押出の山住神社分社 |
押出の山住さま |
押出(おしで)に山住神社(やまずみじんじゃ)の分社があります。
間口奥行きとも二間もあるりっぱな社です。
分社内に残されている昭和三十五年の寄付者名簿を見ると、寄付者は遠山谷全域におよん
でおり、山仕事にたずさわる人が多かったこともあり、山住さまと呼ばれ広く信仰されてい
たことがわかります。
以前は各地域ごとに講があり、木沢では戦前まで代参が行われ、くじで選ばれた二名が
三日かけてお札を頂いてきたそうです。
そのお札は神棚にまつったり、門口にはったりまた獣よけに山の畑にまつったりもしていました。
山住神社は水窪町山住山(みさくぼちょうやまずみやま)にあり愛媛県越智郡大三島町の大山
祇神社(おおやまづみじんじゃ)から移しまつったもので、祭神は山の神『大山祇命』です。
昭和四十五年に山住山に林道が開通し、気軽に行くことができるようになり、四月十七日と
十一月十七日の例祭は参詣者でたいへん賑わいます。
山住神社というとお犬さまというイメージがありますが、この犬(山犬、オオカミ)は大
山祇神(おおやまずみしん)の使いだといわれています。
山住神社の宮司の家に盗みに入った男が物を持ったまま一歩も動けなかったという話など、
水窪には山犬伝説が実に多く残されています。ところでこの押出の山住神社分社は、
実は富士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)だったということです。
棟札(むなふだ)に『文久三亥(い)年(一八六三年)に再建立』とあり、
古くからまつられていたものと思われますが、昭和三十五年に山住神社の神官山下藤四郎氏
(水窪町、昭和五十六年三月没)が『浅間さま(祭神は木花開耶姫命コノハナノサクヤヒメノミコトで
国津神大山祇命クニツノカミオオヤマヅミノミコトの子)は山住と親戚』といって集めた寄付金で社を改修し、
山住さまをまつり込み南信分社(残念ながら山住神社では、正式な分社ではないということ
です)としたのです。
それからここで本社より数日おくれの祭りをし、お札を配布したりしました。
山下神官が亡くなってから、山住神社から訪れる人もなく祭りも行われなくなりましたが、
つい数年前まで、本来の浅間神社の祭日六月八日に清水家が中心になり、押出の各戸から米
を集めおかゆを炊いて祭りをしていました。
押出 山住分社 |