相は核なき世界を掲げた歴史に残るサミットと評価した。確かに広島ヴィジョンを出したことは画期的であったが、中身は核の恫喝は許されない、「核なき世界」への努力をうたいつつ、核兵器は防衛目的のために役に立つ、核抑止は必要と再確認したもので、核兵器禁止条約には触れていない。せめて核先制不使用くらいの具体的な方針がまとめられなかったのかと思う。なによりも問題なのは、バイデン大統領がこともあろうに原爆資料館に核のボタンを持ち込んだことだ。一瞬にして数万の無辜の市民を焼き殺したのは、戦争を早く終わらせる為に必要だったと、世界に向けて原爆使用の正当性を見せつけるためではなかったか。これは被爆者の気持ちを逆なでするもので、「核なき世界」をうたった言動を台無しにしてしまった。
サミットのもう一つの重要課題はウクライナ問題である。この紛争によって食料、エネルギーの価格は高騰し、世界の人々は困窮している。平和国家として世界に認められている非NATOの日本こそが、一日も早い収束のために指導的役割を果たせたはずだが、ゼレンスキーフィーバーによって武器支援サミットになってしまったのは残念である。容認したF16戦闘機が配備されるには、一年以上かかるという。という事はこれから一年以上破壊と殺戮が続くという事だ。愚かとしかいえない。そこにはアメリカの戦略が見え隠れする。戦争が長引くほど、アメリカの兵器、穀物、エネルギー産業は莫大な利益を積み重ねる。やがては一大穀物生産国であるウクライナの穀物を支配し、プーチンの支配体制が崩壊した後、ロシアの利権にまで手をのばして、背後から中国をけん制しようという目論見があるのではないか。その為に平和都市広島がダシに使われたのではないかと思うのは、うがった見方だろうか。
原爆が投下された後75年間は草木も生えないと言われていた。ところが、爆心地から半径2K以内で芽吹いた木々があった。これは広島の人々を勇気づけ、復興への希望となった。それが、あろうことか今回サミット関連事業で誤ってその一本が伐採されてしまった。これこそが広島サミットを象徴するものだというのは、それなりに努力した岸田首相に酷な事だろうか。(2023.6.15)
アメリカの鏡・日本 永田 獏
あるユーチューブの推薦書欄で、表題の本の存在を知った。著者はヘレン・ミアーズという歴史家。内容は日米戦争に関する評論で1948年に発表され、日本でも翻訳出版が試みられたが、占領政策への批判があったのでマッカーサーはこれを許さなかった。独立後やっと出版されたが、訳者は、日本兵と民間人のみじめな死に何度も泣いたと、後書に書いている。その諸相を幾つか述べてみたい。
開戦前、アメリカはGDPで日本の12倍、鋼材で17倍、自動車は160倍、石油は721倍であった。しかも軍需必需品の85%をアメリカ、イギリス、オランダに頼っていた。したがってこれらの国がドイツとの戦争に忙殺されている間に準備をし、短期決戦で勝利をして、アメリカの戦意喪失をねらって講和に持ち込もうと考えた。思惑どおり、開戦2〜3月でほとんど抵抗を受けないで広大な地域を占領した。しかし、彼女は「実際には日本はこの段階で、すでに戦争に負けていた。彼らは戦線を広げすぎて、自分の首に縄をかけてしまった。私たちは日本軍の補給線を切断して、首の縄を絞めさえすればよかった。」さらに「日本軍の貧弱な装備、中途半端なでお粗末な作戦に対して、アメリカの艦船、航空機、火力の強大さは、滑稽なまでに不釣り合いであった。アメリカの航空機の量と質に比べて日本の航空機はまるで小人だった。工業、軍事国家としての日本は、アメリカやドイツに比べてピグミー程度のものだった。」と述べている。具体例を上げてみよう。
近代戦に最も需要な情報通信技術、アメリカは日本の暗号を解読し、レーダーの開発によって待ち伏せ攻撃をした。ミッドウェーでは4隻の航空母艦、290機の飛行機と優秀なパイロットを失った。潜水艦は重点的に輸送船を攻撃し、最終的に88%を撃沈した。空ではレーダーでいち早く日本機を捕捉して襲い掛かった。ソロモンの空中戦では90機が撃墜されたが、アメリカの損失はたった3機であった。これをアメリカの従軍記者は「七面鳥撃ち」と書いた。アメリカは小型携帯無線を開発して部隊間の連絡をしたが、日本は有線重視であった。無線機は42キロもあって実用的でなかった。戦闘になれば有線はズタズタで各部隊はばらばらの戦闘を強いられた。伝令やハトを使った考えられない有様であった。
飛行場建設には、アメリカはブルドーザーやパワーシャベルを駆使して一週間以内に建設したが、日本はつるはし、もっこで数か月もかかった。輸送船は新型ディーゼルエンジンの優秀船は、わずか6%に満たなくて、ほとんどは石炭船だった。自転車並みの遅い速度に合わせる船団は、潜水艦のかっこうの餌食になった。船舶不足になると一坪5人という奴隷船並みに兵員を詰め込んだ。魚雷攻撃を受けると、船内はパニックになり、脱出できなくて溺れた。航空機製造ではアメリカは常に日本の4倍であった。犠牲者の増大はパイロットと工場労働者の不足を招いた。訓練不測のパイロットと学徒動員と女子挺身隊の作った不良品の飛行機はアメリカの新型飛行機の敵ではなかった。アメリカは10対1の割合で日本機を撃墜した。陸上輸送は自動車が一般的であったが、国産車は不具合が多かったので馬を使ったが、馬は暑さに弱く、結局、人力に頼った。
稚拙な作戦例を二つ挙げてみよう。まず、ガダルカナル奪回作戦。日本から6000キロ、船で二か月掛かる。これを援護すべき飛行場はラバウルから1000キロ(東京―門司間)、3時間半かけて到達しても戦闘は5〜10分、アメリカは3分で参加できる。これでは戦いにならない。かき集めた高速船はほぼ全滅。ロクな物資、食料の無い中、数倍の火力差の敵と戦わねばならなかった。これを二度ならず、三度もして撤退した時には、3万人中、死者2万(7割以上餓死)
ニューギニアでは4000mのスタンレー山脈を超える作戦を立てた。当時大本営には二百万分の一の地図しかなかったというから驚きだ。道なきところを夏服で重火器を背負って行軍することがどれほど大変な事か。しかも、補給船8隻はダンピル海峡で敵機により僅か30分で全滅(ダンピルの悲劇)。一握りのコメをめぐって相争う地獄絵が展開された。一方のアメリカ軍は、感謝祭にはコーラと七面鳥が届き、ビール瓶にガソリンをかけて冷やして飲んでいた。機関銃に対して、手製の槍と手りゅう弾で攻める日本軍は屠殺場の羊のように殺された。さ迷いながら逃れる日本兵を掃討する任務は、百戦錬磨の海兵隊さへ吐き気を催すものだったという。第18師団10万人のうち9万人は餓死であった。
1944年、マリアナ沖海戦で日本海軍の機動部隊は壊滅する。以後日本軍の犠牲者は劇的に増加する。本土ではB29の爆撃が始まり、1万mを飛ぶ飛行機に大砲の弾は届かない。爆撃予告のビラを撒いても何の反撃も受けず、延べ3000機の出撃で損失はたった二機。悠々と日本の市民を焼き殺した。そして敗戦、アメリカ軍の死者10万人に対して、日本の軍人、軍属の死者は230万人であった。(2023.8.2)
信なくば立たず(論語) 永田 獏
マイナンバーカードについて、保険証の廃止をめぐって混乱している。マイナンバーカードの交付は2015年に始まったが、政府がいくら旗を振っても一向に交付件数が増えない。20%前後で低迷していた。なぜか、政府は利便性を吹聴するが、国民は必要性を感じない。なくても一向に困らない。二つ目には政府に対する信頼感の欠如である。不信感の一つは、IT技術とシステムに対するものであるが、最も重要なのは政府の施策そのものに対するものである。「信なくば立たず。」と言ったのは小泉元総理であったが、政府はよく嘘を言う。例えば、原発処理水は関係者の合意が得られなければ放水しないと言っていたが、合意が得られないうちに放水施設を作って既成事実化してしまった。
