第十章       おばすて山冠嶽(かふりだけ)の事


 さらしな姨捨山(をばすてやま)は、木だちもあまり大木は見へず、山もすこしは嶮岨なれど

も、外の山よりはすなをなり。
所々打はれて、景色もよき所多し。こゝは月の名所なるよし。

いかにも月の比はよかるべし。更級(さらしな)川みこと川などいふ名所の川あり。

皆ちくま河の落合也。姨捨山は、遠山のうち、光明山といふ山によく似たる所ありて、景色甚

よし。光明山のことは前編の遠山奇談に
委しく出す。

此姨捨山の事實を聞に、むかし更級に住けるひと若かりし時、親にはなれ、夫より姨一人を、

親の代りとしてありけるが、年よるにつけて心のさがなくあしきをうるさく思ひ、むかしのご

とくにもなく愚なること多くてうるさしとて、八月十五日月隈なかりければ、伴ひすかして山

へ入、月を愛せるうちに、すかして逃帰りけるより姨捨山といふ也と。

むかし物がたりを聞に、さてさて有まじきことなりしが、又世に似たることのなきにしもあらず。

 もろこし唐の代のことなりしが、ある貧者一人の老父ありしが、としたけ日々月々によはり、今は
足も立がたく、貧しきくらしなれば、日々の育みにいそがしく、老父の思ふやうにもなけれども、そ
れは老父もよくしることゆへ、さらにくるしまず。されども其むすこ、としたけたる老人ゆへ、うる
さくおもひ、年老てあし手まとひとなりしゆへ、ある時老父をたばかり擔(もっこ)にのせ、十歳に
なりし孫に片一方をもたせ、さし荷ないにして山へ行、父を捨たり。
其時十歳になる孫其擔を持かへるさまゆへ、爺親(てておや)いふには、そのきたなきものを持帰りて何
の用にかたつぞや、それもそこに捨置といへば、男子(むすこ)取あへず、わたくしは是が入用といふゆ
へ、それを特帰りて何にするぞといふに、さればおまへが又年老てこしぬけになり給ひし時、わたくし
が此擔におまへをのせて、此山へ捨にくる時、又入るといふ。爺親手をうち、是みどもがあやまり也と
我子のいふことばに恥たり。

さて又冠嶽といふものあり。其麓の丘に大なる巌石あり。是を姨石(をばいしといふ。

横十間余高さ三丈余 此の石のうへに庵を建たり。

満月庵といふ二間四面庫裏(くり)三間半本尊は正観音。

又放光院長楽寺と號す。山は東西に横たをれ、西北にひらく、ちくま河巳午(みむま)より来

りて、又艮の方へ流行。

月みちたる夜は銀蛇(ぎんじゃ)の躍(おどる)やうに見へて、中々たぐひなき絶景也。

されば人ざと遠くして、あはれ深し。秋は月のみにたぐひなき所也。

正徳寳永のころ、ひとりの雲水僧此所にとゞまり、いとやさしくすみなせり。

此地はしぐるゝ月の空より雪つもりて庵
(いほ)さす姨捨山。

入相の鐘なりておとづるゝ物なし。しかはあれど、折々は盗賊来りて物をむさぼる。

一通りの僧などは、住ことかけがはず。さるによつて大丈夫
(よのすねもの)の僧ならでは、住

逐ざる也。

 姨捨山は其むかし冠山といひしとぞ。

第十一章へ