年取り行事 2 タツクリ


大晦日、遠山での年取りの料理は、ブリの照り焼き、数の子、お菜、タツクリ、

昆布巻き、こんにゃくのクルミ和え、きんぴら、大根と里芋の煮しめそれになますというの

が一般でした。

それには、それぞれに意味があり、いわ
れがあり、縁起がいいからとされてきました。

小豆ご飯は、三日の恵比寿さまに炊くところが多いのですが、此田と梶谷では年取りに小

豆を炊き、ミタマ(御霊)さまとして神棚と仏壇に供える家があります。
         
 
ミタマさまをまつる風習は長野県各地にあり、上村や天龍村にもあります。

天龍村大河内ではご飯を丸め、それを串に刺した物を十二本(閏年は十三本)を年神さまに

供えました。上村では、お膳にご飯を山盛りにしそれに白箸を
十二膳立てたものです。

 木沢正八幡社の霜月祭りの、一番最後、といっても村人たちが帰ったあと、禰宜がたった

ひとりで行う「木の根祭り」に、小豆ご飯がお宮のご神木に供
えられます。

小豆は特別な日の、特別な穀物とされてきました。

 遠山郷では、年取り魚はブリですが、長野県北部、佐久地方はサケです。

まかに区分すればフォッサマグナを境に東日本がサケ、西日本がブリとされています。

遠山はその境に位置するわけですが、年取り魚には日本全国のど
んな山間地でも海水魚が用

いられているそうです。

 それは新年を迎えるに際し、心身を清めるのに海水にひたるということが、いつの間にか

祝いの時は海水魚に限るという習俗が形成されていったと考え
られています。

 タツクリもそのひとつです。

 「ごまめ」ともいいますが、小魚、主にカタクチイワシなどを乾燥してつくります。

柳田国男の『穀物と心臓』にこんな一文があります。

『ごまめというのは、小さい魚のこととぼんやり理解できるが、 タツクリは全く見当がつ

かない。その田作りの名の起こりが、奥在所下伊那郡遠山郷に
おいて、田植えの日の食物に

必ずタツクリを買う例になっている。タックリ
は田植ざかなすなわち「田作りの魚」の略語

である』

と、さらに『これは、昔の農民の生活の、質素というよりもむしろ情けない貧しさを語る事

実である』とも書かれています。

 これは南伊那農村誌(昭和十三年発刊)の『五・六月頃茶を売った僅かの金で田植え肴と

しての「たつくり」が買え、胡桃が盆小遣いとなり、漆を売っ
た金が小遣いとして布切れや

襦袢となり、秋柿を売った金が塩を買う代になっ
た』という一文を柳田が知り、書かれたも

のと思われます。

このタツクリは、遠山では下栗など田のない所でも、正月や結婚式など祝いの席には必ず

出されます。 

何気なく食べていたものにも、意味や歴史があることを知っていただき、伝えていってい

ただきたいと思います。

タツクリ 乾燥した小魚をいり、砂糖としょうゆで味づけする
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