第三章 けやき一本もろこしより献上せしむかし物がたりの事


  ながれ行たる材木、ついに一所へ集りくるといふに付て、思ひ出せしことは、むかし本山

大門御建立あらせらるゝとて、過し享保四年亥三月廿六日御釿始(おてうのはじめ)ありしより、

追々御材木御手あてあらせられ、御建立も半過し比、異国(もろこし)より槻壹本長崎のみなと

へ送り来り、日本本願寺へ献上なりといふに、まかせ、其時の令尹(おぶぎょう)とく京都へ、

人ばせして、本願寺へ此事を告らるゝに、御本山にはふしんに思しめされ、異国より

槻献上とは、此大門建立のこと、異国までも聞へしや否や、何にもせよ、これはよしある事成

べし。一日もはやく、人をして長崎へ遣すべしとて、軽からぬ仕官(さふらい)の人に、人夫

相具し、いそぎ長さきへ行。

かの異国より槻材木のよしをたづねられしに、異国より交易(あきないとうじん)の船に付て持来、

彼地の入海に、數年流れきて留りしが、誰もこれに手をさゝず。此節其所の長、年々ふしんに

思ひ、ある時此材木を改しに、本願寺と彫付たり。異国に此寺號(じかう)聞なれず。

手跡も日本の風ならめ。

何にもせよ佛物也。此所に年来ありといへども、用に立ものにあらず。日本にかよふ人につげ

て送るべしとて、此度持来りしなりといふ。此よしとくとうけ給り、京都へ材木持帰り、本山

へ此よしを申に、是奇哉(これきなるかな)

妙哉(めうなるかな)。往昔御影堂御建立の時は、富士山より槻御取よせあらせられしが、其時は善

知識御みづから山林へ入せられ、これかれと、御目利(おめきき)なされしに、何人ともしらず老翁

壹人来り、物馴たるさまにて、これがよし、かれがよろしと、委しくをしへけるに、善智識もう

れしく思し召、ことごとく印遊ばしけるに、彼老翁、もはやこれにて足るべしと、いふかと思へば、

いづくへかさりぬ。

此時印あらせられし數々の槻、京着せしうへ、壹本不足せり。

手より手よりを、いろいろと御穿鑿あれども、ついにしれず。

御手當不足せしゆへ、以前御影堂北の椽側、やらひ通に、楠のはしら一本あり。

槻一本不足せし替り也といひ傳へしが、さては其時不足せし槻は、全く是なるべし。

 しかれば其時異国迄ながれゆきしや。しかはあれど、今又大門建立の時に、献上せしとは、

むかし善知識の、印遊されし御縁空からずして、遅からず早からず。さてさて佛智のふしぎ也

とて、幸に今大門建立のことなれば、此槻を大門の柱のうちに用ゆべしと、はやく御仕立あら

せられて、大門表の北より二本め柱成べし。誠に御影堂御建立よりは、又年つもりて、水中に

有しゆへにや。玉杢(たまもく)も別にこまかくして際だちて見へけり。こゝを以て思へば、

惣て大堂佛殿建立などゝいふことは、中々人力の及ぶ所にあらず。皆如来の加被力のそふこと

也。心軽きことゝ思ふべからず。やゝもすれば、我何ほどの金銭を抛(なげ)うちしゆへと思

ひ、我は是ほどの苦労をし、何ほどの年月の日を費し、働きしゆへなりとなど、かならず思ふ

べからず。金銭を差上るも身を働きしも、皆如来の御催(おもやう)しなりと、感ずべし。


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