不信感をそのままに、デジタル化を急ぐ政府は、2兆円を使ってポイントという飴をしゃぶらせて交付件数を増やそうとした。それでも50%がやっとだった。このままでは5年後の更新時には、もうポイントはつけられないから、もっと減る可能性がある。業を煮やした担当大臣は、保険証を廃止するというムチ政策をとった。本来、マイナンバーカードは任意のはずだった。保険証を廃止すれば事実上の強制である。また嘘をついた。任意だから問題が起こった場合、政府は重大な瑕疵がない限り責任を負わないことになっている。プラスとマイナスを勘案して、自己責任で選択してくださいと言うものであったはずである。そんなに強引に進めるのは、何か他に目論見があるのではないかと不信感に油を注いでしまった。
そもそも個人情報は、アイデンティティ(自己同一性、自分らしさ)の大切な要素で、基本的人権の一部と言っていい。個人情報は政府のものでなく、我々自身のもので、それをどう使うかは、個人の判断で決められるべきである(個人情報の自己決定権)。もし、マイナポータルにアクセスできれば、我々の情報が丸裸にされてしまう。特に資産や医療情報は絶対に知られたくないものだ。
今までは月一回の保険証の提示でよかったのが、受診のたびにカードと暗証番号が必要になる。受信した医療情報は全国医療情報プラットホームに蓄積される。カードの裏面についての総務省の説明を見ると、ICチップ内の構成を民間を含めて幅広く利用が可能と書いてある。そしてすでに利用のために15の政府認定企業によってPHR(Personal Health Records)
事業協会の設立がめざさされている。一体、企業はこのプラットホームの医療情報をどのように利用するのか、不安がつのる。さらに不安をあげれば、IT機器に不慣れな高齢者は、マイナポータルに入れず、蓄積された自分の情報が正しいかどうか確認できない。また、データベースはインターネットを通じて世界につながっている。安全装置があるからと言って大丈夫かなと思う。サイバー攻撃を受けて情報が漏洩しないか(シンガポールではサイバー攻撃で首相を含む150万人の情報が盗まれた)また、システムエラーが生じたときには全国一斉に医療行為が出来なくならないだろうか。
保険証廃止の方針が報じられると、交付申請者は急増して70%を超えった。どうせ義務化されるのなら、2万円もらえるうちに取得しようというのだろう。
申請者の急増は処理ミス多発させた。医療機関ではトラブルが続出し、医師の負担が増大した。介護現場では対応に追われて大混乱に陥った。批判や問題が噴出する度に、関係大臣は整合性のない対応策を出したが、いずれも弥縫策で国民を納得させるものではなかった。デジタル相はトラブルの責任を取って自分で自分を罰するなんて発言しつつ、果ては民主党政権のせいにするような発言をして、ひんしゅくをかった。政権党としての矜持はどこへ行ったのか。
あるメディアの調査によると80%の国民が保険証の廃止の撤回ないしは延期を望んでいるという。こうした国民の声に応えるべく、8月4日岸田首相は記者会見を行った。そこで「国民のみなさまの不安をまねいていることをおわび申し上げます。国民の皆様の信頼を取り戻したうえで、デジタル改革を本格的にすすめてまいります。」と謝罪したが、保険証廃止の撤回または延期については明言をさけた。また、マイナ保険証の無い人には、いまの保険証と変わらない内容の資格確認証を発行するという。だったら今のままでいいではないかと思う。
この国は一度決めたことを後戻りしたり、立ち止まったりすることをしない。確かに、法律で決めてしまったから法改正をするのはハードルが高いかもしれない。しかし、いま最も必要なことは、国民の不信感や不安を払拭することだ。メンツにこだわるべきでない。現場や国民の声をよく聞き、外国の例も参考にしながら、対処してもらいたい。注いだ油を取り払わなければ、燃え上がった炎は収まらないような気がする。(2023.8.16)
ハンチバック(せむし) 永田 獏
2023年上半期の芥川賞に、市川沙央氏の「ハンチバック」が選ばれた。あるジャーナリストが重度障碍者が主人公の純文学だからと推薦していたので、何十年ぶりかに手に取った。芥川賞と言えば、大江健三郎や石原慎太郎が頭に浮かぶ世代にとって本当に久しぶりの鑑賞であった。
まず驚いたことが二つある。一つは言葉が理解できないという事。カタカナ語、略語、隠語の氾濫。数えてみたら、36ページの中に90以上もあった。スマホを持たない私は、パソコンのキーをたたいて半日を費やして検索した。二つ目は性描写のダイレクトさである。作者の父親は「こんな酷いもので芥川賞をとってもしょうがない!」とその破廉恥さに激怒したという事だが、破廉恥さを昇華させたものが文学だという認識をもっていた私にとっても、これが芥川賞かという思いであった。「チャタレー夫人の恋人」や「四畳半襖の下張り」裁判から考えると隔世の感がある。
「ハンチバック」の主人公は「ミオチラバー・ミオパチー」という背骨がS字に湾曲する難病を患う女性で、筋力低下によって心肺機能が衰えて人工呼吸器をつけ、様々な機械や介助者によって生活を維持している。そしてそれがどんなに大変な事か、例えば主人公の楽しみの一つである読書について、目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること―5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモ(健常者優位主義)を憎んでいた。その特権性に気ずかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいたと書いている。それでも人間らしく生きたいという欲求をもって、マジョリティ(健常者)に対してマイノリティ(重度障碍者)の世界に合理的配慮(障碍者が健常者と同じように自由に行動できること―障碍者権利条約)を求めてこと挙げしているのである。もちろん、性の問題も例外ではない。
そもそも生物の存在にとって最も重要な事、一つは生命維持のためのエネルギー摂取であり、もう一つは種の維持の為の生殖である。動物の場合、ほとんどの時間を食べることに費やす。だから生殖行動は一定の発情期に限られる。ところが人間は知恵を働かせることによって、食物摂取に長時間費やす必要がなくなった。子供はいつでも育てられるようになった。生活に余裕ができると、人々は遊びをおぼえるようになる。遊びはきわめて人間的な行動である。それが蓄積されて文化になった。食と性も文化として楽しむようになった。各地に様々な食文化や性風俗が生まれた。性文化はマチズモであった。さらにそれは男性中心の楽しみであった。作品の主人公が女性であることは、とても重要である。女性が活躍し、地位が向上するに従って、性文化が女性にも開放された。しかし、障碍者は性文化の埒外に置かれるのが当然視されてきた。
この作品では、文化を持つのが人間の特質なら障碍者も人間であるから、性文化を享受しようという欲求もあるし、それを求めて当然であり、なにも遠慮してわきまえる必要はないと訴えているのだと思う。そのためには物心両面の社会的豊かさと平和が必要であると思う。戦争はマッチョを求める。ヒットラーは障碍者を大量虐殺し、日本ではハンセン病者の断種と堕胎が行われた。
私はこの作品を以上のように読みました。文学は読む人によって様々に解釈しうる。また、それができることが良い作品である証にもなると思う。皆さんはどのように読まれるでしょう。(2023.10.17)
アルプス処理水 永田 獏
2011年の福島原発事故から12年、日本はいまだ原子力緊急事態宣言が続いている。われわれはそのことをすっかり忘れて、日常に戻ったかのように錯覚している。そんな中、去る8月24日、国と東電はアルプス処理水の海洋投棄を始めた。関係者の理解(合意ではない)なしにはいかなる処置も行わないとしていたから、理解が得られたと判断したのだろ。
