第六章 遠山よりしなの路へこゆに夜みちになること
遠山槻取出すに付て、瞼岨難所にて、渓(たに)をこへ峯をへだて、とかく取すべき、たよ
りなきゆへ、同行打より、さまざま工夫すれどもとかく容易ならず。
ふと思ひ出ることは、信濃路には深山又多く、犀河(さいがわ)にわたせる曲橋などあり。
これらにならひて、山より山へ、谷をこすことなどをたくまば、勝手よかるべしとて、厚信
(あつきこころざし)の同行四五人、信濃路へゆきて、是を見るべしとて、遠山のうち、青崩を越て、
しなの路に行に、渓々峯々いくらも越て、遠山より信濃にかゝりて、麓へ出べしといそぐに、
とかくせしうち、日も暮たり。道もわけがたけれは、火打にて燈(とも)しをこしらへ、みちを
さぐり行程に、夜嵐つよく、火も消へ、前後わかたず。
しかし麓へは、やゝちかく、少しづゝ人家のあたり、見へければ、それを力に、さぐりゆけ
ども、とかく足もと危く、墓(捗)どらず苦しむうち、ふもとの人家に出火して、其あかり山
林にかゝり、山路は晝のごとくあかく、方角も見へて、思はず幸を見て心いさましく麓へ出たり。
されども、いまだ酉の刻時分なれば、人家に人音ありしゆへ、福しまは此所かと問ふて、萬右
衛門の家をたづね行、かゝる物がたりして、そこに一夜をあかし翌朝夜前の難義、又麓の失火
(くわじ)に、山路明らかなること共を物がたりせしに、あるじの萬右衛門、ふしんに思ひ夕
こゝに失火なし、不審といふ。
同行もふしんし、まさしく其明りを力にて来りしなりといへども、失火はかつてなしといふに
つき、客もあるじもともどもに、これは全く人力(にんりき)にあらずとふしんしあへること共也。