伝統工芸とUMA

 伝統的な工芸におけるUMAの地位は、竜・鳳凰、を筆頭に意外と高い気がします。その中にはその時代のその場所ではUMAであった生き物、たとえば「虎」であるとか「鯱」であるとか、「猩猩(オランウータンだと言われている)」なども含まれます。
 作り手の側からすると、ある程度空想の余地があるほうが創作意欲が掻き立てられるからでしょうか、「足長・手長」のようなUMA(妖怪かも・・)さえ、縁起物として天皇の住まいにあたる清涼殿のふすま絵の題材であったそうです。
 ただ、日本では、江戸時代後期に国学が盛んになるまで、権威ある書物はみな「中国」の古い文献でありましたから、地方地方の妖怪変化以外は、中国に倣ったやり方で解釈をしておりました。ですから、美術工芸的には、基本的に「山海経」等の書物の記述に沿った独特の様式美に拘束されたUMAしか居ません。
 
 さて、中国における「謎の巨大生物」の定義は、あらゆる動物の長所をもつ獣類の皇帝「竜」がいて、竜は自然の途方も無いエネルギーの化身であり、その竜の傍流として、竜と他の獣との間の子として、通常では現れない奇怪な動物が出現する。と言った感じの定義で、ある意味理論的で、なんとなく納得がいってしまう定義であります。
 
 人間には「感」と言うものがあり、また記憶を伝承する力もあります。
そのため、見たこともない生き物についても推測で正確な姿を見出してしまうことが可能なようです。竜の姿かたちについて思うのは、確かに地球上に存在した、存在する巨大な生き物のの要素をすべてもっているし、恐竜や、チョウザメ、シーラカンスやネッシー(こいつは未確認だった・・)等とそっくりです。
 謎の巨大生物は、正体不明なだけにとても沢山空想の余地があり、その上実際に見つかったシーラカンスなどのように、捕まえてからあれこれ調べてみてもかえって謎が深まったりと、まさに想像を超えた存在です。ネス湖に居ようと居まいと、人の心の中にはずー‐っと居続けてるのだし、今後も人類が生きている限りその心の中にいて、人を想像と、創造にかきたてる続けるでしょう。それにしても「ウモッカ」見つかるといいなぁ・・・・

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