今までで事故を起こした原発は三つある。アメリカのスリーマイル島、ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発である。それらの内で汚染水を海洋投棄したのは福島原発のみである。チェルノブイリ原発は石棺に閉じ込められた。川の中州にあるスリーマイル島原発では、電力会社、市民代表、州政府三者の合意(理解ではない)がとれるまで処理水が政府基準になっても放水せず、自然蒸発処理を行うことになった。
今回の処置で問題なのは、まず、海洋投棄したことである。海は世界共有財産で誰のものでもない。従って公海についてはどの国も意見を言う権利があるから、国際問題化してしまった。すでに中国をはじめ韓国、オーストラリアなど環太平洋に生きる人々から反対や、懸念が表明されている。次に、放出される主要放射性物質のトリチュウムは世界の原発でも出しているとの主張だが、事故炉と通常炉とではその内容が違う。確かに冷却水中の重水と中性子が反応してわずかなトリチュウムが発生する。しかし、原子炉中の蒸気発生回路と冷却水回路とは別で両者は接触せず熱交換だけを行っているので、冷却水は燃料棒に触れることはない。そしてトリチュウムは半減期が12年と短い。冷戦中の核実験によるトリチュウムはすでに1/100以下で自然界に存在するものと同程度になっている。ところが、事故炉は融けた燃料棒(デブリ)に直接触れたもので、セシュウム、ストロンチウムなど数十種の核物質を含んでいる。
これらの物質を国の基準値以下にまで取り除き、人間が飲んでも大丈夫なくらいに薄めて流すから安全であるという。首相や閣僚は放水口付近の魚を食べる映像を流して安全性を誇示した。これに対し中国は反発して日本産の魚介類の輸入を停止した。これらはいずれも政治的パフォーマンスに過ぎない。放射能の影響はそんなに早くは現れない。なぜなら薄められた物質はプランクトンに濃縮され、次々と大型の魚に食べられ、さらに濃縮され食物連鎖の頂点にある人間に及ぶまでに長い時間がかかるからである。そのよい例が水俣病である。チッソ水俣工場が水銀を流出したのは1932年、それから20年後1953年ごろ魚が浮いて、空から鳥が落ちてくる、猫が踊って狂い死にするという現象が起きた。やがて住民の間に原因不明の奇病が発生した。これをチッソによる水銀中毒と国が公害認定したのは36年後の1968年である。
福島のタンクにある130万トンの汚染水を処理して流すのに30〜50年かかるという。その間に取り除けなかった放射性物質がどのように生物濃縮されるか全くわかっていない。何十年後かにマグロから高濃度のセシュウムが検出され、日本の責任が問われるかもしれない。生物濃縮については、政府も考えていたではないかと思われる。なぜなら安全なら、直接湾内に流せばいいものを一キロ先の外洋に放出するのは、湾内の高濃縮を恐れたからであり、薄めたのは放出口付近の魚への濃縮を遅らせる目論見ではないかと想像される。30年先には政治家も官僚も誰も生きちゃいないという無責任さの表れかもしれない。
最後に、汚染水処理は本当に予定された期間で済むかという問題である。京大の元助教の小出氏は事故直後、400t/dayの地下水を遮断するためにコクリートと鋼鉄で遮蔽壁の建設を主張したが、東電はそれを無視して凍土壁などという不完全なものを作って年間10数億円の電気代で維持していて今も、130t/dayもの地下水が流れ込んでいる。デブリがある限り汚染水は増え続ける。東電の廃炉ロードマップによれば、廃炉まで30〜40年、デブリ取り出し開始2021年となっているが、いまだまともにデブリに近づくことさえままならない。これでは半永久的に流し続けることになる。半永久的に世界共有財産である海を汚すことは許されな。ではどうすればよいか。まず、お金が掛かっても完璧な遮蔽壁を作って地下水の流入を止め、これ以上汚染水が貯まらないようにする。そして識者が提案している幾つかの地上処理案を行い、日本国内で処理することである。原発政策は我々の一票によって選ばれた政府によって決まったことであり、世界の人々はこれに関与していない。従って、我々とその子孫がその責を負うべきではないだろうか。(2023.11.28)
安倍政治、負の遺産 永田 獏
安倍元首相が銃撃されて早一年半、出版された「安倍回顧録」は数十万部のベストセラー、地元山口県下関市では、記念館建設計画が進んでいるし、安倍神像神社(阿南町)なるものも作られているようだ。死してなお国民の人気を集めていることをみると、NHKの元安倍番記者岩田氏が安倍氏の健康回復後、三選に意欲を示していたと云うのもうなずける。
安倍氏のように世間の喝采を浴び、日の当たる場所を駆け抜けた人をみると、ちょっとケチをつけてみたくなる。なんともへそ曲がりな嫌な性ではある。批判すべきことは多々あるが、あまりケチをつけると安倍フアンのバッシングを受けそうなので、どうしても許せない事を一つだけ挙げよう。それは、安倍政治は日本の立憲政治をないがしろにしたことである。立憲政治とは憲法は権力者を縛るもので、権力者は憲法の枠内で政治を行うという原則である。安倍政権はどのように憲法をないがしろにし、枠を逸脱したか述べてみよう。
安倍政治がめざしたものは「戦後レジームからの脱却」であった。戦後レジームとは「ポツダム宣言と日本国憲法」にもとづく政治体制の事である。この体制はアメリカに押し付けられたものであるから、自主憲法を制すべきである。これは安倍氏の母方の祖父岸元首相の悲願でもあった。特にこだわったのは9条の戦争放棄の条項である。戦力の不保持、交戦権の否認は世界的に見ても極めて特異なものであり、そこには日本が侵略戦争を起こさず、アメリカに歯向かわないようにという意図があっただろう。と同時にこのような内容が無ければ、天皇制の存続は連合国の民衆を納得させることが出来なかった。さらにここにはアメリカのニューディラーといわれるリベラル派の理想主義が反映していたともいえる。彼らは国際連合ができれば、国連軍が創設され、それによって国家の安全は保障されると考えた。かくして、日本の支配層は天皇制とバーターでこの憲法を受け入れ、もう戦争はこりごりと思っていた国民はもろ手を挙げてこの憲法を支持した。
ところが、まもなく米ソの冷戦が始まり、ニューディラーの理想はついえて国連軍の創設はなされなかった。アメリカは極東における反共の砦として日本に憲法を改正して再軍備を要求するようになる。そこで日本の保守政権は、憲法の理想と現実を埋めるものとして、専守防衛という考えを取ることになる。それは、国民の生命、財産を守ることは主権国家の義務であるから、他国から「急迫不正の侵害」があった場合は、座して死を待つのでなく、それらを守るために最低限やるべきことをやらねばならない。やむを得ず応急の処置として反撃することは、例外的に認められる。9条はそういう意味で正当防衛としての個別的自衛権まで放棄しているとは考えられない。従って、その為の「必要最小限度」の実力行使は認められるし、その為の必要最小限の実力組織(自衛隊)は認められると言うものであった。
安倍氏の唱えた「積極的平和主義」は武力、抑止力を背景としたもので、武力によらない平和を希求した憲法9条と相容れない。そこで9条の改正を目指したのであるが、日本の憲法は硬性憲法といわれて、改正がきわめて難しい。そこで今度は専守防衛の中身を変えることによって、実質的改正をねらった。ところが、「法の番人」としての内閣法制局は、これまでの政権がとってきた解釈を変えるには憲法改正が必要として抵抗したため、人事で政権の意をくむ長官にすげかえて集団的自衛権を認めさせ、閣議決定をした。そして、国権の最高機関である国会をさておいて、これをアメリカで発表した。
歴代の内閣も多くの憲法学者も、憲法上認められないとしてきた集団的自衛権の容認は、憲法の枠内で行政を行うという立憲主義の否定であり、時の内閣によって法の意味内容が変わるようでは法の安定性を欠き、「法の支配」からの逸脱である。
