『触れない指先』














買い物を済ませて家に帰ると、もうすぐ7時になるところだった。
荷物を置いて、居間のテレビを付け、明日の天気を確認する。

冷蔵庫に卵とソーセージを入れ、牛乳を出しコップに注ぎ一気に飲み干す。


着替えて、先に風呂を沸かした方がいいな。

会社の制服は水色の作業着。毎日洗わなくていいのはほんと助かる。それでも今の時期は汗をかくから、2日に一度は洗うけど。



風呂のスイッチを入れ沸かし直し、昨日の残りの豚こまを玉葱と炒め、酒と醤油を入れる。
味噌汁は朝の残り。飯だけレンジで温めて、空いた腹にかきこむ。



一人暮らしになって2年、この生活が当たり前になってきた。



親父は俺が高校3年の時に事故で、じいさんとお袋は2年前に病気で亡くなった。

じいさんが30歳の時に建てた古くて無駄に広い木造の一軒家は、一人で居るには持て余すものばかりだ。
でもだからといって壊して建て替える金は無いし、愛着もある。
歩くとギシギシ言う床も、風が吹くとガタガタ鳴る雨樋も、もう染み込みすぎて、聞こえないと不安になる。



洗い物をしている間に丁度風呂が沸き、手早く入って汗を流す。
7月でこの暑さじゃ、来月はもっと大変だな‥。
風呂上がりのむんとした熱。また汗が出てくる。

今使ったタオルと、下着やシャツをまとめて洗濯機に放り込み、昨日干した分を畳む。


「ふぅ‥」


何気ない毎日なのが有難いと思うのは、未だ一人暮らしに気持ちが慣れていない証拠なのかな。

始めはそれこそ様々な手続きや四十九日や、隣組や地域の行事をこなすのに精一杯だった。

こういう付き合いは面倒だけど、正直助かってる部分のが多いし、いざという時にすぐ相談もできる。
お袋の葬式の時は家の片付けから料理の手配まで色々してもらった。


2つ離れた市内に母方の伯父さん伯母さんが居て、お袋が亡くなった時に一緒に住むかと言ってくれたけど、家があるし、いくら親戚とはいえ一緒に住むのは抵抗があった。

もう社会人だし。考えてみれば都会の学校に進学した奴等はとっくに一人暮らししてるんだし。


洗濯物をたたみ終えてパソコンを開きメールのチェックをしてから、布団を敷いて横になる。
明日は土曜だし、帰りに旨いもんでも食いに行くかな‥。

行きたい店を考えてるうちに、いつの間にか眠っていた。






「おは〜っ、昨日はサンキュー」


会社に着くなり後ろからどつかれた。タイムカード失敗したじゃねえか。

「うるさい程元気だな。本当に風邪だったのか?」
「うわー、皆して疑ってんのな。榊サンもう具合はいいんですか?ぐらい訊いたらどーよ」
「朝からどつく奴は元気に決まってんだろ」


机に移動し、直ぐにやる仕事を取り出す。その間も榊は隣の他人の席に座りわめき散らす。


「38度出たんだぞ?だけど休み続けるのは会社に迷惑だなって1日で直したのに」
「医者には行ったのか」
「勿論」
「ん」
「なんだよその手は」
「昨日のお土産。ないの?」
「だーから風邪だっつってんだろ!」

「榊元気じゃないか」


でぶ猫の成田課長がニコニコ笑顔で来た。


「あ、課長、昨日はありがとうございました」
「いや、俺何もして無いから。店廻りは槇原君が行ってくれたし。今日は9時から納品に行って欲しいんだけど」
「いいですよ」
「で、お土産は?」
「だから違いますって!」



その後も出社してくる皆にからかわれて、今日も休めばよかったとぶつぶつ文句を言う。


榊は俺と違って愛嬌があって、だから文句言ってうるさかったり背中を叩いてきたりしても、何故か嫌みが無い。

ほんと営業向きだよな。
小さい溜め息をついていると後ろから加島さんが来て伝票をドサッと置いていった。

「これ、午前中に入力お願いします」
「はい‥‥」

土曜日は忙しい。もたもたしていると昼が遅くなってしまう。
頭を切り替えて、伝票の束に目を向けた。



あと30分で就業時間という所で一通りの仕事を終えた。

あとの時間はどうしよう。

月曜の伝票を揃えておくか
商品のチェックをするか
古い要らない書類をまとめるか


事務所内をぐるっと見回して、あ、と気づく。

そうだ、ガソリン入れないと。


昨日乗った車以外のキーを持って駐車場に急ぐ。 1台だけ4分の1くらいで、あとは満タンだった。みんな気をきかして入れてくれたようだ。

車の使用表を確認したら、最後に乗ったのは榊だった。

「あいつ‥‥」

他の鍵を返して、スタンドに向かう。ただ行くのも勿体ないから、帰りに足りない資材を買いにいこう。
帰ってから伝票整理する時間あるかな‥。


スタンドに入ると、昨日と同じようにアルバイト君が誘導してくれる。
会社の車は給油機の左側に停める。


「こんにちは」
「こんにちは。レギュラー満タンで」
「はい。カード預かりますね」


タオルを受け取り、フロントガラスを拭く。
冷房は入れずに窓を開けてあったから、バイト君はすぐに手持ちぶさたになった。


「点検はいいですか?」
「ああ、今日は急いでるから」
「わかりました」
「結構混んでるね」
「そうですね、この辺土曜日は午前中までのスタンドが多いですから」
「俺みたいに、値上がり前だからって何度も来る奴が多くて大変だろ」


窓とハンドル周りを拭き終えて、タオルを渡す。


「‥いえ、貴方が来てくれて、嬉しいです」



一呼吸空いた。
え?と言おうとしたら丁度給油機がガコンと音を立て、彼はレシートを取りに行ってしまった。

「はい、38.5リットル入りました」
「ああ、はい」
「どっちから出ますか?」
「右で‥」

小走りで歩道まで行き、車を停めておいてくれる。

「有り難うございました!」
「ありがとう」


ハザードを3回付けて、車の流れに乗る。



‥‥ん。


‥‥‥‥ん?


土曜日の緩い午後の空気、
雲1つ無い青空。




帰りに、何を買おうとしていたのか、忘れてしまった。









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