第十一章 駒ケ嶽駒岩に瑞ある事

 
 高遠の城下の西に、駒が嶽といふ大山あり、絶頂まで八里なり。

四時(しじ)に雪ありて富士山と同じこと也。

隣国甲斐の七面山といふは甲斐一國の高山なれども、駒ケ嶽の絶頂より見る時は平地のごとくにして見へす。

此山、佛神の参詣所なきゆへ、禅定する人もまれなり。山七分よりうへは、樹木なく、白砂斗

なり。半腹に、のぶが池とて太池二つあり。

錫杖岩(しゃくじゃういわ)とてかたち錫杖に似たる大岩あり。

凡十町も隔てゝ見るに、高さ二丈に過たり。

眞棒左右の六つのわ。両方に穴あざやかにあきて、上へ出たる眞棒に、玉のごとく丸く刻たるかたち迄、
ありありと見へ、まことに、此山の霊物と思はれてふしぎ成岩也。

 又岩鳥(18)といふもの有。人の通ひなければ人をしらず。人を恐るゝ體なし。

鶏ほどにてかたちも似たり。羽いろは瑠璃の少しうすく、鶏冠(とさか)と思ふもの少しあり。

あしは蹴爪
(けづめ)まで毛生(けはへ)て家鴨(あひる)のごとく、飛ことあたはず。

岩の間にあちこちと澤山にゐる也。さて宮所の牧といふ所あり。其後に、大きなる野原ありし

が、是を小野ゝ牧といふ。宮所の奥今村とい
ふには、龍飼山(19)などいふ寺號あり。駒ヶ岳

より昔名馬を出せし所といふ。

むかし天平の比、八月神馬(じんめ)を献ず。黒毛白髭白尾也といふ。

こゝに
よつて駒が嶽の名あり。名馬の出しは、いにしへのことなれども、今も山中の岩を見る

に、只心なく見る時は、岩なれども、心を付てみれば自
然に馬の像あり。

馬に見へし岩、これ又澤山にあり。其勢ひ生たるごとく、
夏雪のまだらなる時は、それそれ毛

色のごとく美しく見ゆ。

今は名馬なけれども、自然石(じねんせき)の馬あるは、駒ケ嶽の妙也。

峯々渓々多、また嶮阻もあり、實に霊山といふべし。

 自然石の馬の勢ひ、生るにまさる。さてさまざまのみぶりを懇望して或年むさしの國の畫士何某、
此繪師、萬事好士
(こうず)の人にて、筆を以て冩せしが、色々のかたちあるを嘆じて、又かさねて、
其寫し洩らしたる分を、寫さんとて、ふたたび山に望み見るに、はじめ寫したる馬を、引合せ見るに、
勢ひ又違へり。それより段々引合すにことのほか勢たがふて、更にはじめの物なし。
是は正しく此山の霊にて生岩也とて、寫ことを止る


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