安倍政治を引き継いだ岸田首相は、一昨年の12月、国会の審議を経ず安保三文書を閣議決定して、それを手土産に日米会談にのぞみ、バイデン大統領に大いに喜ばれた。それはアメリカの懸案が解決したことを意味するからである。アメリカに長く滞在し、多くの政治家、政府高官と交流のあった憲法学者の小林節氏によると、彼等に「先生日本はいつ憲法を改正するんですか」と会うたびに言われたが、解釈変更以後「かたがついたから」といってそういうことは言われなくなったそうである。
安保三文書では、我が国への武力攻撃がないのに、自衛権行使をして敵基地攻撃をも憲法上可能という政府解釈となっている。武力行使を禁じ、戦力の不保持、交戦権の否認をうたう9条下で、憲法改正手続きを踏むことなくここまで来てしまった。憲法の縛りを外すことが常態化すれば、民主的法治国家としての在り方を危うくする。憲法九条にもとづく特別の平和国家としての地位は、世界第三位の軍事国家となるに及んでもはやないと言っていいだろう。英国放送協会は「日本が静かに平和主義を放棄しつつある」と報じた。(2024.1.7)(br>
ナクバ 永田 獏
イスラエルとハマスの戦争が始まって5か月に及ぼうとしている。イスラエルの圧倒的な軍事力によって、26,000人以上の無辜の人々、特に女性や子供が犠牲になっている。このような虐殺にも等しい事が平然と行えるイスラエルとはどういう国なのか。
イスラエルの正史によれば、ユダヤの国はローマへの反乱によって滅ぼされて神殿は破壊され、以後2000年以上多くのユダヤ人は離散を余儀なくされた。移動先では差別と迫害を受け続けた。そこで19世紀末、ユダヤ人の避難場所として、ユダヤ人の世俗的国家建設を目指すシオニズム運動がおこった。シオンとは、ユダヤ神殿のあったエルサレムのシオンの丘を指す。シオニストたちは「土地なき民に、民なき土地を」をスローガンにパレスチナに入植活動を始めた。しかし、そこは「民なき土地」ではなかった。そこには宗教、民族の異なる多くの人々が暮らしていたのだ。そこにユダヤ人の独自の国を創るということは、乱暴な策をとらずにできることではない。パレスチナ人の街や村の破壊、虐殺が行われた。これをパレスチナの人々は「ナクバ」(大災厄)と呼び、語り伝えている。80〜100万人のパレスチナ人が故郷を追われ難民化したのである。この事がイスラエル正史から意図的に黙殺され抜け落ちてしまった。これをあばいたのが、イスラエルの歴史学者イラン・パペ著「パレスチナの民族浄化」という本である。彼は50年という縛りの解けた公開外交、軍事機密書類を中心に様々な資料を読み解いて、ナクバの実態を明らかにした。この本はイスラエルでは出版できず、彼は「非国民」扱いされて大学では不遇をかこった。そのため、イギリスに渡り、エクセター大学の教授、パレスチナ研究所長を務めている。2008年には日本で講演活動もした。
パペがいっている民族浄化(ナクバ)とはどういうものか。
第一次大戦後、トルコの敗北によりパレスチナはイギリスの委任統治領になった。第二次大戦後もユダヤ人が購入して入植した土地は、わずか6%未満であった。このような状況では、とても国家とは呼べない。シオニストたちは、「正常な国家とはパレスチナの80%以上を占め、パレスチナ人はごくわずか(20%以下)でなければならない。」とし、合法的な方法ではいつユダヤ人国家が実現するかわからない。そこで、シオニストたちは力による国家の実現を図ることになる。欧米のユダヤ人はこれを経済的に援助し、欧米各国も、ユダヤ人差別と迫害の贖罪と国内のユダヤ問題を、パレスチナに押し付けようという目論見で、これを支援した。ソ連やアメリカの優秀な武器で軍備を整えると同時に、各村の資料収集もおこなった。こうして準備万端、時を待った。イギリスの委任統治が終わり、国連のパレスチナ分割案が発表されるとそれに抗議して、パレスチナ人によるバスやショッピングセンターが破壊された。シオニストたちはそれを口実に「報復」として、パレスチナ人の村や周辺を一斉に攻撃した。民族浄化(ナクバ)の始まりである。
村は一つずつ包囲され、攻撃、占領、略奪、移送(追放)が実行された。家や建物は破壊され、虐殺やレイプを伴うところもあった。任務は6ケ月で完了し、パレスチナにもとから住んでいた人の半数以上、約80万人以上が追放され、531の村が破壊され、11の都市が無人になった。村の廃墟にはユダヤ人の入植地が建設され、都市の住居にはユダヤ人移民が住み着いた。略奪品はこれらの移民に分配された。破壊された跡地には公園や様々な施設が作られた。あるいは植林されて森林となり、パレスチナ人の痕跡は抹消された。こうして6%未満だった土地は1948年の建国時には、国連の分割案の56%を超えることになり、人口も2年後には65万人から120万人へと倍増した。だが、領土の拡張はこれで終わらなかった。80%以上をめざしてヨルダン川西岸地区のパレスチナ人居住区への銃による入植活動は続いた。1967年には75%、2012年には92%に達したが、極右政権になった今、イスラエルは100%占領を目指している。ガザの惨劇はその延長線上にある。ナクバは続いているのである。民族浄化は国際法上、人道に対する罪とされている。(2024.2.7)
天井のない監獄 永田 獏
天井のない監獄とは、ガザのことである。ガザはイスラエルにより、8mのフェンスと壁で全体を囲まれ、二つしかないゲートのカギはイスラエル人が握っていて、人、物の出入りが管理されている。一日数時間しか電気が来ないから、汚染処理施設が稼働せず、230万人の汚水が未処理のまま海に流され、地下水も汚染されて水道水の97%が飲料水に不適という。それでも飲まずにおれない。またエアコンや扇風機も使えないから、海で涼むことになり感染症に罹ってしまう。保育器や手術、あるいは人工透析も十分に行えず、寿命を縮めてしまうという。世帯の6割が満足に食事がとれないので、乳幼児の過半数が栄養失調状態にある。住民の8割が国際機関の援助に依存しており、それらは安い小麦粉や油、砂糖が中心なので良質なタンパクでカロリーを補うことができず、糖尿病が増加し、それがガザの風土病となっていて住民の寿命を縮めている。援助にたよった希望のない生活は、若者の心をむしばみ、薬物依存症や自殺が増加した。ある教授はこのような状況を「漸進的ジェノサイド(大量殺戮)、アパルトヘイト(人種隔離政策)」といった。東京23区の6割くらいの土地に230万がおしこめられて、家畜のような生活を17年間も強いられているのだ。
ところが、この度のハマスの攻撃を機に、イスラエルは直接的ジェノサイドを行うに至った。飛行機、戦車など圧倒的優位な武器で襲いかかる数万の完全武装兵の攻撃は、過剰防衛以外のなにものでもない。病院や避難所もおかまいなしに攻撃して、多数の民間人を殺害している。特に子供が殺されている映像は見るに耐ええない。「天井のない監獄」は「天井のない処刑場」と化した。ナチスによるホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)で600万人も殺された民族がどうして同じことをパレスチナ人にするのか。一つには彼らはパレスチナ人を対等な人間とみなしていないのではないか。それはイスラエル大統領の「パレスチナ人は人間の姿をした化け物、けだもの」という発言に象徴的に表れている。もう一つは、アメリカの後ろ盾があるかぎり、どれだけ国際法に違反しても制裁や処罰を受けないという確信があるからだとおもう。
