第四章 もろこしより桂獻上せしに付て他りき安心に引合喜ぶ事
むかし槻(けやき)異国(もろこし)へ流れて、又ふたゝび、京都へ来着したるについて、いよ
いよ如来の御本願の、空からぬことを喜ぶべし。
それをいかにといふに、善知識、初(はじめ)、富士山にて槻に一たび御印遊ばされし所が、
丁ど一念帰命の當體に、攝取不捨とて、光明のうちへ、収めとられしごとく攝取せられしうへ
に、何の障りもなく、浪風おだやかに過暮しければ、そのまゝめでたき往生して、本土へ生る。
又攝取せられても、うきよの塵にさへられ、波風あらく、身の浮沈も度々ありて、海にたゝよ
ふごとき、行所もしらず、成行ども、一たび攝取の御印あれば、ついには一つ所へ集るが、他
方の本願もまさしく此槻のごとくならん。
此世のことは惣じて前業(ぜんがう)の所感なれば、一生涯を暮すうち、楽しきこともあれば、
また苦しきことも有べし。豪富(ふじん)もあれば、貧賎(ひんじゃ)もある。
とかく境界(きゃうがい)に心を付べからず。
むかしを今に引更て、如来の御慈悲を喜ぶにしくなし。