満蒙開拓問題を考える
満蒙開拓に拘わる歴史年表/その3:国交正常化〜今日まで
**本年表は、昭和47(1972)年から現在までを記載した。**

注: 1) 長野県および飯田下伊那地方に拘わるものは黒色で、国内外の事項は〈 〉内に青色で記載した。
   2) また、年表の閲覧に当たっては、画面を十分に広げて見てください。年月日とずれてしまうことが有りますので!

年  次 時々のできごと
1972(昭47)
    5月15日
    9月25日
    9月29日

 
米軍基地の存続など問題を残し沖縄施政権を返還
 田中角栄総理大臣一行中華人民共和国訪問
 日中共同声明(国交正常化)。台湾対日国交断絶を宣言
1973(昭48)
    6月
   10月16日
   10月31日

 日中友好手をつなぐ会発足
 
中国からのの帰国者に対する帰国旅費の国庫負担について。
 中国からの一時帰国者往復旅費の全額支給(戦後初めての墓参り、親族訪問に対して)
1974(昭49)
   6月 3日
   8月15日

   9月29日

 
全日空特別機で中国から70人里帰り。 
 「生き別れの記録」新聞報道、手をつなぐ会に寄せられた肉親捜しの手紙、写真を朝日新聞が
 取り上げると、大きな反響がよせられた。民間の手による本格的な肉親捜し始まる。  
 中国と東京を結ぶ定期航空路開設。
1975(昭50)
   3月12日
  10月10日

  11月22日

 
厚生省肉親捜しの公開調査を始める。
 中国から永住帰国ないし里帰りした日本人関係者約1,000家族、2,200人。一時帰国したものの永
 住帰国を希望しなかった残留邦人に対して、日本政府は1979年まで援護の対象外とする。

 
中国帰国者の入国に関して原則として外国人として扱う。(法務省入管局登録課長)
1976(昭51)
   2月23日
   7月 2日

 長野県各界訪中団飯田から3名参加
 飯田中国語を学ぶ会開講。
1977(昭52)
   3月 4日
   8月12日

 中国残留孤児問題衆議院で取り上げる(田川誠一議員)
 文化大革命集結宣言(11全大会)
1978(昭53)
   2月13日
   5月
  11月25日

 
身元未判明孤児に就籍許可(小島文子事件、家裁飯田支部)行政と司法の違いが話題を呼ぶ。
 残留孤児問題議員懇談会発足。

 平岡ダム中国人殉難烈士慰霊祭、以降ほぼ5年ごとに実施。
1979(昭54)
1980(昭55)
  10月22日
  11月 5日

 
残留孤児訪日調査開始。
 中国残留孤児問題関係各省庁第1回連絡会議開催。
1981(昭56)
   3月 2日

 第1次訪日調査実施(30/47、63.8%判明)
1982(昭57)
   2月18日
   3月
   3月25日
   6月
  12月16日

 
第2次訪日調査実施(46/60、76.7%判明)
 中国残留孤児の里親になる会発足。
 大臣諮問機関「中国残留孤児日本人孤児問題懇談会」発足。
 中国残留孤児日本人孤児問題懇談会が身元引受人制度を提言。
 大阪で国の施策を待てずに民間定着センター建設募金開始。
1983(昭58)
   1月18日
   2月25日
   4月 1日
  12月

 
養父母扶養費問題が解決し訪日肉親捜しが再開される。(日中事務レベル交渉妥結)→注1参照
 肉親捜しを再開。 第3次訪日調査実施(25/45、55.67%判明)3月に30人の里親の申し出あり。
 (財)中国残留孤児援護基金設立。
 第4次訪日調査実施(38/60、63.8%判明)
1984(昭59)

   2月
   2月25日
   3月17日
   3月22日
  11月 6日

 
中国帰国孤児定着促進センター開所(孤児と家族に4ヶ月の日本語学習と生活指導)
 第5次訪日調査実施(27/50、54.0%判明)
 日中政府間で「残留孤児引き取りに関する向上書」が交換される。→注2参照
 日弁連が中国残留邦人に関する人権侵害を決議、同、10月に早期帰還、諸施策の改善要望決議。
 第6次訪日調査再開(40/90、44.4%判明)
 (財)中国残留孤児援護基金が中国人養父母を日本へ招待(以後毎年、生活保護受給者は除外)
1985(昭60)
   1月12日
   3月11日
   4月 1日
   5月27日
   9月 3日
  11月 1日
  11月19日

 
第7次訪日調査(39/90、43.3%判明)
 厚生省、身元未判明の中国残留日本人孤児に対する「身元引受人制度」創設。
 厚生省に「中国帰国孤児定着促進対策室」新設。
 中国の調査で、孤児人数2000人を超えることが判明、訪日計画の見直し必至となる。
 第8次訪日調査(41/135、30.4%判明)
 「法人身元引受人制度」を制定。
 第9次訪日調査(33/135、24.4%判明)
1986(昭61)
   2月26日
   5月 9日
   6月 1日
   9月 7日
  10月14日
  10月22日