パレスチナの人々はなぜ家畜のような生活を送らねばならないのか、なぜ故郷へ帰ることができないのか、それはイスラエルの占領があるからである。なぜ不当な占領があるか。その責任は欧米にある。第二次大戦後ナチスによってホロコーストされたユダヤ人だったが、生き残った25万人の避難民をどうするかということが問題になった。戦争で荒廃したヨーロッパに受け入れの余裕はなかったし、反ユダヤの雰囲気の残るヨーロッパはそれを嫌った。当時、イギリスの委任統治領であったパレスチナではシオニストによるユダヤ建国運動があった。できたばかりの国連は、ユダヤ人問題をシオニストに丸投げした。そしてイスラエルの暴力的占領地拡大行為を黙認してきた。イスラエルはこれまで数えきれないほどの戦争犯罪、国際法違反、安保理決議違反をしてきたが、国際社会はきちんと対処してこなかった。ロシアのウクライナ侵攻には「力による変更は認められない。」として制裁を課しながら、イスラエルにはなんの制裁も加えられていない。二重基準である。パレスチナの人々が国際社会はわれわれの為に何もしてくれないと思うのは当然だろう。だとするならば、自分たちで立ち上がるしかなかった。占領者と戦うことは国際法的には、正当な抵抗権の行使である。ハマスとは、イスラム抵抗運動の頭文字をとったものである。イスラエルは武力、経済力、そして情報力において巨象のような存在である。それにたいする戦いは、さながらアリのようなものである。しかし、人間らしく生きること、尊厳なる生存を求めて立ち上がったのだ。イスラエルのネタニヤフ首相はハマスの壊滅を言っているが、たとえガザでそれができたとしても、抵抗運動は止むことはないだろう。シリア、レバノン、ヨルダン地区には数十万人の避難民がいるし、欧米には数百万人のアラブ移民がいる。しかも、彼らの出生率はイスラエルの3倍である。彼らの中から新たなハマスが生まれ、抵抗運動は続くだろう。これではイスラエルの安定、ひいては中東の安定は図れない。75年前には両者は共存していたのだ。パレスチナ問題に責任のある欧米は共存のための道筋をつけるべきである。それをしなければ国際社会なるものの主張する人権、民主主義、平和はたんなるおためごかしにすぎなくなる。そして、我々はこのジェノサイドを止めるために世論を喚起することが急務である。(2024.3.5)
欲しがりすぎると、持っているものまで失う(アイザック・アシモフ) 永田 獏
昨年5月、岸田首相は資産倍増元年として、貯蓄から投資へと国民を誘導した。今年度から新NISAも始まって、投資ブームの中、新たな詐欺事件が多発しているとして警視庁は国民に注意を呼び掛けた。警視庁の発表によると、昨年SNS型投資詐欺被害は約278億円、一軒当たり1000万円を超える金額がだまし取られたという。高齢者の高額詐欺が目立つ。例をあげれば、都内の70代の男性は1億4000万円、栃木県の60代の女性は1億2000万円,茨城県の70代の女性は7億円をだまし取られたという。
この記事をみて、まず思ったのは、日本の年寄りはこんなに資産を持っているのかという驚きであった。調べてみると、70歳以上所有の金融資産の平均は1786万円。2019年に金融審議会が「老後30年間過ごすには公的年金などのほかに夫婦で約2000万円の貯蓄が必要」という報告が話題になったが、1800万円近い貯蓄があるということは、そこそこいい線じゃないかと思ったが、問題は中央値が1000万円ということで半数の人が1000万円以下の貯蓄しかない。さらに、18.6%の人が金融資産ゼロである。高齢者の金融資産格差を表している。
次に思ったのは、限界のない欲望の恐ろしさである。投資に手をだした動機に老後が不安というのがあった。一億円以上もあって、さらに増やそうというのは一体どのような老後生活を過ごそうというのか、タワーマンションにでもすむつもりなのか、それを知った時、二人のインドの賢人の言葉が浮かんだ。一人は2500年前の釈迦の言葉「小欲知足」である。これは釈迦入滅前の最後の教え「八大人覚」の一つで、大きな欲を持たず、欲望のコントロールが心の平安を保ち、苦のない生活を送れるという教えである。
もう一人はインド独立の父ガンジーの言葉「すべての人の必要を満たすに足るものは世界には存在するが、誰もの貪欲を満たすに足るものは存在しない。」である。世界には飢餓に苦しむ8億の人々が居る。一方、1%の富裕層の持っている資産は全資産の37.8%を占めている。もし分配機能をうまく働かせて分かち合えば、8億の人々を救うことができる。
ガンジーの言葉はこのことを示唆している。しかし、現実はそうなっていない。富裕層は益々貪欲に富を増大し、コロナ禍の2年間で手にした富は、残る99%のほぼ2倍にのぼる。そして、この間飢餓人口は1億5000万人増加した。
1929年10月24日突然の株価暴落、暗黒の木曜日と言われる世界大恐慌の始まりだ。それまで株式投資に熱中していたアメリカ市民は一夜にして資産を失った。不況は世界中に波及し、やがて第二次世界大戦を引き起こしてしまった。アメリカ市民はこの苦い経験から、つつましく生きることを学んだ。しかしその教訓はあっという間に忘れられてしまった。バブルとその崩壊を繰り返して現在に至っている。欲望の抑制は不可能で人間の業なのだろうか。より便利により快適に、より多くという欲望が人類をここまで発展させてきたことは確かであるが、今やそのあくなき欲望に地球が悲鳴をあげている。ホモサピエンス(知恵ある人)は共感と共生の道を選んで、滅びから免れることができるだろうか。(2024.5.19)
落ちぶれたか 永田 獏
政府は先ごろ、英、伊と共同開発する次期戦闘機の第三国への輸出解禁を閣議決定した。2014年安倍政権下における「防衛装備移転三原則」では殺傷兵器輸出を禁止していた。戦闘機は究極の殺傷兵器である。これを認めることは、どんな殺傷兵器輸出も可能ということになる。このような安全保障政策の大転換になる事項を国会の審議も経ずに、閣議決定だけで行うのは議会政治の軽視と言うべきであろう。この事についてネット上では1976年三木政権下における宮澤喜一外務大臣(のち第78代総理大臣)の国会答弁が話題になっている。長くなるが引用して考察してみよう。
「我が国には武器輸出三原則があります。これは、武器に当たるものは輸出しないことと私は考えております。ただ、このような哲学を持っている国はおそらく我が国だけだと言っていいくらい、世界の中では少数であります。現実に武器を売る方も買う方もありますが、それらは我々と哲学が全く異なることとなります。そして買う方は国の安全とかいろんな理由があると思いますし、また売る方は兵器産業というものがある意味でその国の経済体質の中にはっきりと組み込まれてしまっていて罪悪感というものは伴っていないというのが現状だと思います。もちろん、経済政策的に言えば、兵器の生産や兵器の購入というものはいわゆる非生産的なものでありますから、本当はそのような姿では経済発展というものには寄与しないと私は思います。しかし、今の現状というものは、我が国が主張したところでなかなか簡単には世界は変わらないと思います。我が国のような軍備らしい軍備を放棄した国が、歴史上、?栄していくことで、そのようなパターンというものが示せるほど長い時間が経てば、これは一つのいい教訓なっていくかもしれないと思います。
これは、時間がかかることではあるということから考えますと、どうも残念ながら、そのような兵器をめぐる取引というのは現実として考えざるをえないところもあります。しかし、そこへ我が国が入っていくかどうかということについては、やはりどうしても消極的に考えるべきであります。たとえ何がしかの外貨が稼げるといたしましても我が国は兵器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれてはいない。もう少し高い理想を持った国として今後も続けていくべきなのであろうと思います。どこまでが許されてどこからが輸出がゆるされないのかということは議論してできないことではありませんが、卑しくも疑わしい限界まで近づいていくことも消極的に考えるべきではないかと思っております。」
