遠山谷の天白信仰   そ の 二


 遠山谷では「天白(伯)」という名称はそんなにめずらしいものではありません。

霜月祭りの主役で、最後に出てくる面が天伯さまで、神社は須沢をは
じめ各地にあり、私た

ちにはたいへん身近な神様です。

 ところが天白信仰は地域が限られ、天竜川流域に集中していること、また名古屋市昭和区

天白町(現
天白区)のように地名として残ってはいるものの、その由来が不明であるなど、

たいへん謎の多い神様であるという事です。

 天白は、山の神・田の神・水の神・織物の神様そして天狗、または河伯(かっぱ)であると

考えられていますが、そのほかにもいろいろ説があります。

天白さまは、土地の主人公、つまり大地を主宰する神様″
天白は白山信仰と深い関わりがあり、実は製鉄の神様であったのではない

また遠山谷の天白は
霜月祭りでの天白面の扱いから、湯立て神楽を遠山
谷へ移入した山伏たちの守護神のような
ものではないか
と推測する人もい
ます。

そして水野都沚生(みずのとしお)(故人・郷土史家)氏は

天伯という地名が下伊那だけにも多数あって天白社も多く、神事芸能にも大切に扱われていること。

もともと大山祇
(おおやまづみ)の神であり、農耕の田の神であると同時に耕作に欠くことのできない

水の神、瀬織津ノ命
(せおりつのみこと)である。そうした神々にまつわるあれこれの民族信仰が天狗、

猿田彦へと発展したと考えてよさそうである。あるいは逆に俗信が正統神へと高められたのかも知れない″

と書いています。

 天白という地名・神社は、三重県志摩郡大王町を西限に愛知を経て天竜川をさかのぼり、

下伊那で急に増え県北部まで広がっています。

 南信濃村では霜月祭りに登場する天白の面の他、須沢の朝日天伯・夕日天白・平松天白、

小道木の辰巳天白、池口天白社、上島の本谷天白、八重河内
に朝日天伯と神社の数も多く、

天白信仰の厚いことが伺い知れます。

 少年のころから霜月祭りを眺めてきた後藤総一郎先生は、「神のかよい路」で、次のよう

に書いています。

 『今井野菊が、「天白神」とは、「天狗をお使いとする」、「焼き畑農耕」の神であると

いった、稲作文化以前の、古層の神であり、その地の山に精霊とし
て在って、村を守ってき

た不変の神こそが、山深い、一万年におよぶ豊かな
縄文作物の山里である遠山の守り神「天

伯」であったのだ、ということにはじめて気づかされた』

    

参考

  和田霜月祭りの神名帳に出てくる天伯

河田天伯、御天伯、根上天伯、白天伯、黒石天伯、根の神天伯、木沢・八幡社で行われる天伯の湯に出てくる天伯、

大天伯、小天伯、宮天伯

参考

天白信仰について広範囲に調査したのは茅野市の今井野菊氏で、さらに追求し「天白紀行」を中日新聞に発表したの

は山田宗睦氏です。山田氏は、この中で天白の起源を伊勢(いせ)の天ノ白羽神(あめのしらはのかみ)ではないか

と推測しています。

    印を組む禰宜

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