憶 病 者 と 薄

 


 昔しょうの悪るい
浄瑠璃(じょうるり)語りが峠を越して行った。

浄瑠璃語りだもんて三味線を袋へ入れて、それを背負(しょ)って、

峠の道をだんだんと
(のぼ)って行くと、日が暮れかかって来た。

其の人はしょうが悪るいもんで、「何か出にゃあいいがなア」

とびくびくしながら歩いて行った。

 峠へ上り切った時分には日が暮れてしまって、何にも分らんようになってしまった。

怖くて仕様がないが、「それでも峠まで上り切つたか、やれやれ」

と思って顔を上げて見ると、
道傍(みちばた)に人が立って居って

「こらこら」と云いながら頭を振って居る。其の人はしょう悪るだもんで、

腰を抜かして
其処(そこ)へつくなってしまった。それでも口だけは達者に

「アノモシ 私は御覧の通り旅から旅へ渡り歩いて居る浄瑠璃語りで御座ります、

お前さんは大方
(わし)にお金を出せと(おっしゃ)るんずらが、

私は芸が身の上でお金など申す物は一文も持って居りません、

どうか御勘弁を願います、それとも私の芸でよろしければ、いくらでも御聞かせ申します」

と腰が抜けたまんまで、地べたに手を突いてそう云った。

そして一寸(ちょっと)顔を上げて見ると「よしよし」と頭を振って居る。

そいだもんで其の男は喜んで、「芸でお許し下さるんなら、こんな嬉しい事はありません、

それじゃあ早速一と切れ語りますでお聞き下さいますか」と云って

一寸(ちょっと)(あおた)いて見ると又「よしよし」と頭を振って居る。

其処(そこ)で其の男は袋ん中から三味線を出して調子を合わせて、

面白い浄瑠璃を一と切れ語った。

「さあ此れでよろしゅう御座いますか」と云って(あおた)いて見ると今度は

「いやいや」と頭を横に振って居る。 

「それではもう一と切れ語ります」と云って又語り出した。

語って(しま)って「これで御勘弁下さいますか」と聞くと今度は

「よしよし」と頭を振って居る。

 それでその男は「やれやれ」と思って、急いで三味線を袋へ入れて

()れでは此れで此処(ここ)を通して下さいますか」と聞いて居ると、

其の道側の
追剥(おいは)ぎは、浄瑠璃語りの首ん中へ冷い手をしゃっ付けたので、

「キャッ」と云いなから其の手を
(つか)んで引き出して見たら、

冷い手だと思ったのは雪の
(かたま)りだった。

「こりゃあ」と思ったら抜けた腰がはまったので、立ち上ってよく見たら、

人が立って居ると思ったのは、人じゃあなくて、
(すすき)の穂が十本ばか固まつて、

それに雪がかかって、風に
(ゆす)れて居ったんだった。

浄瑠璃語りはしょうが悪いもんで、其れを見て
追剥(おいは)ぎが居ると思ったんだ。

 「よしよし」と云ったのは(すすき)の穂が上下に(ゆす)れて居る時で、

「いやいや」と云ったのはそれが横に
(ゆす)れて居ったのだった。

 お化けなんかも(みんな)自分で(こさ)えるもんだっちゅうが、

此の話の様なもんで
道側の枯薄(かれすすき)もしょう悪るが見れば大入道(おおにゅうどう)にも

追剥(おいは)ぎにも見えるもんだっちゅが、それもそうずらえ。


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