松 飾 り

        山 原

                 
 
年の暮れに門松を飾ることは、現在も普通の事として行われています。

ところが時代の流れはこの門松にも及んできていて、門松を飾る意義を知らない人が増え、

飾り方も年々簡略化されてきています。

 そこで、遠山谷の松飾りはどのように行われているのか調べてみました。

飾り方から、大きく町型・村型の二つに分け、さらに村型を上町式、下栗式、十原式の三つ

に分けてみました。

 町型というのは、和田両町内と上・下木沢での飾り方で、庭がある家では、栗の木を杭に

して松を飾ったところもあったようですが、玄関先に松、竹に
わらでこしらえたヤスをつけ、

しめ縄を張るというシンプルなものです。

  村型は、家の軒先あるいは前庭に、杉や松の生木の皮をはいだオトコギ(男木)と呼ばれ

る神柱を立てるもので、門松よりも古くから行われていた、
立木の形式を伝えたものといわ

れています。

 上町式と下栗・十原式の大きな違いは、男木の長さと使用年数です。それは、その男木の

役割、後利用の違いからきているのではないでしょうか。上
町の男木は、軒下にはいる高さ

のもので、以前は、不幸があったとき棺台に
使用して納め、次の年に新調したということで、

今でもくり返し使用します。

 下栗.十原式の男木は数間もある長いもので、毎年新しくし、ハザナル等に利用していま

す。予祝の呪具を実際の道具へと転ずることで、五穀豊穣
をたしかなものにしようと願うの

ではないでしょうか。

 この地域では、七日に松だけとり、十四日に、あわぼ(粟棒または粟穂)と呼ばれるくる

みの木を竹枝に飾り、『十二月』または 『、、、』と書いたニュウギ(またはオニギとい

う。注)をそえます。

そして二十日正月の日にすべてをとりはらいます。

 年神さまの降臨する依代として、家の入り口や外庭の一角に、年の暮れに山から採ってき

た生木を立てるという習わしは、古くから行われてきました。

この生木の種類は土地によってさまざまでしたが、いつのころからか松になっていきました。

その生木を立てるという風習は、木曽福島町清博士地区で今も行われてお
ります。

ここでは、松のかわりに近くの川から二メートル以上の柳の若木を
とってきて玄関、蔵に各

二本、大黒柱、神棚、仏壇に一本ずつ飾ります。

 また、あわぼというのは、クルミやヌルデ、樫の木を粟の穂や、稗の穂に見立てたもので、

モノツクリと呼ばれる秋の実りを祈願する行事のひとつとし
て、信州のほか関東、東北の南

部に伝えられています。

 チリひとつなく掃き清められた家の一角に松を飾って年神を招き、家内の健康と豊作を祈

願した先人たちの生き方を見つめ直し、祖先がしたように、
神聖な気持ちで新しい年を迎え

たいと思います。

(注)柳田国男は『新しい木ということ』折口信夫は『鬼木、丹生木』だと説いています。

        松飾り分類表
村 型 上町式 @上町・中郷・八日市場・ 赤沢
A程野
下栗式 下乗・須沢・中根・上島・ 小道木※・川合※・栃の上
十原式 十原・名古山・大町・此田・山原※・押出・大島※・池口
町 型 和田式 本町・新町・夜川瀬・下和 田・本村・木沢(栃の上を除く)
      ※印は、現在その地域のほとんどが町型に変わっているところ。


       大 町
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