 
第10次訪日調査(37/130、28.5%判明)
 養父母に対する扶養問題で日中政府間で口上書交換→注3参照
 第11次訪日調査(78/200、39.0%判明) 9月 3日,第12次訪日調査(63/200、32.0%判明)

 飯田日中(旧飯伊日中)帰国者交流会を実施。(風越山麓公園)
 
第13次訪日調査(32/100、32.0%判明) 12月 ,第14次訪日調査(14/42、33.3%判明)
 衆、法務委員会で初めて残留婦人の人数が明らかになる。
  (一時帰国者2700名、永住帰国者1000名、在中国約3500名)
1987(昭62)
    2月23日
   3月 2日
   6月 1日
   9月27日
  10月29日

 
第15次訪日調査(28/104、26.9%判明) 11月、第16次訪日調査(10/50、20.0%判明)
 厚生大臣が個人に代わり「戦時死亡宣告取消」を申し立て、東京家裁が許可するようになる。
 福島、北海道に中国帰国孤児定着促進センター開所

 飯田日中(旧飯伊日中)帰国者旅行交流会を実施。(長島温泉へ約300名が参加)
 「残留孤児の国籍取得を支援する会」就籍システムを確立し、発表。
1988(昭63)
   2月27日
   3月 8日

 
第17次訪日調査(13/50、26.0%判明,再調査5人を含む)6月 ,第18次訪日調査(12/35、54.3%判)
 
自立研修センター(2次センター)全国15カ所が決定(長野は6月23日に開所)
1989(昭64)
   2月
   6月 4日
   7月31日

 
第19次訪日調査(9/57、15.8%判明)
 中国天安門事件発生。
 身元判明孤児(肉親が身元引受人とならない孤児)の「特別身元引受人制度」創設。
1990(平 2)
   2月
   2月25日
   4月 1日
   8月29日

 
第20次訪日調査(12/46、26.1%判明)、11月17日第21次訪日調査(4/37、10.8%判明)
 山本慈昭氏(残留孤児の父と言われ、孤児捜しに奔走)逝去(3月8日葬儀、89歳)
 飯田日中(旧飯伊日中)中国残留帰国4家族帰国歓迎会、(信濃屋)
 
中国残留婦人一時帰国に対する協力援助事業の開始(残留孤児援護基金が身元引受人になる制度)
1991(平 3)
   4月 1日
   6月20日
  11月26日

 飯田日中(旧飯伊日中)中国残留帰国者激励会の実施
 
特別身元引受人制度の対象者に残留婦人等を追加
 第22次訪日調査(5/50、10.0%判明)
1992(平 4)
  11月24日
  12月23日

 
第23次訪日調査(4/33、12.1%判明)
 今村清氏(元水曲柳開拓団長)逝去
1993(平 5)
   9月24日
   9月 5日
   9月30日
  10月26日
  11月27日

 平岡ダム中国人強制連行生存者4名と訪中懇談、
 中国残留婦人12名が強制帰国(マスコミの報道に国民の注目を集め、議員立法の契機となる)
 飯田日中(旧飯伊日中)中国残留帰国者特別身元引受人として厚生省に登録
 
第24次中国残留孤児の肉親捜しのための訪日調査(4/32、12.5%判明)
 アニメ映画「蒼い記憶」飯田トキワ劇場で上映
1994(平 6)
   4月 6日
   6月 1日
   6月 6日
   6月23日
  10月16日
  11月22日
  12月18日

 
中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律(議員立法公布)
 中国帰国者定着促進センター長野分室(喬木村)開所
 長野県中国帰国者自立研修センター喬木教室開所

 
65歳以上の高齢永住帰国者扶養のための子供世帯の援護を決める(その後60歳、55歳に拡大)
 飯田日中(旧飯伊日中)中国帰国者交流バスハイク実施、名古屋動物園へバス16台で行く。
 
第25次中国残留孤児の肉親捜しのための訪日調査(1/36、2.7%判明)
 劇「再会」飯田公演(飯田文化会館)
1995(平 7)
   1月 7日
   8月 9日
   8月23日
  10月 1日
  10月13日
  10月31日

 喬木村帰国者定着自立センター新年会(喬木村共催)以後毎年実施
 第1回満蒙開拓シンポジウム(いま満蒙開拓を問う)飯田にて開催
 中国帰国者定着自立促進大会(飯田会場)
 帰国者支援交流会(泰阜村あいぱーくやすおか)
 中国強制連行生存者4名招待、10月15日 同列席による平岡ダム中国人殉難烈士慰霊祭
 
第26次中国残留孤児の肉親捜しのための訪日調査(5/67、7.5%判明)
1996(平 8)
   1月31日
   4月 1日
   4月20日
  11月22日

 
第27次中国残留孤児の肉親捜しのための訪日調査(4/43、9.3%判明)
 中国残留邦人等関わる新たな国民年金の特別措置施行(老齢基礎年金の1/3部分の支給)

 歴史フォーラム「伊那谷の満州移民義勇軍を考える」を飯田市で開催
 満蒙開拓研究会「満蒙開拓セミナー」(清川絋二会長)飯田市で開催
1997(平 9)
   7月25日
   8月 1日
   10月13日

