一の枝に手が届くぞ |
昔或る人が飯田の方へ用を達しに行った。
その途中で、日向の草ぼかに狐がいい気持ちで寝て居るのを見つけて、
ぽーんと石を投げてやると、うまく命中った。
びっくりした狐は痛そうな鳴き声をして山の方へ逃げて行った。
その人が用をすまして急いで帰って来て、今朝行きがけに狐の寝て居った近所まで来ると急
にうす暗くなってしまった。
「もうこんなに遅くなったのか」
と思って大急ぎに急いだけれど、とうとう日がとっぷり暮れてしまった。
「さあ困った」と思いながら原ん中をさっさと行くと、向うの方から
チンポンガラン チンポンガランとお葬いの行列がやって来る。
その人はおっかなくなったけれど戻る訳にも行かず、と云って怖さは怖し、
困って道傍の木へ上って小さくなってぶるぶるふるえて居ると、チンポンガランの行列は向う
へ通り過ぎて行ってしまうかと思うと、そうではなく登って居る木の下へ来て、その木の周囲
をチンポンガラン チンポンガランとぐるぐる廻って居る。
そうしてお終いに棺桶を木の根元へ据えて、火を焚いて置いて行列の衆は帰って行ってし
まった。
木の上の人は生きた気持ちもなく木にしがみ付いて居ると、
そのうちに焚き火が棺桶に燃えついて、棺桶のたががパチンとはぜると、
桶がガラガラっと毀れて中から白い着物の死人がスーッと出て来た、
そうして木の上の人を見ると、骨と皮ばっかの真白い手をヒョロヒョロッと
差ん出して震えた声で
「一の枝に手が届くぞー」と一番下の枝へ片手をかける。
木の上の人は死に物狂いで上の枝へ登ると、
今度は「二の枝へも手が届くぞー」と又片方の手を二番目の枝へかける。
木の上の人が「こりゃあ」と思って又一段上へ登ると
「三の枝にも手が届くぞー」と一番下の枝の手を離して三番目の枝へヒョーッと伸びて来る。
その人が又登ると「四の枝にも手が届くぞー」又登ると「五の枝へも手が届くぞー」
と云っていくらでも死人の手が伸びて来る。
其の人はおっかなくなって、一番うらんぼ迄登ったらとうとう枝が折れて
ドサンと高い頂上から眞逆様に轉け落ちた。
思わず、「キャッ」と大声を上げると一しょに四方は元のように明るくなった。
よく見るとその人は土手の下へ轉け落ちて、薄の穂へ一生懸命にしがみ付いて居った。