『夕焼けの君』
3 桐崎先生は椅子に座って大きく背伸びをした。 「いや〜助かった。いい加減掃除しないとカビが生えるとこだった」 今日の午後番は各研究室の掃除。 俺が割り当てられたのは体育研究室。 普段の掃除時間では研究室の掃除はしない。テストの答案や、その他諸々の秘密書類を見られない為って聞いた。 だから確実に研究室に担当の先生が居て、生徒も1人と悪巧みできない状況で、午後番に掃除を任される。 つか、自分達でやれよ。 「先生もちょっとは手伝ってください」 「俺は明日の授業の班分けしなきゃだから出来ませーん」 40歳を越えたのにいつまでもおちゃらけた性格だけど、生徒に近い目線で接してくれる、いい先生。 でも、他の生徒が居る時は俺は委縮してしまいこんな風に先生と会話したりしないけど。 「先生、いつから掃除してないんですか‥‥」 「午後番がちっとも回って来なかったからなー。2ヶ月くらい?」 床には埃、空き缶や買い物袋の山、ぐちゃぐちゃに丸めたプリント、使い終わった冷却スプレーの缶。 窓の桟には、干からびた虫がいっぱい‥‥‥。 終わらなければ帰れないので、黙々と片づけていく。 外からは、すぐそばにあるテニスコートでボールを打つ音と掛け声、体育館からもかすかに声が聞こえる。 「田辺は球技大会なにに出るんだ?」 窓を拭いていたら、横で名簿とにらめっこしたまま先生が呟いた。 「‥‥バレーになると、思います」 「何だよ『なると思う』って」 「俺去年、野球出たじゃないですか。結果足引っ張ってビリで、だから今年は他に行けって言われると思う」 「何だそりゃ。他ならバスケもあるだろ」 バスケは‥‥。 「ん?」 先生が顔を上げて見つめてくる。 良い言い訳が浮かばない‥‥。 「バスケは、嫌です」 「バレーの方が得意なのか」 「バレーも嫌です。得意なのなんて無いって、先生知ってるでしょ」 学年イチの運動音痴だから。 「じゃあそこでバレーとバスケの差は何なんだよ」 食い下がるなー!そんなの決まってるだろ! 「‥バスケにしたら、見られるじゃないですか」 「なにを?」 「俺が下手なとこ」 「誰にだよ。バレーだって同じだろ」 「‥‥部員が、審判するんですよね、アレ」 「そうだな。先生じゃ足りないから‥‥‥‥」 俺を凝視したまま止まるな! 「なに田辺、つまり、バスケ部に好きな子がいて、その子に見られるのが嫌なのか」 「‥‥」 沈黙が答えになってしまう‥。 「何だ何だ、誰だ?俺バスケ部の副顧問だからな、協力してやるぞ?」 「しなくていいです」 「女バスは今全部で20人だったな‥‥。あの中にいるのかー」 女バスじゃないけど‥‥。 「1年の時も選ばなかったってことは去年からだな?つまり今の1年生ではないわけだ‥」 「もう止めてくださいその話」 「いや〜、いっそバスケにしたらどうだ?頑張ってプレーすればもしかしたら」 「頑張る以前の問題ですよ」 「そんなに?」 「はい」 「せめて2年か3年か教え」 「駄目です」 「こっちで探ってもいいけど」 「は?」 探る? 「2年の田辺永糸君と仲のいいコ居る〜?、て」 「なっ」 そんなの、もし森島に知られたら‥。 『田辺、女バスに好きな奴居るんだって?』 ニヤニヤ訊いてこられたら、それだけで死ねる。 そんくらい辛い。 「卑怯ですよ」 「俺としてはー、体育嫌いの田辺君にやる気を出させたいだけですー」 おちゃらけて言う。 「よし!」 「は?」 机をバンッと叩いてこっちをぐりんと向いて、目をきらっきらさせてる‥‥。 「田辺、お前今度のマラソン大会で50位以内に入れ。そしたら追及しない」 「はあ!?」 「マラソンなら個人競技だし、周りに気を遣う事もないだろ」 「50ってそんな無茶な」 「それなら探るしかないな」 「失礼しやーす、桐崎先生いますかー」 研究室の扉が勢いよく開いた。と思ったら、 「も、」 「あれ田辺、どしたん」 「なんだ森島、部活は」 「今行くところですー。先輩がメジャー借りてこいって」 「はいはい」 先生が奥の道具箱を探る。 「田辺はなに?補習?」 「いや、午後番の掃除‥」 「あ〜、ここきったないから大変だろ〜」 「うるせぇぞ。ほらメジャー」 「ほんとの事じゃん」 森島にメジャーを渡しながら、先生がちらっと見てくる。 『コイツから訊いてみるのもアリだな〜』みたいな顔で。 「じゃあな田辺、頑張れよ〜」 「ああ、森島も‥」 パタンと扉が閉まった。 「じゃあ、50位だからな。頑張れよ?」 ニヤニヤと笑う先生が、初めて憎たらしいと思った。 ●← 3 →● TOP |