 飯田日中(旧飯伊日中)満蒙開拓写真展
 飯田日中(旧飯伊日中)飯伊の戦争犠牲者一万人の名簿掲示(飯田中央公民館)
 
第28次中国残留孤児の肉親捜しのための訪日調査(2/45、4.4%判明)
1998(平10)
   3月15日
   3月27日
   4月18日
   5月 1日
  10月11日
  11月22日
  11月29日

 飯田市中国帰国者交流会(伊那谷道中)以後毎年実施
 中国帰国児童の教育現状学習会(飯田日中青年委員会)
 中国帰国者問題学習会「ぼく半分日本人」(地場産センター)
 飯伊地区方言・中国語対訳集第一回編集会議(飯田日中稲垣成夫編集委員長)
 平岡ダム中国人殉難烈士慰霊祭
 第2回満蒙開拓シンポジウム(いま満蒙開拓を問う)飯田内にて開催
 中国帰国者向け共同墓地完成除幕式(飯田墓地公園)
1999(平11)
   1月30日
   5月 9日

 黒竜江省方正県訪日団歓迎会(大宮温泉)
 中国帰国者連絡会旅行(名古屋港)
2000(平12)
   9月 1日
   9月 4日
   11月30日

 旧満州開拓地訪中団第一班(川路・上久堅)
 旧満州開拓地訪中団第二班(泰阜)、9月6日泰阜(大八浪)訪中団バス現地で転落事故発生
 
訪日対面調査(見直し後第一回)実施
2001(平13)
   11月30日

 中国帰国者定着促進センター長野分室(喬木村)閉所
2002(平14)
   3月
   7月 7日
  10月10日
  12月29日

 「満蒙開拓を語りつぐ会」設立 初代会長 長沼計司(飯田日中友好協会理事長)
 飯田日中泰阜支部設立総会
 吉林省舒蘭市と飯田日中友好協会が友好関係締結。(吉林省舒蘭市・水曲柳鎮訪問)
 長沼計司飯田日中友好協会理事長逝去(帰国者援護支援に奔走 72歳)
2003(平15)
   2月20日
   7月30日
   9月10日
    12月 8日

 「満蒙開拓を語りつぐ会」聞き書き集(1)『下伊那のなかの満州』第1集発行
 飯田日中中国帰国者生活実態調査を実施し、結果を集約
 飯田日中中国帰国者生活実態調査結果に基づく残留孤児婦人の援護に関する請願・陳情の展開
 田中長野県知事と中国帰国者との車座集会(喬木村)、残留孤児婦人の援護に関する陳情
2004(平16)
   3月20日
   4月 1日
  12月 1日

 「満蒙開拓を語りつぐ会」聞き書き集『下伊那のなかの満州』第2集発行
 長野県中国帰国者愛心使者事業の開始(1972年以降帰国の残留孤児婦人への見舞金制度誕生)
 中国帰国者の所謂引き籠もり対策としての高齢者日本語教室を飯田日中受託事業として開始
2005(平17)
   2月20日
   4月 1日
   5月13日
  
 「満蒙開拓を語りつぐ会」聞き書き集『下伊那のなかの満州』第3集発行
 長野県中国帰国者愛心使者事業の対象者枠を1958年まで拡大
 飯田地区中国残留孤児・婦人ら開拓体験者による「満蒙開拓語り部の会」
 以降、各地の小中学校、高校、短大、公民館等で、体験の語りを開催 
2006(平18)
   3月10日
   7月15日

 「満蒙開拓を語りつぐ会」聞き書き集『下伊那のなかの満州』第4集発行
 飯田日中友好協会第44回定期大会で「満蒙開拓記念館(仮称)」の建設を決定する。

上記年表における「*注」書きの説明

注1:「養父母養育費問題等」第1次訪日調査以来、養父母の養育費問題等が発生。日中合意では国費と民間の
   寄付(中国残留孤児援護基金)で養育費を支払うことが決まる。5月には、中国光明日報が日本の中国帰国
   者の受け入れ不備を批判。
注2:「残留孤児引き取りに関する向上書」在日親族の有無に拘わらず身元が分からない孤児など、身元引受人の
   斡旋を受けて日本への永住帰国が可能となるが、残留婦人については先送りとなる。実に戦後38年、国交回
   復後11年を経て、養父母の扶養問題、帰国者の扱いに対する方針がほぼ固まる。
注:3「養父母に対する扶養問題」、扶養意識について日中間の微妙なずれが問題の背景にあるように思われる。
   即ち、中国では子女は父母に対し扶養の義務を負う(婚姻法第15条)「老人に対して扶養の義務を負いなが
   ら扶養を拒否し、情状の悪質な者は5年以下の有期懲役云々…」があり、日本に帰国後、中国の裁判で実際
   に有罪になった残留孤児の例がある。
 *本年表をまとめる上で、以下の資料その他を参考にした。
   @ 飯田歴史研究所、齋藤俊江氏講義(2003.7.20)「下伊那地方の満州移民送出」
   A 国立総合研究大学院大学 教育研究交流センター、藤沼敏子氏「中国帰国者問題の歴史と援護施策の展開」