以下の文章は、アートハウス・櫻井さんの書かれたものです。ご了解を得て以下に転載いたします。

文章・画像とも著作権は櫻井さんがお持ちです。

山尾三省さんの遺言

山尾さん
右から2人目が故 山尾三省さん

思う 2001年8月28日

曼珠沙華が咲いている。アートハウスの草むらの中に6本。いつから咲きはじめたのだろう。

屋久島の山尾三省さんにお会いしたのが6月21日の午後2時。

よく冷えた麦茶をいただきなから「病気になるという事は何なのか」とのお話を少しだけすることができた。本当は体がとてもつらいはずなのに「もっと話をしましょう。」「縄文杉じゃなくて、照葉樹林帯を歩いたんですか。屋久島のいい所を歩いたんですね。そう屋久島は、そこなんですよ。それに、こんな梅雨の真っ最中に来られるなんて、さすが櫻井さん。」と、嬉しいお言葉。

「屋久島にいらっしゃいませんか。いっしょに吟行しましょう。」と、言って下さったあの時の眼と同じ眼で私を迎えて下さった。そして2ヶ月後、8月28日に亡くなった。

出棺の際、妻春美さんは三省さんが家族にあてた3つの遺言を参列者に披露した。春美さんは、とても大きな遺言で、できれば皆さんにお伝えして遺志をわかっていただきたいと。

まず第一の遺言は、ぼくの生まれ故郷の、東京・神田川の水を、もう一度飲める水に再生したい、ということです。神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう一度飲める川の水に再生された時には、却初に未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。

これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行くやも知れぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほしいと思います。

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第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世から原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほしいということです。自分達の手で作った手に負える発電装置で、すべての電力がまかなえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、ぼくは考えるからです。

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遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心の中で唱えているものです。その呪文は次のようなものです。

南無浄瑠璃光・われら人の内なる薬師如来。

われらの日本国憲法の第九条をして、世界のすべての国々の憲法第九条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべての国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。

死が近づくに従って、どんどんはっきりしてきていることですが、ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています。けれども、だからと言って、この三つの遺言にあなた方が責任を感じることも、負担を感じる必要もありません。
あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。
市民運動も悪くはないけど、もっともっと豊かな“個人運動”があることを、ぼく達は知っているよね。その個人運動のひとつの形として、ぼくは死んでいくわけですから。


■山尾三省さんの遺言を転載させていただきました。ご快諾下さった櫻井さんに感謝いたします。
(レイアウトの変更はサイト管理人によるものです)

2004/03/07 By 風窯主 連絡する ここまで