第五章 むかし大門のはしらにかうがいなりの疵ありし事


 むかし大門御建立の時、槻ばしらに付て、ふしぎ成事あるを、今思ひ出したり。

これ亦因に申べし。其節所々大門御建立の御勧化ありしに
付、厚信(かうしん)の女一人、大

門の御ふしんを拝し、ありがたさの余り、
すこしにても、御寄進申たくおもへども、女の身に

て、何一つ才覺ならねば、
御建立の御助力をなさんと思へども、意にまかせず。

彼女つねづね重賓せし玳瑁(たいまい)のかうがい一本を取出し、これを寄進せば、何成と

もなるべしと、思ひ定め、我身に付置ては、われだけの光にて、さして晴なる用もなし。これ

なり共さし上べしとて、大工の人々、日々釿鉋
(てうのかんな)の手際に擬し心底を、感心して、

ひそかに、一人の大工にたのみ、此かうがいを寄進いたし度、何になりとも、御つかひなし給

はらば、身にあまり、ありがたしといふに、大工感じ、さてさて奇特なる女中かな。

われらよきやうに取次申べしとて、たしかに受合たるゆへ、かの女喜び、まづまづ御普請をい

たさるゝ、大工にたのむうへは、必何になりとも成べしと、安堵してさりぬ。

 時にかの大工 玳瑁のかうがい、つくづく見て、いかにしても照よく見へしゆへ、これは誰

もしる人なければとて、私
(ひそか)に我ものとして目利直打いたさせしに、數十金の位あるゆ

へ、いよくいよかくし、家に
持帰り、重賓せり。

たれも知る人なければ日々を送る時、此大工槻はしら一本を受持丸作りの細工引うけしに、削

どもけずれども、疵いでゝ、手際思ふやうならず。

これによりて普請司へ告しにみなみな打より、たぐひなき玉杢ゆへ目利のうへ、細工申付るに

此疵出しはふしん也。
是は用に立まじ。

 いざ替りを用んとすれど、是にかゆるものも亦なし。いかゞせんと思ひわづらふうちに、か

の大工疫を病、日々やまひ重るにつき、人々口々
にいふには、丸作りをうけ持細工人も煩(わ

づらひ)
又代りの槻も、思ふやうならねば、此柱一本はあらむつかしやと、口くせにいひなせり。

時にかの大工、熱さかんにして、うつゝに口はしるとて、かうがいを隠しとりたるが、彼女の

志をうばひ取し印にや。柱にかうがいなりに疵出たり。

あら恐ろしやと、折々いふゆへ、此ことあらはれ、普請司は、試にかの柱見るべしと私(ひそかに)

に考へらるゝに、誠にかうがい形也。

しからば其罪なるベし、恐ろしきこと也とて、終に此こと上にも、きかせられ、さやうのこと

もあるべきことならめ、思はしき替りの、
手まはらぬも理(ことはり)なり。

女の志も黙(もだし)からず。やはり其柱の疵の、かうがい形(なり)を、其まゝ埋木して、

柱に用ゆべし。又是も教化の一つにも成べしとて、終にかうがい形に木を入て、柱に用ひらる。

表側の南より二本め、北東向のうへのかた
に、かうがい形のものありし。

年来見馴し人多かりけるが、其當座は、
あらはに見へしが、年月たつにまかせて、生(うぶ)

のやうになりて、心を付ね
ば、見へがたく居附たり。ふしぎといふべし。

  時なる哉。かの大門も、天明の類焼に、灰燼となりしが、今復大門も御再建なりて、むかし
 にまさりて立ならび、ことし三月十五日に、
御供養會あらせらるゝやうになりしとは、さてさ
 て有がたし。
   此度は以前にかはり、猶々御教化も行届かせられ、横道邪見がちの凡夫が、
 何事も、あら勿體なやと思ふ心底起りては、何事も滞なふ
御成就なるぞ、ありがたし。

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