『触れない指先』 3 あのあと、結局買うものが思い出せなくて会社に電話して訊いた。 榊に飲みに行くかと言われたのも断った。 つか、あいつ病み上がりのはずだろ。 布団に寝そべって天井を見つめる。 シミだらけの、暗い天井。 『貴方が来てくれて嬉しいです』 頭の中でひっかかって取れない言葉を反芻する。 ふざけて言われたならなんとも思わない。 でも、そんな感じじゃなかった。 でも、その後の対応は普通だった。 ただ単に「お客さんが来てくれるのは嬉しいです」ってニュアンスではなかった。 仕事してれば、そのくらいの違いはわかる。 ‥‥。 「ああっ!もうわからん!!」 ガバッと体を起こして、ビールをあおる。 考えても解らない。他人の気持ちなんてそうそう理解出来るもんじゃない。 解らないものを考えたって仕方ない。 次に会った時、その時はその時だ。 読みかけで机に置きっぱなしになっていた本を開き、栞を取る。 今夜最後まで読もう。 たまに読みたくなったら少しずつ読むようにしている、読書家とは言いがたい本好き。 ハードカバーの一面に空の写真が広がり、浮かんでいるような錯覚が起こる。 毎日同じように生活して、同じように仕事をしていると、それだけだと自分が硬い何かに変貌していくようで、本を読んでいるとそれが自然に戻っている。 その繰り返しだ。 もうちょっと明るい趣味でもあれば、今より面白味のある人間になれたんだろうか。 榊のように。 そのまま俺は、夜中の水音の中で落ちていった。 日曜日にピカピカに磨いた車に乗って、会社に行く。 月曜は気分はのらないのに仕事は大量だから辛い。 加工所と連絡を取りつつ取引先に確認をしつつ、パソコンの前で頭をかかえる。 まだまだ覚えなければいけない事がありすぎて、自分は未熟だと思い知る。 1つ覚えると同時に3つ新しい事が出てきて、もともと良くない頭が追い付かない。 けど、考えることは止めたくない。 責任とか役目とか、まだそんなの全然だけど、でもなあなあにすることだけはしたくない。 甘いな。 後回しにしてる案件を横目で見ながら、溜め息をつく。 ‥俺は、ちゃんと役にたっているんだろうか。 「槇原君、槇原君」 肩をぽんぽん叩かれてハッとした。振り向くと 課長がニコッと笑ってる。 「午後の営業会議ね、槇原君も出てほしいんだけど、大丈夫?」 「え、俺がですか?」 基本営業会議には営業担当しか出席しない。たまに事務の上司も出るけど、なんで俺も‥‥? 「わかりました」 「よろしくね〜」 「さーて飯だ〜」と陽気に食堂に行く後ろ姿を見ながら、嫌な予感しか浮かばなかった。 「あれ?槇原も会議出んの」 「ああ」 2階の会議室に入って、不思議そうな顔の榊の隣に座り、会議資料を受け取る。 前半は営業実績。品目ごとの成果を部署ごと報告する。 一人一人営業報告するなか、ひとり座ったきりの俺‥。 ぶっちゃけ、俺なんで居るの‥。 部長からのながーいお言葉もいただき、そろそろ終わりかなってところで 課長が「最後にひとついいですか」と立った。 「今度8月から、新商品の梅ジュースを出します。微炭酸で、500ml、試作品は明日届きますが‥‥」 ‥‥嫌な予感してきた。 「この商品の販売ポスターを、槇原君にお願いしたいと思います」 ‥‥。 「もう入社して8年だし、営業の仕事内容をもうちょっと知るにはいい機会だと思います。みんなも協力してあげてください。以上です」 ‥‥マジか。 「おー、ついに来たな槇原」 「あ、あと商品名は榊考えてみろ」 「えー!」 「はい、では解散っ」 ぞろぞろと皆仕事に戻る。榊は「マジかよ〜」と頭をかかえてる。 俺だってマジかよーだ。 8月からって、えらい急だな。 販売ポスターって‥‥俺美術2だけど。 ‥‥。 頭の中で描いてみようとするけど無理。なんにも浮かばない。 机に戻ると課長が「これ、前回のポスター。参考にしてネ」と紙を置いていった。 見本と記述内容。よく見たら期日が金曜日。 えぇぇ‥‥。 「なんでこんなに急なんだ‥」 「なんかなー、加工所で試作できるのがギリギリになったみたいよ」 「榊、余裕だな」 「ぜーんぜん。俺ネーミングセンスねーもん」 「なに?新商品?」 ぞろぞろと事務仲間が集まってくる。 「あー、あたしもやったな〜」 「一度はやるよね」 「まあポスターって言っても、取引先に配るだけの気楽なやつだから大丈夫大丈夫。頑張ってね〜」 「‥‥気楽になんてできないですよ‥」 面白がる皆が遠い。 わいわい騒いでる姿を眺めていると、加島さんが無表情で近づいてきた。 「槇原君」 「はい?」 「さっき渡した納品書、計算出来てる?」 あああ‥。 「‥‥すぐやります」 考えたって浮かぶもんじゃない。 とりあえず、出来る仕事を端からやろう。 ● ← 3 →● TOP |