子供の遊び |
昭和三十年ころは戦後の混乱から立ち直り、世の中も落ち着きをとり戻したよき時代でし
た。大人たちは休む暇もないほど必死で働き、子どもたちは、食糧難ではありましたが
ひもじい思いをすることも少なく、自由で楽しい日々を送っていました。
テレビが村に入ったのは三十年代の後半で、雪のちらつくような画面を食い入るように見た
ものです。
和田小学校の給食は二十三年から始まりましたが、二十四年にはみそ汁給食そして完全給
食が始まったのは昭和二十九年で、コッペパンに脱脂粉乳、ひじきの和え物というのが定番
でした。
そのころの子どもたちの遊びは、エス字・首切り・ケン打ち・ビー玉・釘打ち・だるまさ
んが転んだ・相撲・野球。女の子はゴム飛び・お手玉・綾取り・まりつきなど専ら家の外で
した。階段でじゃんけんし勝った数だけ、例えばグウはグリコというように階段をのぼり、
先に登り切った方が勝ちというのもありました。
また、魚取り・木登り・川遊び等、雨の日でも自然が相手の遊びがほとんどで、家の中の
遊びといえば正月のカルタ取り・すごろく・坊主めくり・トランプ・花合わせ・ミカン引き
等でありました。
当時の冬は雪も多く、人に負けないようなそりを自分で作り、段のある急な斜面を滑った
りしたものですが、怪我をする子どももいなかったような気がします。そうした遊びの大き
な特徴は、一人でするより大勢の仲間たちとする遊びが多かったことです。
子どもの豊富な遊びの中で、何の意味があるのかわからないが、石つきです。
龍淵寺の石段を、途中から左に折れ観音堂に向かう石畳に、ところどころに小さな穴があ
いている石があります。この穴は子どもらが石を叩いて開けたもので、この穴で草をつき遊
んだものです。
深い意味があるわけでもなく、そんなに楽しいものでもない。草をつぶして何かにするわ
けでもない。そうかといって石に穴を開けるのが目的でもない。
それでも子どもたちは男の子でも女の子でも、気が向けばひたすらに石をついたものでした。
今の子どもたちと違い、おもちゃも買ってもらえない昭和三十年代の子どもたちはこのよ
うに何でも遊びの材料にしたものです。
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