とうとの神送り


        上町のことの神送り          神官のユダスキの下をくぐる


 二月八日を「事始め」、十二月八日を「事納め」といって、この日に八日送り、

針供養、道祖神祭り(わら馬曳き)、事念仏、事の神送りなど全国各地で
いろいろ

な行事がおこなわれています。

 地方によっては、東京周辺のように十二月を事始めとしているところもあります

が、農業の始まりとした二月を事始めとする考え方が、広い地域に伝えられてい

るようです。
        

「こと」とは行事、祭事、斎事を意味する言葉で、正月を中心にした神祭りとい

われておりますが、「異神」と書いて疫病神であるという説もあります。

  関東地方では一つ目の妖怪がくるといって粗めのかごやざるを門口に高く掲げ

たり、ニンニクや髪の毛を燃やして退散させようとしています。

 この日にやってくるという怪物は、地域によって一つ目小僧だったり、

ミカワリ婆さんだったり、疫病神だったりしますが、もとは神様が訪れてくる

と考えられていたものを、人がその日に忌み謹んで家にこもっているところ

から、化け物が来るというふうにかわっていったものといわれています。

 長野県内では、飯田市千代・上久堅・喬木村・上村で今も事の神送りが行

われていますが、かつては、飯田・下伊那各地で行われていました。

 遠山谷では、とうとの神送り(和田・南和田・八重河内)、風の神送り・サ

ヨリ(木沢)、こと神送り(上村)と呼ばれ、主に子どもの行事でしたが、

和田・南和田は戦前に、八重河内・木沢は昭和四十年ころ途絶えてしまいました。

 和田では、赤白の紙で作った「かいだれ」を楮(こうぞ)の棒の先につけ、家

の入り口
にかけておくとそれを子どもたちが集め、「とうとの神を送れよ」と呼

ばりな
がら、禰宜のあとをついて村はずれまで行き、決まったところへ納めました。

礼拝してから、禰宜に米でこしらえた「おひやし」をわけてもらって食べるのが、

子どもたちの楽しみのひとつでした。
此田では「イチノホッポサンヤレヨ、ガー

キノカーミオクレヨ」とはやしました。

 木沢ではかいだれを「サンヨリ」と呼び、家の中を「家の中の風邪の神とっ

け」と唱えながらふり回し、表の門口に立てかけます。それを子どもたち
が集め、

津島さまの石碑の前に集まります。禰宜がおはらいをしたのち、子
どもたちは八

幡神社の太鼓をたたき、「サンヨリヨ、サンヨリヨ、トウトノカ
ミヲオークレヨ」

と唱えながら、二月は上島方面へ、十二月は小道木方面へ
送りました。

行列は、先頭が「津島神社」と書かれた紙の旗で、次に青竹の先
にワラヅト

(わらの束)をくくりつけそれに十二本の紅白の御弊をさした
「オワキ」、

そのあとにサンヨリを持った子どもたちが続きます。村はずれに
来ると禰宜は

おはらいをし、子どもたちはサンヨリを川に投げ捨てます。

 上村では、こと神送りといいますが、「八日様」「神送り」「でんでん」とも

いい、オタカラを持った子どもたちが太鼓と鉦で「デンデン、チャンチャン、

コートノ神送るよ」とはやしながらにぎやかに練って歩きます。

 上村のこと神送りは、一時期途絶えそうになったことがありましたが、老人ク

ラブの皆さんが中心になり今も継続しています。三十八年ぶりに復活し
た此田の

獅子神楽もそうですが、一度途絶えた行事を復活する労力は並大抵
ではありませ

ん。
今、小さな信仰や祭りが、なくなりつつあります。

 地名もそうですが、ひとつの財産です。なんとか守り、次世代に伝えたいもの

です。

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