七夕の花くばり

 七夕 花くばり

 八月七日は七夕祭り。

 六日の朝、山から笹竹をきり、里芋の葉の露を集め墨をすり、短冊に星の名や願い

事を書きます。里芋の露で書くと字が上手になるといわれ、早起き
をして一生懸命露

を集めたものでした。

 竹に、願いをしたためた短冊を付け玄関先に飾り、そのかたわらにむしろを敷き机

を置いて、その上に野菜や果物のほか、キュウリやなすに足を付け
トウモロコシの毛

を尾にした馬を供えました。

また、勉強ができるようにと、
本や教科書を置いたりもしました。

 和田では、七夕の行事として昭和四十年ころまで、子どもの間で花くばりが行われ

ていました。

 この風習は、いつごろから始まったのか不明ですが、山から採ってきた草花や、家

で栽培した花をお互いに交換しあうものです。主に女の子の遊びで
したが、昭和三十

年代、花がおもちゃや漫画本に変化していったころから、
男の子も参加するようにな

ったようです。

 この花くばりに特に関心もなかったのですが、ある時、花くばりにはどんな意味が

あるかと聞かれたことがあり、調べてみましたら、実は和田以外で
は見あたらない、

大変めずらしい行事(飯田市美術博物館・桜井弘人さんの
話)だったということがわ

かりました。

水野都沚生氏は『秘境伊那谷物語』の中で、この花くばりのことを次のように書い

ています。

『・ハタを織ったその布の美しさを見せあった形の名残が花に変移した。

  ・篠(ささ)につける短冊は本来衣服を吊したものから色紙に変わったものだから

  の美しい模様をくらべたことから花に変移した。

 ・花は「草木染め」の染料の素として摘花したもので、織りあげた布を染めた昔のし

きたりが形だけ花として残ったもの』

いずれにしても、子どもの遊びだった花くばりは、女性の重要な仕事のひとつだった

裁縫や機織りと深い関係があったことはたしかなようです。

 七夕祭りは、日本古来からの棚機女(たなはたづめ)信仰に、中国の星祭り(乞香奠)

が習合したもの(仏教民俗辞典)といわれ、江戸時代に農耕儀礼や祖霊信仰色の濃い

形で民間に広まりました。

また、飾りは正月の松飾りと同じ神の依代(よりしろ)であり、七夕は単なる星祭りで

なく、祖霊祭りである盆行事のひとつであったのではないかと考えられています。

夏の夜、夕涼みをしながら、空に横たわる天の川の牽牛と織り姫の変わらぬ愛を思い、

ロマンにひたってみるのもいいものです。

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