盗まれた霜月祭りの面 |
昭和四十七年十二月七日、八日市場日月神社祭日の前日の朝、面迎えの行事のため滝波隆
司さんと、禰宜の久保敷明三さん(共に故人)は、中立稲荷神社にいきました。
久保敷さんは、神殿の右脇のお霊屋(おたま)に納めてある面箱のひとつを取り出し、
おやっと思いました。軽かったのです。
こんなに軽かったかな、と恐るおそるふたを開けてびっくりしました。
面(おもて)がありません。
あわてて次の箱を開けましたが、それにもありませんでした。
これはたいへんなことになったと、日月神社で祭りの支度をしている村の衆を呼び寄せま
した。火の玉・四面(よもて)・天伯等十二の面がなくなっていました。
面は神聖なものとされ、祭り以外に出して見ることはもちろん、当日でも禰宜以外の者が
手に触れることはタブーでした。しかし、その管理はまったくずさんで、桐の箱に入れ、お
霊屋と呼ばれる所に、鍵もかけずに納められていただけでした。
幸い、被害にあったのは稲荷神社だけでしたが、この事件以来村内の各神社は、面・
鰐口・刀など貴重な物は宝物庫や金庫に保管するようになったのです。
掲載の写真は、盗難にあう前年の昭和四十六年に稲荷神社で撮影したものです。
昭和46年に撮影した盗難前の面 |
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新たに作った面 1988 | 盗まれなかった面 1988 |