『小宮と滝沢』








19



その日はたまたま図書館が臨時休業で、
父さんにバイクの免許のサインを頼むために連絡待ちしてて、
母親の仕事先で欠員が出てシフトが変わったのを知らなくて、
昼寝から覚めて2階の自室で本を読んでる時だった。





玄関の扉が開いたんだ。





ガチリという音に身体が凍りつき、本を布団の上に落としてしまう。

「ッ」


心臓うるさい。
耳がうるさい。
気配を追え。
気づいてない。
気づかれてない。


廊下を歩くスリッパの音

ダイニングのテレビを付けて

買い物袋をテーブルに置き

また廊下に出て

洗面所で手を洗い

自室に向かう。





はーー‥‥。

小さく深く溜め息をつき、
布団に顔を付ける。

気づいてはいないみたいだ。

このまま様子を見るしかない。

買い物を済ませたってことは、もう出掛けないのだろうか。

どうする。


数少ない選択肢を探っていると、またリビングに戻ってきたようだ。

布団の中で、息を殺す。
最小限に、目を閉じて音を辿る。
どうすれば回避できる
何事も無かったように
始めから居ないように

ヴーヴーヴー

ビクッと身体が反応したのと、
テーブルに手を伸ばしたのと、
指が震えてゴトリと携帯を落としたのと、
まずいと思ったのは同時だった。


身体の血の気が引いていく。

心臓が爆発しそうだ。
なのに指が冷えきって動かない。

気づいたか?

確信は無い。

もしかしたら、


ガタッ


――何かを落としたらしい、鈍い音



だめだ



急いでテーブルの下にあるサンダルを取る。
カーテンを乱暴に開け、硝子窓の鍵に手をかけた時、


「そこに居るの?あ」

全部聞かないうちにガチャリと窓を開け屋根に乗る。

部屋の死角に移動して、サンダルを地面に投げ、落ちないように、金木犀の樹に跳び移る。


部屋からガタガタ音がする。

心臓がまた跳ねる。上を見ないように、無我夢中で樹から下りサンダルをはき走り出す。


部屋のドアには鍵を3つ付けてある。
でもそんなの関係無い。


苦しい。
痛い。
どうして、


農作業をしてる人達に怪しまれないよう、なるべくジョギングしてるように見せかけ走る。
振り返らず、ひたすら足を前に出す。

喉が痛み、思わず首に手を伸ばした瞬間、
吐き気がせりあがってきて、公園に駆け込みトイレに突っ伏す。


喉の強烈な酸の痛みと、
薄暗いトイレに響き渡る嗚咽。
空にしても治まらない。
腹がぐにゃぐにゃ気持ち悪い。

小刻みの呼吸を繰返し、
冷たいタイルに座り込む。


‥‥いつ帰ろう‥。


少し落ちついてきたからうがいをして、上着で口を拭く。
風が冷たい。足下寒い。

公園に誰も居なくてよかった。


頭がクリアになってきた頃、日は沈み街灯が遠くでひとつ点いた。
ポケットにねじ込んでたケータイを出して、ボタンを押す。


「もしもし!?」

「‥‥ごめん父さん、さっき出られなくて」

「そんなことは良いから、何かあったのか?」

「なんにもないよ」

「‥‥」

「‥‥けど、いっこお願いがあるんだけど」

「何だ?」

「‥‥家に電話して、理由つけてあのひとを出掛けさせてくれない」

「‥‥‥」

「だめかな」

切れ切れな声に、不振がられてる。

当たり前だ。


「‥‥わかった」

「‥‥ありがと」



真っ暗な帰り道。
誰にも出会わずに、真っ暗な家に入る。



リビングに行き、母親からの留守電が入ってたことに今更気づく。




馬鹿だ。

なにしてるんだろう。



‥‥ほんとに。









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