第二章 遠山の材木雨つゞきにて人力なしに天龍川を自然とながれ出しこと
遠山の材木過半切(くわはんきり)いだせしか、天龍川より海へ流し出すことなれども、山出しの番所へ、
かくと届しかば、よしあることにて、外へもさたに及ばれ、彼是山出しの事容易ならざるうち、
霧雨日日打つゞき、谷々山々、水かさまさり、止るに手なく、自然(じねん)とながれ出ければ、
番所の沙汰もこれがために止て、流次第なれば材は残りなく、大海にうかみ流出しが、遠州三
州の同行も、番所届未すまざるに材木はながれ出、届すまざれば恐多く思へ共、又一日もはや
く、京都へ着することは、又喜ばし。
愁の中の喜び、しかし、追々切いだすことなれば、後はいかならんと愁ゆる。
今自然とながれしは番所も申事なくして、とかく此度のことは、私欲ごとにあらず。
皆佛物のことゆへ、一統志の凝所より、自然の山出しとなるは、ふしぎ也と斗にて、ことすみ
ぬ。しかるに連日の雨しげく、海中水まさり、材木も所々へながれ京都へ着といへども、西海
へながれ行しもあれど、本山再建の用木ときゝては、たゞよいたる木に、手をさすものなく、
手に手に京へのぼし、ついに數もそろひ、一所へ集るとは、實に佛智の加被力と、嗅ぜぬもの
はなかりき。
此度の材木、海にたゞよひ、諸々へながれ行ども、御本山へは、ついに集りくるといふに付
て、おもひいだせしことあり。因にむかし物がたりをいたすべし。
暫く座をしめて、これをきゝて、佛道の尊き中に他力本願は、又尊くて、諸神諸佛ぼさつの守護
し給ひけることの、顕れたるしるしを、さつし給へといふ。