どんど焼き

   和田のどんど焼き

 どんど焼きは、小正月の子どもの行事として、また地域の共同行事として日本各地で

さかんにおこなわれています。 
 
 その呼びかたは、地方によってドンドン焼き、 オンベ焼き、サイト焼き、左義長、

三九郎、道祖神祭りなどさまざまです。

 この小正月の祭りは、ほんらい正月の中心行事でしたが、大正月祭がだんだん重要視

されていったのに反し、いつしか子どもの行事になっていったものではないかといわれ

ています。
                  
 いずれも竹や木を立てて芯にし、まわりに正月の松飾り、注連縄をつみかさね燃やす

ところは似ています。

 南佐久地方では、どんど焼きを「かんがり」と呼び、木で小屋を組み、わらで屋根を

ふき、その上を松の枝でかこいます。

 以前はこの小屋に、子どもだけで寝とまりしたということですが、十六日夜、この小

屋に火をつけ焼き、その燃え残りの枝を持ち帰り屋根に投げあげ火除けにします。

 松本近辺では「三九郎」と呼び、波田町・塩尻市片丘などでは「おんべい」といっ

て、道祖神に御柱を立てるところもあります。

 この御柱は、燃やすことはせず、七日ころ立てたものを小正月に倒し、魔除けの御弊

「柳」をもちかえり玄関先などにかざります。
 
 上伊那地方では「どんど焼き」と呼んでいます。

伊那市西箕輪上戸や、辰野町・箕輪町では十四日の朝、道祖神の前に「でえもんじ」と

いってかざりをつけた竹を立て厄除けを願う行事をおこなっています。

これは、波田町などの御柱に似ております。 
  
 下伊那では「ほんやり」と呼ばれています。

飯田近辺ではむかし、松飾りのうばいあいがあり一晩中みはりをおいた、という話を聞

いたことがあります。

むかしは天龍村でも同じようなことがあったということです。

 温泉とスキーで有名な野沢温泉村では、わらや松などで大きな社殿を造り、若者たち

が火のつけ消しの攻防をくり広げ、最後は天をも焦がす大きな火となり、燃え落ちると

いう壮大な火祭りがおこなわれます。

これもほんらいは道祖神の祭りで、どんど焼きの大型化といえるものです。

いまでは日本三大火祭りのひとつにかぞえられています。
 
 遠山谷のどんど焼きは、程野・中郷・上町・八日市場・木沢は七日、和田・南和田は

十四日におこなわれていますが、むかしはほとんどのところで十四日におこなっていた

ようです。

 しかし、最近は子どもの休日にあわせておこなうため、どんど焼きの日程は一定して

いないところがふえています。

また、昭和四十年代以降に大町や夜川瀬、昭和通りのように、PTAや公民館が主体にな

って始めたところもあります。

 ただ、『木沢の民俗』にお年寄りの話として「七十年前まではどんど焼きはおこなっ

ておらず、正月のかざりは庭のすみに一カ所にまとめておくだけであった」とあり、

遠山谷のどんど焼きは比較的新しい行事ではないでしょうか。

 呼びかたはどこも「どんど焼き(和田ではどんどん焼きと呼んでいました)」

ですが、程野・中郷では「さぎっちょ」とも呼び、「どんど焼きさぎっちょ餅焼いて食

いたいな」と歌いながら、夕方暗くなるころ火をつけます。

 共通することは、餅を焼いて食べると一年中病気にならないということです。

和田では、芯にした竹の燃え残りを小さく割ったものを屋根に投げ、火除けとします。

 中郷では、燃え残りの火を持ち帰り、たばこやお風呂の火種にして無病息災をいのり、

厄年にあたった人は、その年の数だけお金を投げ厄除けをするそうです。
 
 いま、どこの地域でも子どもが少なくなり、子どもの行事だった「どんど焼き」も、

いつしか大人の行事になってしまいました。

 昔の行事や遊びを文化ととしてとらえ、地域ぐるみで守る必要があるのではないで

しょうか。

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