三木内閣は「武器輸出三原則」を最も厳格に適用した政権であった。この頃にはまだ平和国家としての理想と人殺しの道具を売って稼ぐほど落ちぶれていないという矜持があった。しかし、今や安倍政権の三本目の矢、成長戦略はいまだ芽が出ず経済は下降し続けている。背に腹はかえられず、ついに平和国家としてのブランドを捨て死の商人国家として歩み始めたのか。
いったんタガがはずれると、軍需産業は政治と結びついて際限なく拡大する。例えば、防衛装備受注額一位の三菱重工は毎年3.3千万円の献金をして5千億近い受注をしていたが防衛費増額によって1兆6千億を見込むようになった。大企業は多くの関連産業を従え、そこにはたくさんの働く人たちがいる。やがて彼らは生活のために紛争や戦争を望むようになる。企業は金を出し、労働者は票を提供して圧力勢力となり、政治を動かすようになる。
しかし、それは杞憂かもしれない。なぜなら、日本は太平洋戦争以後戦争の経験がないから、日本の武器はガラパゴス化しているといわれる。例を銃にとってみると、有名なカラシニコフ銃は部品が8点、価格は5万円、日本の89式銃は部品100点、価格30万円である。夜間戦闘で故障したら使い物にならない。武器販売競争は熾烈である。そんな中、後発の戦争を知らない国の武器がバンバン売れるとは思えないからである。(2024.6.22)
ゴールド 永田 獏
20年ぶりに新しい紙幣が発行された。時を同じくして、旧紙幣が使えなくなるという詐欺事件発生の注意が発せられた。旧紙幣が通用しないということはない。明治18年の1円紙幣もいまだ通用するのである。
そもそもお金(通貨)とは何だろう。それは物の価値を数量化したもの、交換手段である。我々はお金でいろいろなものと交換できる。パンを買ったり、ノートや鉛筆といった使用価値を買うのである。しかし、通貨には使用価値はない。1万円札では鼻もかめない。ではなぜ原価20円の役立たないもので物(使用価値)を買うことができるのか。それは国家がその価値を保証し、国民がそれを信用しているからである。国家がしゃんとしていないと通貨が不安定になり、信用がなくなれば、その国の通貨は紙くず同然となる。冷戦後、最も強大で安定している国はアメリカであった。したがってアメリカの通貨が最も安定し、信用されるに値するとして、あらゆる経済活動にドルが使われた。つまり、ドルが世界通貨(基軸通貨)となったのである。
国家の保証も信用もなくて通用する無国籍通貨として、金がある。金はきわめて特殊な通貨であり、モノである。まず、環境に影響されない。燃えない、腐らない、錆びない、薬品に侵されない。3000年前のツタンカーメンの黄金マスクはいまだに光を放って人々を魅了している。他の物はいづれ土に帰るが、金は不変で永遠に存在する。この性質こそが金の価値の源泉である。また、紙幣と違って金には使用価値もある。半導体などの工業原料、宝飾品に利用されている。そして、ダイヤモンドのように人工的に作ることができない。その価値は質量=重さによって決められる。今、500gくらいのスマホがあるとしよう。これが金だと600万円の価値がある。これだけの形状で600万円の価値があるのは金だけである。これらの特殊性の故に、金は流通手段としてだけでなく、価値の入れ物、保存手段としても利用されている。その金は現在世界にどのくらいあるかと言えば20万t、オリンピックプール4杯分くらいである。
いま金が高騰しているという。評論家の寺島実郎氏が例をあげて説明しているのによると、2000年に1億円を運用した場合、2023年にはタンス預金1億円は1億円(物価変動を考慮すると9,024万円)株は1億8,435万円、土地は4,377万円、米ドルは1億2,306万円、金は9億3,550万円、なんと9倍以上になっている。特にここ2年程が上昇著しいという。一般に金が高騰するのは、戦争や災害など世界的な非常事態になった時、安心資産として民衆が金を求めるからといわれる。戦争と言えばウクライナ戦争であるが、この度は民衆ではなくグローバルサウス国の中央銀行が買っているといわれる。それはなぜか。アメリカはロシア制裁として、SWIFT(国際銀行間通信協会)からロシアを排除してドル決済ができないようにした。ドルを経済的武器として使ったのである。それを見たグローバルサウスの国々は、これはやばい、アメリカの言うことを聞かないとドルが使えなくなるかもしれなと、ドル所有をリスクとして考えるようになり、金資産に転換し始めたのである。もう一つは中国投資家の動きである。株価の下落、不動産バブルの崩壊で行き場を失った資金が金に向かったというのである。金取引の専門家によると、ウクライナ戦争や中国投資家の動きがなくても、アメリカの債務増加の体制が続くかぎり、上昇傾向は変わらないだろうということである。
ちなみに、日本はどれだけ金を保有しているかと言えば約846t、外貨準備高に占める割合は約5%である。どこにあるかと言えば、ニューヨーク連邦準備銀行に置いてある。外貨準備もすべてドルであるから、財布にためたお金はすべてアメリカに握られているようなものだから、日本の自立なんて遠い夢である。(2024.7.14)
第五列か 永田 獏
不祥事にゆれた自民党、総裁選で、過去最多の候補者をならべて、各種メディアで「お膳立てされた政治ショー」を盛り上げ、国民に裏金問題や、統一教会問題を忘れさせようとした。表紙を代えることによる刷新感と期待感を盛り上げ、さらにご祝儀相場もねらって史上最短の総選挙にうって出たが、目論見ははずれて大敗してしまった。石破総裁が設定した「自公で過半数」の勝敗ラインを大きく下たまわり、少数与党に転落してしまった。共産党の機関紙「しんぶん赤旗」のスクープによる「裏金」問題が発覚して一年、国民は忘れていなかった。さらに、関係議員の処分や、6月に成立した政治資金規正法の改正が不徹底であることによる怒りが爆発したのだろう。
この事について選挙前、元経済企画庁長官田中秀征氏の評論家との対談の言葉が思い起こされる。彼は「今回の不祥事は、今までと違う。今までは個人の政治家やグループのものであったが、今回のは党の不祥事で、初めてのことである。有権者から見れば、すべての議員は同罪であると映る。」と述べた。対談相手が「選挙民はそれがわかっていますかね。」と聞くと」「選挙民はそう受け止めている。」と答えた。国民は自民党ブランドが好きだから、お灸をすえる程度の減少と思っていたので、田中氏の慧眼に敬服した。
6月の本会議で立憲民主党が提出した岸田内閣の不信任案に維新、国民民主は賛成したのであるから、筋から言えば、総理選出の決選投票では野党第一党党首に入れるべきであるが、そうはならなかった。国民民主党は早々と野党協議せずに自民党との政策協議に入って、少数与党との部分連合(パーシャル連合)道を選んで、自公から権力を引きはがすチャンスをつぶしてしまった。勿論、基本政策の違う政党による政権維持は非常に困難である。その事は、八党連立党首であった細川氏も述べているし、参議院は自公が多数を占めているので、これが反対すれば法案は通らない。
私の管見を述べれば、この際は、政治改革と第二次安倍政権以後の自公政治の闇を暴く事に限定した「政治改革暫定政権」を成立させ、何よりも権力を握ることを優先すべきだったと思う。権力がなければどんな良い政策も実現しない。そして、まず暫定政権がやる政治改革の一丁目一番地は企業団体献金の禁止である。これは細川内閣の時、野党であった自公と5年後の禁止ということで合意したものである。その代償として政党交付金制度が作られた。民主政治の健全な発展に寄与するために国民一人当たり250円の割合で交付している。ところが政権を取り返すと合意はうやむやになって現在に至っている。企業は見返りなしに大量の資金を出すことはありえない。そもそも選挙権のない法人が政治に大きな影響をおよぼすことがあってはならない。
