遠山谷の方言 その三


「てっぱ」

子どもを背負うのに帯を使わないで手でおんぶすることを「てっぱ」といいました。

「やいは、てっぱであんじゃねーかー」というように使いましたが、「てっぱでうばーる」

ともいいました。

最近てっぱという言葉を聞いたことはありません。

また、てっぱでぼこをうばっている人を見かけることもなくなりました。

 

「いのく」

 働くことをいいます。

「えーのかかあはいつねぶるよ? ゆんべも、よっぴていのいとったちゅーじやねえか。

みやましい、エー嫁もらったえー」

 結婚は、家柄ではなく本人の人柄が重要で、しみったれでずくなしの嫁をもらうのと、

こまめに働くみやましい嫁とでは、いくらつまかにしていても、
後々の家の繁栄にも毎日の

生活にも大きな差がでるものです。

「あくざもくざいっても、てめー(自分)もてーしたことねーで、かかあのこーしゃかーい

えん」と、独り言。

 

「みるい」

「このほいもは、みるくて美味いずらと思ってしこたまうでて食べたら、ずでーこわいし、

えごいし、えれーめこいたのなんのって」

 ほいもは里芋、みるいは柔らかいことや未熟なものをいいます。

「このあか
の肌のみるいこと」

赤ん坊の肌の柔らかいことをこういいました。

またこわいは堅い、えごいは苦いことです。

ふつうほいもをみるいとはい
わないでしょうが、例として使ってみました。

 

「えむ」

「色みがいいから、もーえんだか」といいますが、実が熟すこと、また熟して割れること

をいいます。

 また、果物などが食べごろになったことを「みがいる」といい、実がいりすぎるとえん

で、終いには「ほけて」美味しくなくなってしまいます。

 

「したじ」

「このしたじはちょっとしょっぺーな」などと使い、遠山では汁のことを「したじ」とい

います。

広辞苑には「酔い物を作る下地の意」とあり、これが縮まったのでしょうか、上村でも、

また県内でも使うところがあるようです。

 

「ひっさる」

「きにょうのよーもと、田んぼの畦をあいってったら、草のあいさから、でけーなぶさがの

って出て、わーってひっさったが、びっくらこいたぞー」

 昨日の夕方、田の畦を歩いていたら、草の間から大きなアオダイショウが出てきて思わず

退いたが、びっくりした。ということですが、アオダイショ
ウは生臭いことからなぶさとい

い、マムシは「くそ蛇」といいます。

    ◆

 遠山では堅いことを「こわい」といいますが、これは「こわし(強し)」という古い言葉

からきているように、方言と思われている言葉の多くは全国で
使われていたものも少なくあ

りません。

 また、苦しいこと、辛いことを「えらい」といいますが、岐阜県でも同じように使います。

現在の遠山で使われている言葉、いわゆる悪口語のほとんど
が明治時代に飛騨の山で働く人た

ちによって持ち込まれたものではないかと
言われています。

 方言は、急速に失われようとしています。

 みなさんが何気なく使っている遠山の言葉を、気がついたときぜひメモしておいていただ

きたいと思います。

それは貴重な資料となるでしょう。

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