梶谷大釜(かじやおおがま)の不動明王

  梶谷大釜の滝


 梶谷林道の終点、えんてい上で車を止め、梶谷川上流を目指しました。少
しさかのぼった

ところで、雪解け水で大きくなった川を渡り、踏み跡を頼り
に山を登ります。

 急斜面を登りきったところで、なだらかになり、数分歩くと右下から水の落ちる、

すさまじい音が聞こえてきました。道は、山を横切るように奥へ続
いていますが、音に向か

って急斜面をすべるようにおりると、瀑布の上に出
ました。

大釜の名の由来である、大きな滝壷が満々と水をたたえていました。

 教育委員会が昭和五十八年に出版した『ふるさとへの伝言』第一輯(しゅう)に、

樋口の遠山義光さん(梶谷出身)が、「十六尺の材が立方に回った」と書いていますが、

ほんとうに釜と呼ぶにふさわしい淵です。

 滝は二段になっており、その中間にこの淵はあります。水量が多くたいへん美しい滝です。

 その滝の上の大岩の元に、不動明王がまつられています。

 明治から大正にかけて、山の伐採に入った梶谷の人たちや王子製紙が、安全を祈願してま

つったものです。

 この不動明王は、信玄滝の岩壁にもまつられていますが、インドのシバ神の別名で、密教

で取り入れられたものです。

 「大日経」では、大日如来の使者(または化身ともいわれている)として、菩提心を求め

る際の悪魔や、じゃまするものをうちくだく力(障碍)を持つ明王とされました。

そして煩悩にとらわれやすい人々に畏怖の念を与え、左
手に持つ羂索ケンサク(なわ)で私たちを

救うとされています。

 平安時代からは密教や、修験の間で信仰され、特に修験では入峰修行(にゅうぶしゅぎょう)

において不動明王と一体になるとされ、中心的な崇拝対象になりました。

 さらに民間でも広く普及し、持病・除難・諸魔降伏として、また荒々しい、力の強い仏と

して鎌倉武士や戦国武将にも信仰されてきました。

 成田山や高尾山、大阪の水掛け不動が、この不動明王をまつっていることで知られていま

す。

(注)十六尺は約四・八メートル

大釜の滝の上にある不動明王         信玄滝の不動明王


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