二つ目には、政治活動の収支は、領収書も含めて一円から明らかにし、すべてデジタル化して透明性を確保することである。裏金問題を追及した神戸学院大の上脇教授は、数万枚の紙媒体を一枚一枚くって調査したが、レジタル化すればワンクリックですべて国民の前に明らかになる。以上の二つなら、野党は合意できたはずだし、世論を味方に自公に迫れば、反対はできないだろう。他の政策は当面自公政治を引き継ぎ、公明、公正な土俵を作った上で、来年の参議院選挙と同時に衆議院選挙も行って、各党が政権選択をめぐって国民に訴えるべきだったと思う。
自民党の権力への執念と底力をみくびってはいけない。確かに自民党は比例区で530万票あまりも票を減らしたが、自民党には常に30%近い支持層がある。今回はそれが不祥事での批判で棄権したり、他党へ流れただけで状況が変わればすぐ戻ってくる。対して立憲民主党は比例で7万票しか増えなかった。政権交代を目標にしながら、過半数どころか比較第一党にもなれなかった。勝利とは言えない。自公がこの難局をしのげば、財界、官僚、大手メディアを中心としたエスタブリッシュメント(既得権益層)はあらゆる手段を使って、巻き返しを図るだろう。権力は取れる時に取っておかなければいけない。今回、国民民主党の態度によってその道は断たれた。キャスティングボードを握った玉木代表は、メディアに出まくり時の人となっている。彼は第五列(裏切り者、補完勢力)なのか、それとも多党化時代のニューリーダーになるのか、と、ここまで書いていたら、代表の不倫スキャンダルが報じられた。ニューリーダーの夢はしぼんでしまった。これもエスタブリッシュメントの逆襲の一つかもしれない。(2024.11.17)
リニアエレジー 永田 獏
2024年3月29日JR東海(以下JR)は、リニア中央新幹線の完成は当初の2027年から20234年以降になると発表した。建設業界では工事の遅れは珍しいことではないので、うすうすは感じていたので、やっぱりなという思いであった。私の年齢からすると乗車は絶望的である。ネット上では「静岡県がごねている。JRに無理難題をつきつけて工事をさせようとしない。」といった静岡バッシングがやまない。無理難題なのかどうか見てみよう。発端は環境影響評価準備書に、トンネル工事により大井川の水量が毎秒2t減少と書かれていたことである。この量は大井川を水源とする中下流域の八市二町62万人の水利権にほぼ匹敵する。トンネル業者にとって湧水は厄介者かもしれないが、流域住民にとっては、命の水、生活の水である。「全量戻し」の要求は、住民の生活をまもる地方行政の長として、当然の要求である。
JRはその要求を4年間も放置していた。ようやく提示された「全量戻し」の方法が県の納得できるものでなかった。ごねているわけではない。
JRは工事の遅れの原因を静岡県にかぶせているが、フリージャーナリストの樫田秀樹氏によれば、静岡以外の他工事都県でも2〜10年の遅れがあるという。遅れの最大の原因の一つが残土処理であるという。工事の86%がトンネル工事で5680万?(東京ドーム50杯)残土が出る。残土は廃棄物でなく資源であるので、活用しなければならない。住民の不安や反対で容易に処分場は決まらない。残土処分場が決まらなければ、工事はできない。2015年の起工式時で決定していたのは2割程度で、ほとんどは未契約、未着工の状態であった。ここにきてようやく処分先確定率80%、契約率90%になった。だが何事も最後の10%が大変で時間を要する。二つ目はトンネルの難工事である。直径14mの円盤を回転させて掘る大深度シールド工法は国内最大級のケースである。ところが、北白川非常口では発進して50mで止まってしまった。また、名古屋の坂下非常口でもわずか50pでストップしてしまった。地下40m以深で行うシールド工法は様々な問題があり、計画通りにいかないことがわかった。余談になるが、このシールドマシンについては思い出がある。今から50余年前、職場の研究会で恵那山トンネル掘削現場へ見学に行った時、トンネルのまん中ぐらいのところで、シールドマシンが故障して止まっていたので、先進抗を迂回してマシンの前に出て、切羽の先端から見上げるような巨大な円盤を観察することができた。このように工事にはマシントラブルはつきものである。トラブルは主に地質や地盤の調査を十分に行わなかったことに起因するといわれている。十分な調査には、膨大な時間と経費が掛かるので、工事は遅れざるを得ない。さらに問題なのは、全長25qの南アルプス山岳トンネルである。南アルプスを長年実地踏査した地元の理学博士松島信幸氏によれば、南アルプスの地質条件はトンネル計画にとって最悪であるという。約2億〜2000万年前にプレートの圧力によって押し上げられた複雑な地層群で、激しく変形していて多くの断層や破砕帯がある。現在も年4mm隆起している。氏は私に「獏君、南アルプスの山は巨大な水がめだに。トンネル上の圧力による被圧水が飛び出してくる。トンネル工事は計画の倍以上はかかる。」と言われた。長野工区の計画は10年だから、氏の説なら20年以上掛かるということになる。
さらに、14%の地上部40kでも、土地収用、騒音、日照、景観などで住民との軋轢が生じ、その対応に多くの時間を費やさざるを得ない状況である。このように、工事の遅れは静岡のせいのみでない。どうしてなのか、それは工事技術への甘い見通し、杜撰なアクセス、傲慢な住民対応に見ることができる。
品川名古屋間が完成した場合、大阪までの時間短縮は40分程度である。40分のために重い荷物を持って、地下40mから上がって乗り換えるめんどうな選択を乗客がするだろうか。それを考えると、速やかな大阪への延伸が必要である。政府や大阪地域は2037年を要望しているが、JR側は、資金、経営面、工事施工能力からいって同時施工は不可能としている。また着工に当たっては、品川名古屋間の反省に立てば、アセスメントや住民説明に時間をかけた対応、施策が必要である。そうすると10年の名古屋大阪間の工期はさらに延びて、いつ完成するか見通しが立たない。数十年先に完成した時、社会のトレンドがどうなっているかわからない。スピードに一元化されたリニア、膨大なエネルギーを使い、暗闇を突っ走る鉄道に市民権はあるのか。スピードを追及した超音速旅客機コンコルドの失敗の教訓をJRは考えてみる必要があるのではないか。(2025.1.7)
それでもなぜ、トランプは支持されるのか 永田 獏
数々の差別発言やフェイクを連発したトランプが、事前の激戦の予想をくつがえして完勝した。出口調査でも白人のみならず、ヒスパニック系、黒人層においてもトランプが多数を得た。上下両院も共和党が多数を制し、連邦最高裁も保守派が多数であるので、三権を掌握して思いのままにできる独裁者のようになったと言える。なんでこんなとんでもない事が起こってしまったのかと思っていたら、思想史家の会田弘継が表題の本でそれを説明していたので、私なりにまとめてみました。
トランプのような人物が出現するのはアメリカ現代社会の必然であるという。その必然を生み出したのは,すさまじい経済格差である。その経済格差は1970年代からの経済構造の変化、製造業からサービス産業化(情報、通信、金融)によって起きた。それは地域差と学歴差を伴って現れた。西海岸のシリコンバレー、東海岸のウオールストリートに代表される大都市とその近郊では人種的に多様で、専門職やIT関連の仕事を持つ高学歴、高収入のエリートが多く、民主党支持地域となっている。一方、ラストベルト(錆びついた地域)に代表される衰退産業(製造業)地帯では、古くからの製造業に依存する低学歴、低収入の白人が多く、共和党の支持地域となっている。2020年の選挙ではバイデンが勝利した520郡はGDPの71%を占め、トランプが勝った2564郡は29%しか占めていない。民主党に多くの票が入る地域はいかに?栄し豊かな人々が住み、トランプに票が入る地域はさびれて停滞しているかが示されている。学歴での資産格差をみると、高卒が世帯主の家族は大卒の家族の1/5ほど、高卒中退以下だと1/10である。経済構造の転換後、アメリカ経済は5倍に、企業利益は10倍に成長した。総個人資産は46兆ドル増加したが、普通の労働者は逆に貧しくなっている。進んだのは、極端な富の集中である。最も中産階級が没落したオバマ時代でみると、上位10%の世帯資産は全体の73%、下位50%は1%であった。ジェフ・ベソス、ビル・ゲイツ、ウヲーレン・バフェット三人の富豪の資産はアメリカ国民下位50%(1億7000万人)と同じというすさまじい格差社会の底辺で、資産のみならず、学歴も世襲されて固定化した階層社会が出来上がった。子供が親より豊かになるというアメリカンドリームは消滅した。1979年から、製造業雇用は700万人を失い労働組合も崩壊した。今や民間企業の組織率は6%に過ぎない。浮遊した労働者は、流通、運輸などサービス産業に移り、福利厚生もない低賃金の非正規就業者となった。組合の崩壊は、職業への誇り、組合を軸にした様々な社交やコミュニティの活動を奪った。
