『触れない指先』














あのあと、結局買うものが思い出せなくて会社に電話して訊いた。

榊に飲みに行くかと言われたのも断った。
つか、あいつ病み上がりのはずだろ。


布団に寝そべって天井を見つめる。
シミだらけの、暗い天井。



『貴方が来てくれて嬉しいです』



頭の中でひっかかって取れない言葉を反芻する。

ふざけて言われたならなんとも思わない。
でも、そんな感じじゃなかった。

でも、その後の対応は普通だった。


ただ単に「お客さんが来てくれるのは嬉しいです」ってニュアンスではなかった。
仕事してれば、そのくらいの違いはわかる。

‥‥。

「ああっ!もうわからん!!」

ガバッと体を起こして、ビールをあおる。

考えても解らない。他人の気持ちなんてそうそう理解出来るもんじゃない。
解らないものを考えたって仕方ない。
次に会った時、その時はその時だ。


読みかけで机に置きっぱなしになっていた本を開き、栞を取る。
今夜最後まで読もう。

たまに読みたくなったら少しずつ読むようにしている、読書家とは言いがたい本好き。

ハードカバーの一面に空の写真が広がり、浮かんでいるような錯覚が起こる。

毎日同じように生活して、同じように仕事をしていると、それだけだと自分が硬い何かに変貌していくようで、本を読んでいるとそれが自然に戻っている。


その繰り返しだ。


もうちょっと明るい趣味でもあれば、今より面白味のある人間になれたんだろうか。

榊のように。


そのまま俺は、夜中の水音の中で落ちていった。






日曜日にピカピカに磨いた車に乗って、会社に行く。

月曜は気分はのらないのに仕事は大量だから辛い。


加工所と連絡を取りつつ取引先に確認をしつつ、パソコンの前で頭をかかえる。

まだまだ覚えなければいけない事がありすぎて、自分は未熟だと思い知る。
1つ覚えると同時に3つ新しい事が出てきて、もともと良くない頭が追い付かない。
けど、考えることは止めたくない。

責任とか役目とか、まだそんなの全然だけど、でもなあなあにすることだけはしたくない。

甘いな。


後回しにしてる案件を横目で見ながら、溜め息をつく。


‥俺は、ちゃんと役にたっているんだろうか。


「槇原君、槇原君」

肩をぽんぽん叩かれてハッとした。振り向くと 課長がニコッと笑ってる。
「午後の営業会議ね、槇原君も出てほしいんだけど、大丈夫?」

「え、俺がですか?」

基本営業会議には営業担当しか出席しない。たまに事務の上司も出るけど、なんで俺も‥‥?

「わかりました」
「よろしくね〜」

「さーて飯だ〜」と陽気に食堂に行く後ろ姿を見ながら、嫌な予感しか浮かばなかった。



「あれ?槇原も会議出んの」
「ああ」

2階の会議室に入って、不思議そうな顔の榊の隣に座り、会議資料を受け取る。
前半は営業実績。品目ごとの成果を部署ごと報告する。

一人一人営業報告するなか、ひとり座ったきりの俺‥。


ぶっちゃけ、俺なんで居るの‥。


部長からのながーいお言葉もいただき、そろそろ終わりかなってところで 課長が「最後にひとついいですか」と立った。

「今度8月から、新商品の梅ジュースを出します。微炭酸で、500ml、試作品は明日届きますが‥‥」

‥‥嫌な予感してきた。

「この商品の販売ポスターを、槇原君にお願いしたいと思います」

‥‥。

「もう入社して8年だし、営業の仕事内容をもうちょっと知るにはいい機会だと思います。みんなも協力してあげてください。以上です」

‥‥マジか。

「おー、ついに来たな槇原」

「あ、あと商品名は榊考えてみろ」
「えー!」
「はい、では解散っ」

ぞろぞろと皆仕事に戻る。榊は「マジかよ〜」と頭をかかえてる。 俺だってマジかよーだ。


8月からって、えらい急だな。
販売ポスターって‥‥俺美術2だけど。

‥‥。

頭の中で描いてみようとするけど無理。なんにも浮かばない。


机に戻ると課長が「これ、前回のポスター。参考にしてネ」と紙を置いていった。
見本と記述内容。よく見たら期日が金曜日。

えぇぇ‥‥。

「なんでこんなに急なんだ‥」
「なんかなー、加工所で試作できるのがギリギリになったみたいよ」
「榊、余裕だな」
「ぜーんぜん。俺ネーミングセンスねーもん」

「なに?新商品?」
ぞろぞろと事務仲間が集まってくる。

「あー、あたしもやったな〜」
「一度はやるよね」
「まあポスターって言っても、取引先に配るだけの気楽なやつだから大丈夫大丈夫。頑張ってね〜」

「‥‥気楽になんてできないですよ‥」


面白がる皆が遠い。

わいわい騒いでる姿を眺めていると、加島さんが無表情で近づいてきた。
「槇原君」
「はい?」
「さっき渡した納品書、計算出来てる?」

あああ‥。

「‥‥すぐやります」


考えたって浮かぶもんじゃない。

とりあえず、出来る仕事を端からやろう。









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