初 午 |
高平山の石段 |
毎年、新町出山と本町高平にある稲荷神社で初午祭りが行われます。
初午とは、二月最初の午の日に、稲荷さまをまつるもので、平安時代から信仰
されていますが、江戸時代に福・徳・開運の神として 全国に広がりました。
これは、初午の日に農の神をまつる風習が古くからあったものに、農業神である
稲荷信仰が結びつきひろがったものと考えられています。
この典型が上村風折的場神社の初午です。ここでは大黒と蚕玉の面が神楽を奉
納します。養蚕の守り神である蚕玉信仰と、福の神の代表大黒天信仰とが結びつ
いている、稲荷信仰の原初的な形を残しています。
稲荷さまというのは、京都伏見の稲荷神社にまつられている正一位稲荷大明神、
別名倉稲魂神(うがのみたまのかみ)で、食物を主宰し、五穀の豊穣を守る神様、
すなわち農業神であるといわれています。
また、豊川市にある妙厳寺(曹洞宗)は、十八世紀に、寺の境内にすんでい
た平八と呼ばれる古狐を、稲荷明神としてまつったのが豊川稲荷で、江戸中期に
たいへん有名になりました。
この豊川稲荷を迎えたのが、本町の高平山稲荷神社です。
明治三十五年ころ、商売仲間の橋本屋、西川屋の祖先ら数人が豊川稲荷から勧請
してきたもので、最初個人の家でまつっていましたが、大正十一年の本町大火のち
現在の所へ移し、講を組織しました。講仲間は年々増え現在は四組が輪番で祭りを
担当し、集めた米で甘酒を作り子どもたちにふるまいます。
新町の出山稲荷神社は京都伏見の稲荷神社から勧請したもので、講組織ではなく
町全体でまつっています。この社の建立はたいへん古く、弘化二年の棟札が残され
ており、言い伝えでは山の上部にあったのが遠山地震で今の辺りに押し出されてき
たということです。
出山稲荷では、戦前まで湯立神楽や霜月祭りの面が奉納されたいへん賑わった
と、古老が懐かしそうに語っていました。
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高平山神社 龍淵寺和尚の読経 |