『夕焼けの君』










「今日の放課後当番は一階ホールじゃなくて昇降口に集合だそうだ」

窓の外を見ながら半分聞き流していたHR中、意識が急に引き戻された。
今週の当番は俺か‥‥。
忘れて帰るところだった。昇降口ってことは、きっと草むしりだな。

「今週は田辺だな。‥おい田辺、聞いてるか?」
「え、ハイ。聞いてます。」
「天気がいいからってボーっとするなよ」

はいじゃあ終わりな、と言って先生が教室から出て行く。クラス内が一気に騒ぎだし、俺は空間に取り残される。
溜め息を一つつき、鞄からスポーツ飲料のペットボトルを抜き取り昇降口に行く。


俺がボーっとしてるのはいつものことだ。


誰に言うことも無かったセリフを頭の中で呟き、喧騒まみれの廊下をとぼとぼ歩く。

2年になってから、下駄箱の周りは急にごちゃごちゃになった。
服や鞄やペットボトル、空なのか定かじゃない大量の缶、お菓子まで置いてある。
みんな教室まで持っていけばいいのに。

高校生って、もっと大人で、分別ができるようになるもんだと中学の時は思っていた。
実際は大人になった気でいて、子供離れしたくない中途半場な存在で、俺も人の事は言えない。



5月に入ったばかりの空は澄んでいて、風も柔らかい。
ぼんやりしていると、同じ当番らしい数人が集まって来た。
放課後当番−−皆いつも午後番って言うけど、各クラスから1人ずつ、1週間先生達の手伝いをする。
手伝いって言っても様々で、プリントの印刷や配布、草むしりや研究室の掃除、洗車を頼む先生もいる。

スポーツ飲料を一口飲んだところで数学の池内先生がビニール袋をがさがさ振って歩いてきた。
「せんせー、今日は何ー?」
「あたし日焼け止め塗ってないから草むしりヤなんだけどー」
次々と文句を言う3年生を、1年はまだ慣れない様子で見ている。

「草むしりじゃないから安心しろ。これを各自持って…今日は買い出しだ!」
ビニール袋の中には、大量のエコバック。
「げぇー」「坂道イヤ〜」とまた文句。

この学校は丘の上にあり、安いスーパーは急な坂を下った所にある。駅もその近くで、つまり
俺達は今日その坂を2往復するはめになったわけだ。 学校のすぐ傍に大型店があるが、高いから先生達はあまり利用しないらしい。

「何か奢ってよー」というおねだりに「そんな金はない」と楽しそうに歩き出す皆の背中を見ながら、 俺はぬるくなった甘い液体をもう一口だけ飲み込み、それを下駄箱の上に置いて後を追いかけた。



買い出しを終えて今日の当番は終わり、また坂を下る。
大量のコーヒー豆やジュースやチョコレートを抱えて歩いたからか、足がものすごく疲れた。
体力無いのは昔からだ。高校に入ってからはこの坂を毎日歩いてるから、多少は強くなっ…てないか。ないな。

「馬鹿みたいだ」
駅のすぐ手前まで来て、母さんに買い物を頼まれていたのを思い出した。
さっき行ったばかりのスーパーに向かいながら、確認の為電話をかける。

俺の家は居酒屋で、お客の入り具合や急な予約でお使いをよく頼まれる。俺の家の近くにも安いスーパーが無いからだ。
お昼に来たメールで頼まれたのは大葉と生姜だけだったけど、数を訊いてなかったし追加があるかもしれない。

番号を押して耳に当てる。アドレス帳や履歴から繋げず、番号をいちいち押すのは「いざという時に番号を覚えてなかったら 困るでしょ」と母さんに教え込まれたせいだ。

5回目のコールが切れ、応答がある。

「母さん?永糸だけど」
「どちら様?」

声が重なった。
‥‥ん?

おとこの声?

「え、誰‥って‥‥あ」
俺、番号間違えて押したのか?
謝って切ろうとした時、

「永糸って、もしかしてB組の田辺?」
え。
「‥え?」
俺を知ってる?誰の声だ?もちろん親父じゃない。
頭の中が、一瞬のうちにぐるぐる回り出す。この、声は。

「俺、C組の森島だけど。知ってる?」
「‥‥!!」

知ってるも何も‥‥っ、ほんとに森島‥!?

「田辺?」
「そ‥う、俺。田辺だけど」

心臓がバクバクうるさい。
手がブルブル震えてる。
足がちゃんと地面についてるのかも怪しい。

「あー良かった、当たってた。んで?何で俺のケータイにかけてきたん?」
「あ、俺、母さんのケータイにかけたはずなんだけど、番号押し間違えたみたいだ。ごめん」
「ははっ、まー知ってる奴で良かったよ」

ケータイと、駅の方からカンカンと踏切の音がする。

「電車来たわ。じゃーまたな」
「うん、じゃ」

通話終了ボタンを押し、長い溜め息をついた。

まさか‥‥森島のケータイに‥‥‥。
ラッキーと、思っていいのかな。

履歴を見ると、母さんの番号と最後の一桁が違っていた。


未だ鳴り止まない心臓の音を聞きながら、駅の方を見つめた。
その音が聞こえなくなるまで。









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