遠山氏の先祖は鉄工の技術集団か?


 松山義雄氏著による『新編伊那風土記』に、霜月祭り、谷京(焼尾)峠、白山信仰のことが

詳しく書かれています。

その中で注目したいのは、白山神社
の神像が隻眼(片目)であるということです。

 松山氏によれば、その御神体伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、大穴牟遅命(おおあなむじのみこと)

は、鉄神であり、風越山一帯を中心に、これらを信仰する産鉄民集団が生活していたのではない

か、
そして、その集団の一部が遠山谷へ入り、遠山氏の祖先となったのではないか、と書かれて

います。

 さて、白山信仰は、産鉄民集団が各地に鍛冶業を求めて移り住み、全国に広まったといわれ

ていますが、遠山にある白山神社について調べているうち
に、ちょっと不思議なことに気が

つきました。

 それは、上島・畑上・十原・名古山の四つの白山(城白山)神社の地域には、そこにしか

ない苗字があるということです。

 例えば、上島には、今川・山下・上野・陰佐・宇佐美。畑上には、平沢。

原には、坂本・山口・石堂・城崎・荒井・皆浦。名古山には、柴原・小西・中村などです。

時代を遡ったりして、もう少し正確に調べなければなりませ
んが、十原では苗字が皆違うこ

とも併せて、白山信仰と何か関わりがあると
思われます。

 松山氏は、屋敷氏神として全国各地でまつられている白山神社が、漂泊民である産鉄民集

団の信仰と深い関係にあると想像しています。霜月祭りは、
舞処は炉の形であり金山彦神も

現れるので、本来の意味を亡失した鉄山関係
の宗教行事、とも書かれており、遠山氏の祖先

は鉱山師と深い関わりがあっ
たのでしょうか。

 

  畑上の白山神社


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