アメリカでは高卒以下の白人中間層の死亡率が上昇している。先進国はもちろん、もっと低賃金のヒスパニック系や黒人には見られない。自殺、薬物中毒、アルコール多飲による肝疾患死が増えている。ある経済学者はこれを「絶望死」と名付けた。また、高収入のエリートの住む大都市ではホームレスが50万人以上に達している。物価高の中、中低層向けの住宅難でホームレスに追い込まれているのだ。さらに、「刑務所国家」と言われるほどの収監率の高さ、約140万人で世界の40%を占める。カナダの6倍、スウエーデンの12倍。半数が民営化されていて「民営刑務所」は収益をあげるためにより厳しい判決を求めてロビー活動をしているという。アメリカはどんでもない国になってしまった。
このような状況にたいして、「何とか変えてくれ」という切実な庶民の叫びを受け止めて登場したのが、初めてのアフリカ系大統領のオバマであった。彼はChange!Yes we can!と訴え登場したが、金融、財界重視の政策は変えられず、劇的なまで中間層の崩壊が起き、彼の在任中が最も格差が開いた。民衆は既存の政治家に失望した。民主党のクリントンやオバマを蛇蠍の如く嫌うようになった。
結局、アメリカの政治は一般庶民を無視したエリートだけのものになっている。我々庶民は忘れられ、ないがしろにされ、「見下されていて尊重されていない」(マイケルサンデル)という意識が蔓延した。トランプはこうした鬱積した国民の怒りや不満を、持ち前の直観力で吸い上げ、言葉を与えることによって大きなうねりを興したのだ。政治コメンテーターの一人は「幸福な国はトランプを大統領に選んだりしない。絶望している国だから選んだのだ」と述べた。また、一昨年に没したキッシンジャーは「歴史の転換点には突拍子もない人物が大きな役割を果たす」とも言っている。Make America great again(偉大なアメリカを再び)と民衆のナショナリズムを鼓舞して当選したトランプ、選挙モードから現実政治を迎えた時、大富豪のイーロンマスクを政権中枢に据えて、果たしてサイレントマジョリティー(物言わぬ民衆)の期待に応える政治を行えるだろうか、分断したアメリカを救えるだろうか。
(2025.1.22)
介護保険が危ない 永田 獏
介護保険法が施行されて今年で25年、要介護者の尊厳を保持し、自立生活を支援するという理念は、どの程度実現しただろう。
これに関して、社会学者の上野千鶴子氏と諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏がユーチューブで対談していた。出来上がった時の評価として、70点くらいだろうとかなり高い点をつけていた。その理由の主なものをあげると、まず介護の常識を変えた事、これまでは介護は家族のするもの、これが日本の伝統、美風であるといいつつ実際はほとんど女性に押し付けてきた。これを上野氏は家庭内強制労働と言った。これを介護の社会化によって女性を「無理やり介護」から解放した。また、介護や家事労働はタダという常識を変えた。今まで軽視されてきた女性の家庭内労働を評価するようになった。次に介護スキルの向上をあげることができる。家族介護の時は最初で最後の場合が多く、どのようにするか暗中模索であったが、介護の社会化によって、プロによる経験知が積み重なり、共有された。寝たきり高齢者の場合、褥瘡(床ずれ)があるのが当たり前であったが、今はないのが当たり前になり、25年前には不可能であった在宅一人死もできるようになったし、様々な介護用具も開発、利用され、より一層自立生活が送れるようになった。三つめは、我々がお金を払っているのだからという権利意識、主権者意識が芽生えたことである。日本の介護ケアの質は世界に誇るレベルに達しており、介護の恩恵は、国民の間に浸透している。
ところが今、その介護が危機に瀕しているという。どういうことか最近の新聞記事をもとに幾つか挙げてみよう。まず、介護職員の不足、2040年には272万人必要とされているが、2023年度212万6千人で前年度より2万9千人減で、初めて減少に転じた。理由の一つは、報酬の低さである。全産業平均より100万円ちかく低い。さらに厚労省は人手不足対策として無資格のヘルパーの使用を認めた。これは「女なら誰でもできる」として、介護職の専門性を軽んじ、ヘルパーのプロとしての誇りを傷つけるものであった。
次に介護事業者の休廃業、倒産が過去最高になったと言う事と一方、100万円以上もの入所者紹介料を払う事業者がいると言う記事。休廃業、倒産の中心は小規模訪問介護事業所である。訪問介護事業所は過去5年間で3万6千か所中1/4が廃業に追い込まれた。訪問介護所0〜1の自治体が376あるが、訪問介護報酬の減額によってさらにこの傾向は加速されるだろう。
こうなってしまった理由は、急激な高齢化である。介護を必要な高齢者は717万人で前年比12万人増、この傾向は2055年まで続くと見込まれている。これでは介護財政が持たないと、国は制度維持の為負担の増加と給付の抑制を図った。そのための方策としてまず、3年ごとの改定のたびに、複雑、細分化し、わかりにくく使い勝手を悪くして抑制した。さらに、市場化と再家庭化でスリム化を目指した。足りない分は自費でサービスを買ってくださいということである。大手事業所は合理化、機械化IT化で100万円の紹介料を払っても対処しえたが、地域密着型の小規模施設は耐えられない。特に重要な在宅(訪問介護)ができなくなってしまう。誰も住み慣れた家や地域で暮らしたい。せっかく保険料を支払ってもいざ必要になった時、施設がないという介護の空洞化がおきてしまう。再家庭化もこの20年間で家庭の様子は変わってしまった。65歳以上の高齢者のいる世帯で介護者のいる世帯は約3割、あとは老老、認認(認知症)介護で、今300万人のビジネスケアラー(働きながらの介護)がいると言われる。自費サービスを受けるにはお金が要る。老後の沙汰も金次第、金も家族もない高齢者には「在宅」という放置と「孤独死」が待っている。それを避けるため年寄りはお金を使わず、せっせと貯金にいそしんでいる。死ぬ間際がもっとも貯蓄が多いという笑えない調査もある。これでは介護保険法の目指した「尊厳ある老後」の崩壊と言わねばならない。
これらの問題はすべて財源問題に絞られる。介護保険は税と保険料が半々であるが、税の比率を挙げれば問題は緩和される。消費税増税に際しておこなった社会保障の安定財源確保についての三党合意はどうなったのか。自民党は野党時代の公約で公費負担の引き上げを言っていた。公明党も60%に引き上げ、2025年には2/3を公費負担で賄うと新介護公明ビジョンで言っていたが、政権復帰するもいまだ実現していない。それには、国民が介護保険の推移に無関心で票にならないと言う事が関係していると思う。誰でも年を取る。老後の問題は避けて通れない。日本がシュリンク(縮む)していく中、税のあり方(集め方、使い方)を含めてどのような国を目指すのか、我々の一票でもって政治家に迫る必要があると思う。(2025.3.21)